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ごあいさつ

<ごあいさつ>

当ブログをごらん頂き、誠にありがとうございます。
2010年あたりまで町工場での仕事の傍ら、ピアノとか、ガーデニングとかいろいろやってました。
のんきに過ごしていたのですが、不景気風に吹かれて、家業が傾いてしまいました。
それで、2010年夏、「ピアノ教室」を開業し、頑張っておりますが、これでは追いつかず、
スーパーでパートもしています。

職業もいろいろ、趣味もいろいろで、あちこちに話題が飛ぶ落ち着かないブログですが
どうぞよろしくお願いいたします。

2007年、10月よりこのエキサイトでお世話になっておりますが
その前半年ほどは楽天ブログに書いておりました。
そちらの方も合わせて見て頂ければ幸いに思います。
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# by nyanko715f | 2018-01-01 00:00 | Comments(7)

新春文楽公演

1月12日 、第1部
 寿式三番叟、奥州安達原、本朝二十四孝

1月21日 、第2部
 染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ) 観劇

三番叟以外はおめでたい話ではないのだけれど、
大みそかの話や寒い時期の話なので1月の公演にはふさわしい演目。
三番叟は「国立劇場(東京の)開場50周年を祝いて」とあり、
幕が開くと、正面に義太夫連中がずら~~っと並び、
この並び方を見たことない私は「うぉおお~~っ!」と感激したが
のち、劇場の展示室で三番叟の昭和59年から現在まで、10編ぐらいのダイジェスト版を見て
劇場開場のときや、記念すべき年には今回の2倍以上の人数が正面に並び
その光景はさぞ壮観だっただろうと思う。
ダイジェスト版には往年の名人の懐かしい姿が見られ、
また同じ演目でも舞台も違えば演出、振り付け、衣装がちがうのも興味深く見た。


寿式三番叟は、豊年万作を祝う神事、というようなものを表現した
クラシックコンサートで言えば序曲に当たるようなもの。
次の「奥州安達原」は源氏が勢力を増してくる平安末期あたりに
姉妹のそれぞれの夫が源氏と平氏の敵味方であり、娘たちを案じる親の苦悩を描いている。

「本朝二十四孝」は武田、上杉と反目している武将の息子と娘が恋仲である
という、現代版ロミオとジュリエット的お話で、
狐の魔力を借りた上杉の娘、八重垣姫が活躍する。
キツネ遣いの名人(?!)、桐竹勘十郎のキツネはますますパワーアップしている。
何匹ものキツネが入り乱れる奥庭の場面は昼の公演の最後を飾るには迫力満点。

さて、日も改まって夜の部は「お染久松」のお話。

今年のお正月、どこかあまり人の多くない情緒あるところへお参りに行こう、
と選んだのが野崎観音。1月に「お染久松」の話が劇場にかかるからでもあったが。
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のざき観音「慈眼寺」は大阪府大東市(学研都市線、野崎駅)にある。
こじんまりとしているが、よく手入れされていて美しい寺。
このお寺ではコンサートとか、お染久松の文楽公演などのイベントも行われているらしい。
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元日のこの日、駅付近にはあまり人は見かけなかったのに、石段を登った山門から
写真にある本堂の石段までずら~~っと人が列をなしていて、すごい人出だった。
お参りを終えたときにはちょうど、日没の時間で、
大阪湾に沈む美しい大きな夕陽を見ることができた。

さて、文楽のお話。
お染は大阪の中心地の大店の娘だが久松は野崎村の出身。
ただし、「新版歌祭文」の中では久松は泉州石津の若様だったが、
故あって野崎村に住む久作という百姓に預けられたことになっている。
というのを数年前、この文楽劇場で観た。

実は、お染久松、といえば「新版歌祭文」しか知らなかった私。
今回もお染久松の物語と聞いて、へ~~今回、野崎村はつかないのか、
などとたわけたことを思っていた。
で、みていくうち、え?こんな話だったっけ?と思うも、
「新版歌祭文」のつもりで見ている、というマヌケさ。

お染は油屋の娘、久松はその店の丁稚、あと、山家屋(やまがや)の旦那、
久松の父(実は養父)が野崎村の久作、お染の母はおかつ、という登場人物は同じ。
久松は年季も明けていない丁稚でありながらお染と深い仲となり、
それを案じた久作が呼び戻しにお店へ来る。
意見する中に「隣の家のおくめを嫁にせよ」というセリフが出てきて
あら~~この話は「新版歌祭文」ではなかったのか?と初めて気が付く。

そう、この「染模様妹背門松」という話は同じお染久松でも
「新版歌祭文」の近松半次ではなく、
それよりも10年ほど前に、菅専助がかいたもの(らしい)
菅専助はのちに「摂州合邦辻」や「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」で
人気を博した作家。(竹本光大夫、という名で出演もしてたらしい)
善六という悪役なのに出てくるたびに笑いのとれる「チャリ」という重要人物や
ほかでは悪役めいた「山家屋」の旦那はお染の婚約者なんだけど
すごく寛容で慈悲深い、知恵者になっていて、
この話の登場人物のほうがずっと魅力があり、見せ場がある。

お染と久松はせいぜい15と16ぐらいか?
若気の至りの恋で、今はいちずで「いっしょになれないなら死ぬ」
と言っているけど、まあ、そのうち熱も冷めようものの・・・・
と思えるんだけど、この話の中ではだんだん追い詰められていくのがよくわかる。
それぞれの親の言い分も、世間の義理もよくわかる。
同じ話でも「新版歌祭文」よりこっちのほうがずっと良く出来ている、と思うけど、
芝居としては「新版歌祭文」のほうがよく上演される。ふしぎだ~~

どっちにしてもお染久松は最後には心中したらしく
野崎村には「お染久松の塚」というのがあった。
どうにかして死ぬ以外の方法はなかったんでしょうかね~~

それはそうと、文楽は堅っ苦しいもの、と思われているかもしれないが
今回も太夫さんのセリフの中に
「片やはんしん、こちらはひろしま」とか、「君の名は?」とか
さら~~っと仕込んであって、(それは床本にはなく、太夫さんのアドリブ)大ウケだった。
文楽は実に楽しいものですよ…
(それにしては隣のおじさん、よく寝ていて、いびきがうるさかった・・むむっ)

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# by nyanko715f | 2017-01-22 15:40 | 落語とか文楽とか | Comments(0)

もう一度、西高野街道

1月14日。この冬一番の寒波だという日に
前回まちがってしまった西高野街道の後半をやり直す。
雪が舞うような日だったが、歩いている間は日が差し、それほど寒くはなかった。
しかし、当たり前だが、こんな日に街道歩きをしている人にはお目にかからない・・・・

もう一度、高野街道を復習すると
河内長野の駅前にあった石碑には3本しか街道が書いてなかったが
本当はもう一つ、四天王寺から続く「下高野街道」というのがある。
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今は「西高野街道」を歩いているが、これは他所からくる人が
「住吉大社」にもお参りしてそののち、高野山に向かった道といわれている。
高野街道は平安時代末期には既にあり、江戸時代、整備されたという。
随所にある「西高野街道」の石碑は新しいものだが、
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江戸時代、「里程石」というのが作られ、堺市榎元町に「十三里」
河内長野で「九里石」「十里石」が見られる。

きょう、出発するところの「おわり坂」は西高野街道と下高野街道の合流点になる。
この「おわり坂」という地名は、山をひとつ越えて、見晴らしのいいところにあるので
どこかの地域の終着点、みたいなものかな?と思っていたら
愛知県知多半島出身の土木技術者集団にちなむ「尾張」のほうだった。

ここに小さい川が流れているが、これは三津屋川、といい、狭山池から流れ出ている。
狭山池はこの付近では大きいため池で、行基、重源によって改修されている由緒ある池だ。
(前回は道を間違え、このおわり坂も通らなかった)

おわり坂からすぐに三津屋川を離れ、310号線と並行する狭い道を進む。
たまにすごく大きなお屋敷みたいな家があっていかにも街道という風情のある通りだ。
「酒かけ地蔵」「十里石」「常夜灯」「道標」など随所に見られる。
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                 (酒かけ地蔵)
「松林寺」という真言宗の立派なお寺を過ぎると「中高野街道」との合流点に出る。
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         (左手の道が西高野街道、右手の道が中高野街道)

ここを過ぎて、広い道を横切れば南海高野線、千代田の駅近くの「西友」になる。
(ここで、小休止。ここの生鮮市場、野菜がすごく安い!
立派な大根を100円で売ってる。しかも、「世界パン」も入ってる!)

「西友」を過ぎ、「清明塚」を見て「外環」のガードをくぐる。
ここに「旧阿弥陀寺、石造物群」がある、と書いてあったが見つけられなかった。
廃寺になったので、そのお寺の石造物を集めたとこらしいが。

310号と交差して、「寺本病院」の裏を抜ける道に入る。
ここに「東高野街道」との合流点がある、というが、これも分からなかった。
いつか、東高野街道を歩くので、どこで合流するか、その時の楽しみにしよう。
「割坂」というけっこう急な坂を下りると河内長野の駅前商店街に出る。

きょうはまだまだ明るいので、駅前のモニュメントや旧家の遺跡のあるところも見た。
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いずれ、高野山に向かってこの駅から出発するが、
駅付近には古くから続く酒屋さんなどがあり、街道の雰囲気を残している。
いずれ行くと思うけど、紀見峠~高野山はもう少し暖かくなってからにしよう・・・・
今は雪の中だ…





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# by nyanko715f | 2017-01-17 13:19 | 街道めぐり | Comments(0)
去年は伊勢に向って一歩手前のところまで歩いた。
最後は松坂あたりから伊勢までゆっくりと歩きたいと思っているので
退職して自由になったら仕上げをしようととってある。

で、その後、東海道の1回目とか、脇の街道とかも行ってみたが
東海道ものちのちの楽しみに置いておくことにして今年は高野山に行きたいと思っている。
高野山はさして遠くなく、すでに歩いている人の記録を見ると3回ぐらいで到着するらしい。
距離にして、大阪から50~60kmというところらしい。
伊勢への170kmと比べるとかなり近い。

高野山への街道はいくつかある。
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上の写真は河内長野の駅前にある石碑で、ちょっと見えにくいかもしれないが
(左から)堺から始まる「西高野街道」
平野(大阪)からの「中高野街道」
そして京都からの「東高野街道」でいずれも河内長野近くで一つになる。

うちから一番近いのでまず、堺から河内長野を目指して歩いてみることにした。
1月3日のこと。
お正月なのに、よく晴れて全然寒くなくて、歩くのにちょうどいい気温。
時間は6時間ぐらい。
出発点は堺の「大小路」というところなんだが出発の時間が遅くなったので
阪和線の三国が丘の駅から歩きはじめる。
だいたいは国道310号線と並行した脇道で、たまに310号線を歩くところもある。
道には「西高野街道」の石碑がいくつもあって案内をしてくれる。
また南海高野線とも並行している。
このあたりは車では何回も通っているのに、歩くと印象が違う。

南海の駅で言うと百舌鳥八幡ー中百舌鳥ー白鷺(ここで泉北高速鉄道を越える)-
萩原天神(ここで阪和自動車道と交差)-北野田ー狭山ー大阪狭山市の少し西の方を歩くことになる。
310号がすぐ近くにあるので食べ物補給やトイレの心配も要らない。
(なんせ、初瀬街道はまったく店がなく往生したので・・・)

狭山池の少し西、「岩室」というところで、泉ヶ丘からのびる道路と交差する。
ここを横切って「スパヒルズ」というスーパー銭湯を上に見ながら狭い道を上っていく。
ここら辺まで道路の下が黄土色(よりベージュに近い)で舗装されているところがあるので
あまり迷わないで来て、きょうは珍しく順調に進んでいるな。と思っていた。

地図はあるけど、地図の通りに行っているのかどうかも不安な時がある。
私はネットで、すでに歩いている人の地図を参考にたどっているが
その人たちは文献やなんかで調べたんだろうけど
探すのは大変だっただろうな、と思う。
特に、私の参考にさせてもらっている人なんかは関東の人だ。
近くに住んでて、しかも車で何回も通っている、という私が迷っている。
(苦労するのは私が特別地図が読めないからかも)

まあ、そんなんで、そこらへんまでは順調に来たが
大阪狭山市がパッと下に見渡せる小高い所から下りてきた「おわり坂」というところで、
やっぱり迷ってしまった。
迷った原因は山の上にみえる「帝塚山学院大学」を
310号線のむこうにある「大阪狭山市第3中」と見間違ったことにある。
夫はあの建物は「どうみても大学や」というのに、私は「中学校」と主張した。
で、大学のもっと西側の道を取ったものだから「西山台」というかなり大きい団地の中に入ってしまった。

もっと広域の地図を持っていたらすぐにでも間違いに気がついたのかもしれないが
歩く地図は歩くところだけを拡大させている。
かなり詳細に付近の建物などを調べているつもりが地図の平面と実際の景色は違う。
「平面のものが立体となって見える」というのは歩いている時の大きな楽しみの一つだが
調べている、ということが、かってな思い込みをしていることもしばしばある。
特に私は思い込みが激しい。深く反省。
あとで夫に大学と中学との見間違いとを言われたが、返す言葉もない。
(夫はイヤミじゃないので執拗に言うわけではない。でも反対なら執拗に言うだろうなあ・・)

迷って、約1時間。
本当は明るいうちに河内長野に着けるはずだったのにそろそろ暗くなってきた。
もう街道の史跡もなにも見えなくなっているのでとにかく目的地に着こう、と
310号の車がビュンビュン走っている道を歩いた。
国道って本当に人が歩いてないもんだ。(だいたいこんな冬に歩く人なんかいないだろうし)
午後1時頃に三国が丘を出発して河内長野に着いたのは午後7時。
寒くなくてよかった。
だけど、これじゃあ、街道歩きではない。
悔しいので次回、間違ったところからやり直すことにする。


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# by nyanko715f | 2017-01-15 17:07 | 街道めぐり | Comments(0)
新年のまだ松もとれぬうち、2日続けて映画を見に行った。それも同じ作品。
なぜかというと、今回知らない俳優さんばかりの中、唯一知っているのが「ミケルセン」
そのミケルセンがまったく見つからなくて、やっとエンドタイトルのクレジットに役名を見つけ
「ね~~オルソーってだれ?」と夫にきくと、オルソーなんて知らん、という。
近くで聞いている人がいたら「それはオルソーじゃなく、アーソ!!!」と言いたかっただろう。
ね~~ミケルセンて、何になってたん?
え?おとうさんやんか!
え??全然わからんかった・・・・
ミケルセンって悪役ばっかりやからてっきり「皇帝」とかになって出てくると思ってた…(皇帝なわけないやろ!)
え~~~??もう一回始めから見せてくれへんかなあ・・・・

とか言っていたら、次の日、夫が、おい、もう一回見に行こう、という。
え??マジで??といいつつ、2回見れば昨日分からんかったことも見られるか?
と前代未聞、同じ映画を2日続けて見に行くことになった。

2回見れば非常によくわかる。
前半、あちこちの(わけわからん名前の)場所にビュンビュン飛ぶし、
誰が味方で、どういう役割で、どうやって集まってきたか、というのも
2回見ればしっかりわかる。
単純といえば単純な話で、40年以上前に作られた第1作に回帰する
アナログ仕立ての義理人情をしっかり盛り込んだお話。

1年ほど前に見た「フォースの覚醒」とやらの俳優頼みの核心のないものに比べるとよく出来ている。
「フォースの覚醒」もソロと息子の確執みたいなんをだそうとしていたが
息子がなんで、グレた(!)か、わからないし、その確執はとってつけたようなものだった。
このスターウォーズの路線がいつも「親子」を扱っているので
ソロ親子を描きたかったのだろうが、共感できるところがない。
が、こんどのアーソ親子の物語は泣ける。共感できる。
それも、ミセルセンの力。すべての物語の始まりはミセルセンが作ったのか…
ミセルセン。大した人だ・・・・(最初見逃してたのにぃ~~?)
2回目はしっかり確認してみました。最初の場面から出てました!

そして、ハリソン・フォードほどの知名度はなくても
存在感を十二分に発揮した「7人の侍」みたいな仲間。
特にアジア感満載のドニー・イェン。(中国映画ではブルース・リーの先生役?・・・どうりで・・・)
そして、悪の親玉、ダース・ベーダーの出は歌舞伎仕立てと思えるほど「タメ」がある。
ほかの人達の見せ場も散り際も、歌舞伎の「見得」にみえないこともない。
あ~~それに、K-2になっていたアラン・テユディックという俳優さん、
K-2にそっくりな顔しているのね。さすがだ・・・

戦争というのは古今東西、正義と平和のため、という大義名分はあるにしても
結局は人が死に、文明が破壊され、住むところが荒野と化す空しいもの。
それでもなくならないのは、闘争しなければ生き残れないから?
生物の性(さが)なんでしょうかね?
現在の中東あたりの状況を思いやってしまう。

音楽はジョン・ウィリアムスを下敷きに、そのまま使っているようで、
そこにいこうとして、ちょっと違う道を行く、みたいな。
最初の場面「遠い昔、銀河系のかなたで…」と続くメインタイトルで
チャ~~ン・チャン、ときてほしいのに、肩透かしを食らったような。
そのあとも、ジョン・ウィリアムスにいくようでいかない。という工夫。
あれほど個性のある音楽を凌ぐのは難しいですが、よく健闘していました。

私の年のせいで、第1作を見た時のような高揚感、わくわく感はないけど、
「フォースの覚醒」よりはずっと評価できる。☆4つ

これから隔年で公開される本編(ずっと時代がすすんでいくのが本編)の合間を縫うように
この番外編もあと2作はできるのだそうだ。
死ぬまでスターウォーズには付き合っていけそうだ。
良い悪い関係なしに、スターウォーズは見るから。
キャリー・フィッシャーに哀悼の意をささげる。


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# by nyanko715f | 2017-01-10 20:28 | 映画の話 | Comments(0)

今年を振り返って

今年もあと数時間で終わる。
このところ、ず~~っと年末とかお正月とかいう実感を伴わないのは
ひとつには天候のせいであるのかな?と思ったりする。
このところの冬は寒くないわけではないが、
たまにすごく生暖かい日があるし、冬の匂いのする風も吹かず、
なにより冬独特のどんより曇った日よりは明るい日差しの日が多い。

私は香川県の琴平、の出身だが、
ここはお正月、初詣でにぎわい、いかにも新年、という空気があった。
まわりには晴れ着の人があふれ、子供の私たちもとっておきの服を着せてもらった。
今住んでいるところにはお正月らしいふんいきの場所はほとんどない。
街は新年の飾りつけもなく、いつもよりずっとひっそりしている。
私自身も特別なことを何もしなくなった。
(というより、元日から仕事だし・・・)
だから・・・・・日付が次の月にかわる、という以外の感覚がない。

だけど、いちおう、年が変わるので今年がどうだったのか考えてみることにする。
今年は、1年の半分以上、野球のことしか考えてなかったような気がする。
夏にはオリンピックを楽しんだし、夏までの6か月もちゃんとあったのに
後半のカープ三昧だった日の印象が強すぎて、それで1年過ごしたような気がする。

実際は3月頃に街道歩きを始めて、夏まで大阪から伊勢に向って、
あと一歩というところまで進んだ。
ほかに柳生街道も行ったし、(ブログには書いてないが)竹之内街道、東海道も行った。
10月以降、ピアノの発表会もあったし、工場の仕事が忙しくなって
街道歩きは中断したが、また来月からでも始めたいと思っている。

ピアノの発表会は、直前に録音したものを聞き、あまりの下手さにひっくり返りそうになったが
下手ではあっても、表向き、大きな失敗はせずに終わった。
今の自分でできるのはこのぐらい。と思い切り、
と同時に、結果がどうというのでなく、とにかく一生精進していこう!
と決心した。
今は仕事を言い訳にしているが、2年後にスーパーの仕事を退職すれば
隔週のレッスンに戻し、毎日きっちり練習しよう。
弾ける日々は限りあるんだから、今の健康に感謝し、ちゃんとやっていこう。
と決心した。
とかいいつつ、今は全然できてない。
子供が、あとでちゃんとやるから~~とかいって、宿題を後回しにするのと似ている。

決心してもするかどうかは誰の知ったことでもない。
自分さえ、決心したことをすぐに忘れるかもしれないし。
だけど。とにかく、この時点ではそう思っている、ということだ。

うちの孫たちを見ていると、日ごとにできることが増えている。
数か月の周期で見ていると、その発達過程はすさまじい。
それに引き換え、老人の域に近づいている私は進歩どころか後退しているところもある。
かろうじて、意識の上では「現状維持」と思っているが。
何も変わってもいない今年の中で、ひとつだけ言えるものがあるとしたら
将来もできるだけピアノを弾いていこう、と強く思ったことだけだ。
思うだけならサルにでもできると思うのだが、
大目に見て、これが今年の収穫、ということで・・・・

今年、そこそこ本も読み、映画も見たが、全部忘れてしまった・・・・
それほど印象に残ったものはなかった、ということだ。
感動しないのはさびしいことなんだが、何を見てもあまり驚かないんだがらしかたない。

来年ものんびりと、わがままに生きてゆこう…

ではみなさま、よいお年を~~


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# by nyanko715f | 2016-12-31 22:06 | 日常のつれづれ | Comments(0)

私は地理とか地形にすごく興味があるわけではない。
だけど、ここが分水嶺、とかいわれるとフツーにちょっと見てみようかな、と思う。
しかも、日本中で一番低い分水界、とか言われるとそれりゃ見てみよう、という気になる。
この間行った「兵庫県丹波市」の中にその地域があり、
分水界のことを「水分かれ(みわかれ)」というのだそうだが水分かれ橋とか公園とかがある。

分水界、とは、日本を背骨のように通っている線で、
こっちに降った雨は日本海に。こっち側のは太平洋に、と分かれる地点のことである。
下の写真の日本地図に書かれた真ん中の赤い線が分水界だ
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そして、兵庫県にたてに黒い線があるが、その地点に丹波市がある。
分水界は日本の真ん中にあるので、たいていは高い山の上となる。
が、ここの丹波市にある分水界は高くても海抜100メートル程度。
上の地図ではちょっとわかりにくいかもしれないが
緑の部分は海抜100メートル以上。それより低いところは黄色で示してある。

東経135度とほぼ重なる地点は瀬戸内海から日本海まで100メートル以下になっている(のだそうだ)

「水分かれ資料館」というところに入ると係りの人がすごく丁寧に館内を案内してくれた。
そこで、「海面が100メートル上昇すると日本(本州)は東と西に分かれる」
と言われたが、どういう事か分からない。
すると、そこに日本の地形の模型があり(上の写真の上部)、
ビデオの説明と共に「海面が」というと、模型の上に実際に水が出てきて、
海抜100メートル以下のところは水につかってしまった。
東経135度線に近い線(上の地図の黒い線)は分断され、本州は2つに分かれる。
ハハン、こういうことなのね・・・(しかしこの模型、お金かけてるよなあ・・・)
実際、ここは川で日本海から瀬戸内海まで物資を運搬していたし、
日本海にしかいない魚が、瀬戸内海でみつかったことでも、
ここの川はしっかりつながっているらしい。

地形などさして気にしたことはないが、これは大変興味深かった。
もしここに来なかったらこういうことも知らなかったしなあ・・・

もし、自転車で日本横断しようと思えば(理論上は)ここが一番高低差がなく、
楽なルートということか?
実際道があるかどうかは知らない。
(それに私は、100メートルの差でも、ヒーヒー言うと思う)
(でも歩きならできるか?)

丹波市へは実は名産品(食料)をさがしに行ったのだが
1軒しか道の駅的なところによることができず
そこも夕方近くになってしまったのであまり物が残ってなかった。
だけど、買い求めた野菜は安くてすごくおいしかったし
丹波産あずきの大福もちはすご~~くおいしかった。
丹波篠山が「せいもんばらい」をしていたのに寄れなかったのは残念だったなあ・・
こんど、丹波篠山JAにいこ!
このあたりは食の宝庫だ。



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# by nyanko715f | 2016-12-16 13:58 | にゃんこの旅日記 | Comments(0)

明日発表会

先生は2年前から発表会の話をしていた。
遠い先のことだと思っていたのにそれがあと1日というのが不思議なことに思える。
そしていつものことだが「もう少しよく練習しておけばよかった」と思う。

TVで芸能人のピアノ大会があったとき、
芸人の一人が1日5時間弾いた、と言っていた。
1曲弾くのにでも5時間弾かなければいけないのだろう。
私は1日何時間弾いただろう?
平均すれば1日1時間もやってないよな…

2日前の昨日になって録音して聞いてみた。(本当はこんなときにするものではない)
あまりの下手さに愕然とした。
今まで弾いた曲の中で、どれもダメだったが、これはサイテイ。
自分でもダメ、と思っていたがこんなに下手だとは思ってなかった。
なにが、というと、この曲の本来の音とかけ離れている。
本当は聞いて癒される曲なのに、まあ、弾いている自分が癒されてないからだろうけど
平坦で直線的。音にしているだけ。
これじゃ聞いている方は全然いい気持ちにはならない。
とかおもうものの、これをいい演奏にしようと思うと生まれ変わらないと無理だ。
いまさらどうすりゃいいだよ・・・
だから・・・自分はせいぜいこんなもん。と思うことにした。

恥ずかしくない演奏をするというだけでも自信がない。
毎度毎度、発表会はイヤだな。とおもうが、避けて通れないんだよな・・・・
この2日間、私はまた、現実とは違うところにいる・・・・

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# by nyanko715f | 2016-11-12 10:29 | ピアノ教室 | Comments(0)

同窓会

先日、もと教師仲間の一人から電話があり、
もと私が勤めていた学校の教師の同窓会があるから来ないか?という。
せっかく電話してくれたこともあり、行きがかり上、行く、と言ってしまったが
私の在職期間はわずか6年であり、退職してもう30年以上たってしまっているので
行っても居場所がないだろうに、と参加の返事をしたことを後悔していた。

ところが、行ってみると、意外なことに
ほとんどの人は知った人であり、ほとんどの人は私のことも覚えている。
「Gさん(私の旧姓)ひさしぶり!」とみんなに声をかけられる。
どういう話の成り行きか、最後には次回の幹事に指名されてしまった。

私は現在の「にゃんこ」ではなく、音楽(教科)のGさんである。
結婚してからもその職場にいたのだが、今の名前で呼ぶ人はいない。
この時間、私は現在の私ではなく、過去の1時期に舞い戻っていた。

過去に赴任していた高校は新設校で、私は2期目に入った。
つまり、まだ2学年しかなく、教職員もそのとき2倍になったのだが
いっしょに赴任した教師たちはほとんど20代で、約半分は新任だった。
残念ながら生徒たちは問題があるものが多く、成績は低迷しているし
おまけに1クラスに52人。それが12クラスありマンモス低迷校だったから
若い我々の労働量ははんぱじゃなかった。
しょっちゅう、なんかの会議があり、始まると夜中まで続く。
就職して初めての学校だし、みな若く、やる気満々でそれが普通だと思っていた。

仕事もよくしたが、たいへんなだけに教師同志はみな仲がよく、よく遊んだ。
少しでも早く帰れる日があると、すぐどこかに繰り出して議論しながら飲んだ。

昨日集まった人たちはほとんど同じ世代で、退職しているか、または再雇用でまだ教職をやっている。
いずれも40年ちかく教職を続けてきた人たちだが
あの時代、しんどかったけど、楽しかったなぁ・・という。
だからいまだに教師の同窓会などやっている。
やればすぐあのころに戻る。

私はきょうも朝から仕事に出たが、きのういた過去の世界からまだ完全に戻ってなくて
自分の身の置き所に少々戸惑った。
しかし、同窓会が異次元であるのは間違いない。

人は年を重ねるにつれて、どんどんとサークルが多くなる。
それらは重なっているものもないことはないが、たいてい別々に円を描いている。
相対する人や場所、事項はサークルごとに違う。
どんなに親しくても、どんなに近くにいても
どれもすべてを知っているのは本人一人でしかない、というのは当たり前の話なのだが
改めて考えるとすごく面白く思う。













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# by nyanko715f | 2016-11-06 20:45 | 日常のつれづれ | Comments(0)

カープの敗戦

先日、文楽「勧進帳」を見ていて、
華々しい戦績を挙げた武将(軍団)が次の戦いを挑まれ、
北の地に行って敗戦する、って・・・・なんか今年の日本シリーズみたいじゃない?
とか思った。
頭の中にまだ日本シリーズの敗戦が残っているのでなんでもそれに結び付けてしまうのかもしれないが
今年セ・リーグではダントツ強かったのになんで負けたんだろう?とずっと思っていた。

が、数日たってネットなんかでいろんな人が評しているのを見て
勝つには勝つ理由があり、負けるには負ける理由がある。と思った。
いっとき、カープはチームとしてまだまだ未熟だ、とか思ったが
それもあるかもしれないが、やっぱり勝敗の行方はちょっとした采配の妙で、
紙一重だったようにも思う。
でちょっとした采配が勝つ理由、負ける理由だったように思う。

あまりにも不確かなことばで申し訳ないのだが
物事がこうなる理由には30(だったか100だったか)の要因がある
というのをきいたことがある。(その現象に名前が付けられていたのだがそれも忘れた・・・)
表にはそれは「選手のかえどき」とかしか言われないけど
そこへ行くまでにいくつもの要因があるから負けるべくして負けたのだろう。

その後、黒田の引退会見なんかがあり、
黒田は野球人生に悔いなし。カープにきて本当によかった、と言っているし、
ほかの選手は日本シリーズに負けた直後にもう練習しているし
(それを新井はカープでは当たり前のこと、と言ってる)
(あの大投手の)山本昌もいい試合だったと言っているし、
今年はこれでよかったのだ、と思おう。

栗山監督は、北海道に帰る時
勝ったからって「チャラチャラするな」といったそうだが
それもなんか今の(世代の)時勢を表しているようで面白かった。

黒田がやめ、三浦がやめ、もうほとんど40代の選手がいなくなったから
選手カラーもかわってくるのだろう。
プロ野球なんて私には遠い世界の出来事でどうでもいいことなんだけど
今年楽しみを増やしてくれたことにはたくさん感謝する。

<追記>(文中のあまりにも不確かな言い回しについて)

思い出した…
「ハインリッヒの法則」だ!・・・・
ひとつの事故が起こったら、その背後には29件の「軽傷」があり、さらには300の「ヒヤリ・ハット」した障害のない災害が起きている。という保険屋さんの論文にあった法則だ。




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# by nyanko715f | 2016-11-05 10:30 | 広島カープ | Comments(0)

勝負は時の運

「勝負は時の運」というと、娘が「運も実力のうち」という。
確かに力が及ばなかったなぁ…・(もちろん、日本シリーズの話です)
というより、シーズンで使い果たした。最後まで見据えてなかった。
(1986年の3連勝して4連敗したときの再現。)
ということはやっぱり力が及ばなかった。ということで。
とにかくしんどい応援の日々は終わった。
今年は長く楽しませてもらってよかった、と思おう。

しかし、なんなんだろうね・・・
自分に関係ないことで有頂天になったり落ち込んだりするのは?
きょう、球場で泣いている人のニュースを見て
同じように思う人はいっぱいいるんだ・・・と思ったけど。
だけど、私には他人事。私には私ですることがある。
自分の生活が大事。(と言い聞かせる。)なんとも・・・
ピアノの発表会が迫っているというのに野球どころではないはずだよ…

さて、野球はともかく
きょうは大阪マラソンの日。
息子は第2回から毎年出ているのでいつも同じ場所に応援に行く。
最後の難関の南港大橋の手前(距離で言うと37キロ地点)
ここで走ってくる息子を見て、今年はゴール地点も見に行った。
とにかくすごい人。
走っているのが3万人。
見物&スタッフなど入れると130万人とか140万とか。
電車も混むはずだ・・・・
よくこれだけ42キロも走れる人がいるもんだといつも感心する。
私など20キロ歩くのもやっとなのに、数時間で42キロも進むんだから。
今年はノーベル賞の山中伸弥さんも走ったんだってね。
3時間42分というからかなり速い。たいしたもんだ・・・

ゴール地点も人がいっぱいでコースには近寄れない。
が、ぎりぎり見られる一番近い所に陣取っていると
ゴールした息子を見つけた。
37キロ地点ではすごくしんどそうで機嫌が悪そうだった息子も
ゴールの瞬間はうれしそうだった。ほっとするのだろう・・・
ゴールを見届けて帰途に就いたが
これまた、大阪市内に帰る駅に行くのさえ延々と続く列に従わなければならない。
走り終えて、満足そうな人たちに交じって電車に乗ったが
電車内で倒れる人あり。駅で倒れている人あり。
そりゃそうだろう。と思う。
走っている時は夢中だもんな…どうか後、お大事に。
息子は終わっていったんうちに帰ってきたが、すぐに遊びに出かけてしまった(そうだ)。
最初にフルマラソンを走った次の日、2階から下りてくるのさえやっとだった時と比べると
今はずいぶん慣れたのだろうと思う。

さて、私の方は大阪市内に出たついでに楽器店で楽譜探しをし、
ついでに文楽劇場に行って幕見席があったので最後の「勧進帳」だけ見てきた。
この話はまた後日。

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# by nyanko715f | 2016-10-30 23:58 | 広島カープ | Comments(0)

「ハドソン川の奇跡」

やっと(!)CSが始まった。
終盤にきていっそう勢いのついたDeNAがそのまま突っ走ってきた。
巨人はなんか、どんよりしている。
たまに、9回の坂本みたいに、振ってみればホームランだった、という
いきあたりばったりの進めかたで、流れが感じられず、
きょう、豹変しない限り、DeNAがそのままいきそうだ・・・
ホントのところ、のっているDeNAとはやりたくないので巨人にでてきてほしいかな・・・

CSファイナルのチケットはやすやす手に入るだろうと思っていたのは大間違い。
今期は通常の試合のチケットさえ手に入らないのだからCSなどぜったい無理だった。
だけど、チケットピアが抱え込んでいるのを特別手数料なるものを加算して(いってみればプレミア付きで)
発売しているのでまだ(広島に)行くことをあきらめてはいない。
が・・・・優勝からかなり時がたって・・・・・あの感動を忘れかけてきたなあ・・・
チームも終盤の試合感覚を忘れてなければいいが・・

野球のことはともかく・・・・
見るつもりはなかったのだが、評価がけっこういいので
「ハドソン川の奇跡」を見に行ってきた。
(この原題はなんだろう?・・ハドソン川の奇跡、って日本語すぎる!)

さすが、クリント・イーストウッド監督である。
トム・ハンクスにとっても最高の映画になるのではないかと思う。
トム・ハンクスはこれまでも作品に恵まれているなあとは思っていたが
この人の演技力をあまり信じてなかった。
しかしこれは、ほとんど起伏を見せることなしでこれだけ映画を引っ張っていくのだから
見直した。
グリーンマイルの看守の感覚に似ているが、さらに、数段上の俳優になった気がした。

映画はとても丁寧に作られている。
今はスピードとCG合戦みたいな映画が多い中、
アメリカにも静かに人の心に浸透する映画があったんだ・・と再認識する。

映画が始まった時には「事件」はもう終わっている。
エンジンに鳥が飛びこんで、操縦不能となり、川に不時着する決断を下した。
全員が生還し、機長は英雄となった。
「よくやった」と言われるのかと思ったら、調査委員会で
「引き返せるはずのところ、川に墜落(!)し、乗客を不安に陥れ
さらに、救援のものなど大勢の手を煩わせた」という懲罰されかねない状態になる。
英雄扱いされつつ、一方で「罪人」のように審判をまつ立場となる。

大事故ではあるし、当時、ニュースを沸かせただろうけど
人命にかかわる深い事件を、「しずかに」「着実に」掘り下げていく進め方がすごい。

時間は、行きつ戻りつし、
事故の様子は何回か再現されるが、それは単なる「繰り返し」ではなく
必要に応じて、効果的に現れる。
時系列の組み立て方がうまい。

ひじょうに地味な映画で、観た後の心の残り方も衝撃的、というのではないが
「点滴」みたいに心に落ちていく映画ではないか、と思う。


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# by nyanko715f | 2016-10-09 08:58 | 映画の話 | Comments(0)
待ちに待った瞬間がやってきた。
2アウトで、ダッグアウトから飛び出す準備をしている選手を見るのは25年ぶりなのか・・?
そんなにあれから年月が経ったのか…
まだ負けるとは決まってないんだからそこで一念発起して試合をひっくり返すぐらいの巨人なら見直すが
残念ながらあそこになって胴上げ阻止をしたプロ野球の試合は見たことがない。
高校野球ならじゅうぶん、ありうる。
巨人も例外ではなく、最後の打者は期待通りアウトとなり、グラウンドに選手が飛び出してきた。

おもむろに、なるべく平静を装ってゆっくりグラウンドに出た黒田は新井と抱き合った瞬間
泣き崩れて、そのあと、監督の次に胴上げされて・・・・・
大リーグで闘ってきた大投手なのに、何億円(何十億円?)を蹴って古巣に戻り、
そして、この時を迎えて、それはそれは嬉しかったのだろう・・・
大リーグのどの時よりも感激していそうな面持ちに、
この人はほんとうに、お金でないんだな・・・・と思った。

というのは・・・ますぞえ元知事だったか、兵庫県のなんとかいう議員だったか・・・
そういう人たちが公共のお金をちょろまかしてせこいいいわけをして、
保身にいそしんでいるのと同じときに、たまたま朝日新聞のサイトで黒田の
プロ野球に入る前、入ってから、大リーグに行き、また帰るまで。の
記事を読んだ。
何億の契約金を蹴って広島に帰ってきた。
世の中、大事なのはお金じゃない…生きる姿勢だ…同じ人間でこの人たちとなんという違いだろう・・・
と黒田を見て思ったが・・・・(そういう私はお金に汲々してる・・)

ピッチャーとしては年齢のピークを過ぎ、万全ではない。
しかし、その黒田の指示を聞き、黒田が投げるなら何とか守り立てよう、とか・・・
きょうもその場面があったが、黒田が三振して2アウト。
次のバッターがすぐにアウトになれば黒田はすぐにマウンドに立たなければならない。
だから、なるべく時間を稼ぐためにたとえ3アウトになるとしても時間を稼ぐ。
黒田が次の投球に入れる準備をするまで打席でねばる。
相手のピッチャーに長く投げさせる。というチームプレイをする。
これが広島のいいところだと思った。
それにとにかくよく走る・・・・
昔、黄金時代も本当によく走るチームだったが、
今年も塁に出ると走りまくる。(ちなみに盗塁数、カープ113、阪神56)

今頃、広島の街はおおさわぎだろう・・・
自分にまったく関係のないことなのにこれだけ喜べる・・・・
今までは負けが多くて、結果を見るたびに落ち込むことが多かったが
今年はよく元気づけてくれた。
他人事のこんなことで元気になれる、という自分がうれしいな、と思う。

これから・・・・このチームの状態なら心配することないのかもしれないけど
勝負は時の運。なにがあるかわからない。
CSは今まで破れているだけに安心はできない。
だけど、まだ、楽しみはしばらく続く。
一回でも球場に行ってみたいと思うが、今期の試合はどこの分も売り切れだ。
経済効果は三百億円以上といわれている。

4チャンでやっていた、安住とタケシのニュースショーでもニュースランキング1位になってる。
国民的出来事なんですぞ!
なのに・・・・関西はとてもひっそりしてる・・・・

だけど、だけど、きょうが巨人戦で、TV中継があり、ちゃんと録画もできたので、
このあいだ、阪神が勝たなくて怒ったことは帳消しにする・・・
試合に勝って優勝して、しかもNHKの大野の解説で聞くことができて本当によかった…




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# by nyanko715f | 2016-09-11 00:24 | 広島カープ | Comments(0)
このごろはずっとネットで「Vの瞬間を心待ち」というような記事ばかり読んでいる。
最短Vの日は明日で、そうなるかどうかは分からないが
しかし、なんと、関西のTV放送には中日との3連戦の放映などどこにもない。
25年前の優勝戦は放映された。それは相手が阪神だったからだ。
今年は明日の予定、阪神ー巨人戦はあるが、広島戦はない!
関西には広島ファンはいないと思っているのか!

あ~~広島に行きたいよ…
広島で真っ赤に染まる街を見てみたい…

だって、街全部が、どの店も半額とか、無料とかセールやってて、
え?阪神のときは大阪もそうだったか?・・・・
そうかもしれないけど・・・・
だけど、広島は特別。

数年前、ロッテが19年ぶりっていったか・・・・
で、横浜も今はDeNAはあんなんだけど・・・一時すごく強い時があって
そのときも、大洋の優勝からしたら何年振りで。。。。(いや何十年か?)
だから、まあ、じゅんぐりではあるんだけど、
我慢していたらいつかは日の目を見るってことだ…

うちの娘が、「もうお母さんの生きてるうちに優勝はないな・・・」とか言ってたが
あったではないか!
精進しているとどんなこともきっと日の目を見るよ。
できたら地元で決めてよね・・・
(きょうのところ、巨人、勝ってるよ…明日はなさそう・・・・)

こんなものも売られてます。買おうかな・・・
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# by nyanko715f | 2016-09-06 20:37 | 広島カープ | Comments(0)
今回は奈良市柳生町から奈良中心地まで約20キロの柳生街道を歩く。
同じ奈良市内だし、高低差もせいぜい300か400ぐらいなのでどうってことない、
と思ったこの街道、予想をはるかに超えてきつかった・・・

奈良駅から柳生行のバスに乗り1時間足らずで柳生停留所に着く。
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(バス停付近の駐在所。ちょっと趣のある建物)
ここはかつて柳生石舟斎が開いた剣豪の里で、
バス停付近はのどかな田園地帯の風景が広がっている。
雷で枯れた、という十兵衛杉や家老屋敷、八坂神社、
小高いところにある柳生一族の墓のある菩提寺である芳徳寺を見学し
そのあといよいよ東海自然歩道にはいる。
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(家老屋敷正面。かつて山岡荘八が住居にしていた。今は文化財となっている)
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(柳生家の菩提寺である芳徳寺裏にある柳生一族の墓所)



街道はいたるところに道標があり、迷うことはない。
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杉木立の中を山越えして行くのだが、このあたりから「虫」が目の前をブンブンとびまわる。
人の体温に寄ってくるのだと思われるがここからかなりの道のり、
この虫を追い払うのに多大な労力を要する。
途中出会った人は虫よけスプレーをまき散らしながら歩いていた。
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(倒木もあり、歩きにくいが、それより、虫!うっとうしい!・・・ やぶ蚊だろうか?)

私は夫の前を歩いていたが私のリュック側にも虫はたかっており、見ると気持ち悪いという。
前しか見えないのはまだましかもしれない。

疱瘡地蔵徳政碑のところから杉木立の中を上り下りして山を抜け、
田んぼ道にはいったところに「おふじの井戸」がある。
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ここの殿様が、のち側室となった「おふじ」に出会った逸話のある井戸だ。(見た目、なんの変哲もない井戸)
井戸の少し先が「南明寺」というお寺。そしてさらに田んぼの中を進み
奈良市青少年活動センターでトイレを借り、小休止する。(ここまでバス停から2時間半)
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(一面緑のたんぼ。一ヶ月先には一面、黄金色になるのだろう・・・)

ここからまた田んぼの中を抜けて夜支布(やぎう)山口神社へ。



ここから(一回道を間違えそうになりながら)円成寺まで山越えをするが
この経路は、街道歩きの達人でも「つらい」と書いてあったが
虫よけと、おもに上りの山道とでたいそうつらかった。

着いたところは「忍辱山(にんにくさん)円成寺(えんじょうじ)」という名刹で
国宝にも指定されているというが、見学をする暇も気力もなく次なる東海自然歩道にはいる。
ここまででも十分きついと思ったがここから「滝坂の道」と言われるコースで
近鉄の発行しているガイドブックにずいぶん楽しそうなハイキングの絵地図があるが、
なんのなんの、円成寺から奈良中心地のほうがずっときつかった。

自然歩道に入るとかなりの区間、上りが続く。
1時間ほど行くと車が通る道と合流し、車とすれ違うので要注意だ。
突き当たったところでどっちに行くか、迷った。
地図をよく見て、「江戸時代の石灯籠」がない方に進む。
しばらく行くと集落があり、八柱神社の前、公衆トイレがあるが
これはほかの人も書いてあったが、ずいぶん立派なトイレでびっくりする。
さて、このあたりから遠くに雷がきこえ、雨の気配がする。
これは遠くないときに来るな、と警戒する。
トイレを過ぎたところでやっと「峠の茶屋」がある。
これはどの人のブログにもあり、朝早く出ている人は休憩できただろうが
私たちがついたころには茶屋は閉まっていて、あたりはかなり暗くなってきた。
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茶屋を過ぎてすぐ、「地獄谷石窟仏」に向かう歩道を進めばよかったのだが
道が狭く険しそうなのもあって、距離が短そうな車道を進んだ。
これがわざわいした。
「奈良奥山ドライブウェイ」と交差したところに
ここは人や自転車は通行できない、と書いてある。
しかし、歩道はなくドライブウェイを行かないと道がない。
どっちに行けばいい?と地図と格闘している時、突然、槍のように雨がやってきた。
合羽は持っているので急きょかぶって雨はしのげるが道は迷うばかりだ。
たぶんこっちに行けばいいだろう、と見当をつけて雨の中を進む。
山の中の雨は激しく、足元びしょびしょ靴の中まで水が入ってきた。

そうこうして奥山ドライブウェイを進むうち、やっと自然歩道に入る道を見つけた。
その前に「地獄谷」へのほうを選んでいっておいたらここにすんなり入れただろうが
しかし、これは曲がりくねっていて距離も長かったから
どっちにしてもこのあたりで濡れネズミになったのはまちがいない。

ここからの自然歩道は、奈良春日山原生林まで普通に行けば一時間ちょっとぐらいで抜けられるところだとおもうが
雨が激しくて下りの道は滝のように水が流れてくる。
川の中を水と共に下っていく。
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(こんな道を、雨は川になって流れ、その中を下っていきます)

雨の中をずぶずぶの靴で歩くのはとてもつらい。
しかも、自然歩道の道標に「首切り地蔵○キロ」「春日山石窟仏○キロ」いろいろ書いてあって
「春日山」に行けば奈良中心地じゃないか?などとあたりをつけて進むと
また同じような道標があり、結局同じところをぐるぐるまわって遭難状態になった。
雨で地図が見られないのであたりをつけて進むしかないのだ。
とにかく「首切り地蔵」に行こう、とぐるぐるをやめて、「首切り地蔵」に到着。
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(自分で撮れなかったのでHPから借りました。)

このへんでやっと雨がやんできた。
ここから「朝日観音」「夕日観音」という磨崖仏を見て街道終着に行くのだが
首切り地蔵からの石畳が雨に濡れて滑りそうですごく危険だ。
しかもあたりは日暮れのように暗い。これ以上暗くなるとここは歩けなかっただろう。
だけど危険だからと言って迂回する道もない。
まだここで五時前、という時間に救われた。

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(朝日観音の写真。自分で写真が撮れなかったのでよそのHPから借りました)
「朝日観音」は鎌倉時代に彫られたものだそうで、お天気が良ければさぞ見事だっただろうと思う。
しかし、見るどころでなく写真を撮ることもできず、
このあたりひたすら、滑り落ちないように気をつけるだけだった。
現に夫は一回すべって転んだ。捻挫してなくてよかった。

ここを過ぎ、「白亳寺」に行く交差点に降りてきたときは本当にほっとした。
ここは春日神社の裏手にあたり、春日神社まではたくさんの人が(気楽に)観光に訪れるだろうけど
ここをほんのちょっと越えて「滝坂の道」へ入ればきつい街道が待っている、
ということを知れただけでも良かったと思う。

その日は春日大社の万灯篭の日で、
春日大社の前の「荒池」にも、興福寺下の「猿沢池」にもたくさんの人が集まりかけていた。
もちろん、春日大社の中を目指してたくさんの人が駅から上ってくる。
日暮れまでにはあと一時間ほど。
万灯篭の光景はさぞ美しく、見たい気持ちは満々なれど、
靴はぐしょぐしょで足元濡れたまま、というのと
駅近くのいつも行く洋食屋さんでご飯を食べた後、戻ってくる気力がなく、
今回、万灯篭はあきらめた。
その代わり、JR奈良駅でミニ灯篭をしていたが、これはしょぼかったね・・・


雨にもたたられたが、らくらくいけると思っていた柳生街道は思っていた数倍、きつい街道だった。

帰って、夜中に足がつってはいけないので(前の青越えのとき、夜中足がつった)
お風呂でよくマッサージして、湿布を貼って、万全の備えで寝たので今回は何ともなかった。
しかし・・・である・・・足のひざの下、血が出ている。痛くはない。
次の日、夫を見ると、同じ個所、同じように血が出ている。
虫に噛まれたあとに見える。
目の前をブンブンしていたのは「蚊」と思う。
だけど、ときおり、ズボンの上からかみついているのがいたり、
服の袖から入ってきたりするのがいて、それを払うのも必死だった。
だから、そのうちのどれかに噛まれた痕だと思う。パジャマに付くほどけっこう血が出ていた。

痛くもないし、どうもないけど、数日たっても痕は消えない。
そんなときに「マダニに刺されて脳炎で死亡」のニュースを知った。
きょう、TVで詳しくやっていたが、マダニの唾液からウィルスが入る。という。
野や山の草むらで刺され、刺されたことには気づかぬまま潜伏期間がかなりあるという。
マダニは衣服の上から刺すことはない、というので安心しているが
しかし、何かに刺された跡がずっと残っているのはこの時期不安なものである。
今までこの時期に山歩きも相当やっていたが、昨今のマダニなどの凡例があるととても心配だ。
歩くのにももっと厳重な装備、虫よけスプレー、ステッキは必需品だ。
それと・・・ほかの人のHPやブログなどもっと読んでおくんだった・・・
ここには迷ったところとか危険なところとか、ちゃんと書いてある。
なめちゃいかんぞ・・・街道歩き…




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# by nyanko715f | 2016-08-16 21:05 | 街道めぐり | Comments(0)
初瀬街道がもう何回目になるのか・・・数えてない…
ただ、歩きはじめの地点がとても遠くなっている。
これでは歩きはじめる時間が遅すぎる・・・ということで、今回は近鉄特急を奮発した(ケチな私が特急料金を出した…)
特急はアホみたいだ・・・・・アホみたいに早く着く。ということ。
急行で止まり止まり行っていたのが榊原温泉口まで4つしか止まらず、1時間ちょいで着いた。
いつもより歩きはじめが1時間は早い。

榊原温泉口の駅の裏には「ルーブル美術館」みたいなものがあるらしい・・・(とてもあやしい・・・)
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榊原温泉口駅(ここは三重県津市)から次の大三(おおみつ)の駅までは田圃道と街道を歩いて約1時間あまり。
大三を過ぎるとすぐに「二本木」という宿場のあったところがあるが現在その名残はあまりない。
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               (二本木から雲出川川沿いに行くまでの道。)
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   (その道にあったマンホールのふた。夫はすごく珍しいから写真を撮っとけ、といったのですが。)


ここから雲出川、という川沿いに歩いていくがそこは桜並木で、春には絶好の景色が見られるだろうと思う。
延々と川沿いの道を歩き、大仰橋を渡ると旧大迎宿に入る。
街道の雰囲気の残る道をどんどん進むと少しのぼりになり「谷戸峠」を越える。
これは付近で「ボタン石」がでるので「ボタン峠」ともいわれるらしい。
峠を降りるときにはるか向こうに海が見えた。
伊勢湾の海だと思う。
向こう側の海が見えるところまできた、というのは感動だった。
ここで県道にでるところに明治時代の常夜燈(なかなか立派なもの)がある
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きょうの道筋にはコンビニもドラッグストアもあり、飲料供給には事欠かない。
前回の、6時間まったく何の店もない地域のほうがまれなんだとおもう。

途中から近鉄線の「川合高岡駅」にいくか、名松線の「一志」という駅に行くか
道が分かれていたが名松線など今後も見る機会がないだろうからと思い「一志」の駅に行ってみる。
この辺では「無人駅」はいたるところにある。
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当たり前だが、誰も人がいず、電車が来ないときにはとても駅とは思えない。
「一志」から一体どこに向かうのだろうと駅名を見ると
「伊勢鎌倉」とか「伊勢興津」という地名が見える。きいたこともない・・・
美杉村とか御杖村のほうに向かっていくらしい。
御杖村は伊勢本街道を調べている時に聞いた地名だ。
こういうローカル線の旅もいいかもしれない。と思った。

一志の駅を過ぎると「八太」という宿場跡にでる。
ここは「八太の七曲り」といって街道が左右に曲がりくねっている。
(これは以前、奈良街道にもあった)
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近鉄線を近いところに見ながら田んぼの中を歩く。
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「小川橋」というところを渡るとこの先が「伊勢中川駅」
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街道は駅に向かわず、名松線に近づく道をたどっていくのだが
伊勢中川が特急が止まるので今日の終点はここにする、と決めてあった。
ほかの人のHPを参考に、伊勢中川に着くのは午後5時半ごろと予想していたのが
なぜか、4時過ぎに伊勢中川の駅に着いてしまった。
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伊勢中川駅周辺の地図を見ていた時、偶然に
“F・DINING”というエビ中心のレストランがすごく気になったが
ここは夕方は5時からしかやっていないという。
今は4時20分ごろ。え?ここで30分以上待つ?とかいいながらも、
おなかはすくし、中川駅の回り、ネットではいろいろ店はあるように書いているが
駅の立派さに比べて人もすごく少なく、閑散としている。
普通、駅ビルには店の何軒か入っているだろう、とおもうのは都会人の思い込みで
駅には広い地下道と待合室、そして、隅っこに近鉄の切符売場があるだけ。
自動販売機もない。(ああ、ホームにはいればコンビニがあります・・・)

せっかくあたりをつけた店だから表だけでも見てみようか?
と“F・DINING”の店の前まで行ってみた。
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もちろん、5時からと書いてあるが、ドアを開けたら開くので
(ずうずうしい)夫は中に入り、「まだですか?大阪から来たんだけど・・」
などと交渉している。向こうにはむこうの都合もあるだろうに・・

そしたらそこは仕出し弁当もやっているので、
この弁当の配達が終わったら開けますので店の中で待っていてください。
と親切に中に入れてくれた。(やっぱりいってみるもんか・・?)

そこで「シェフのお勧めディナーセット」をいただく。
大エビのフライをメインに、エビサラダ、エビてんぷら、エビマヨネーズ、それに小鉢ふたつみっつ、ご飯、味噌汁、など盛りだくさん
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なかなか多彩なメニューーにリーズナブルなお値段。けっこういけます・・


伊勢中川は三重県松阪市。
初瀬街道は近鉄線の駅で、中川の次の「伊勢中原」という所を少しばかり行った「六軒の追分」というところが終点。
そこで名古屋方面から来た伊勢街道と合流し、松坂の中心地を経て伊勢にいたる。
今回終点の伊勢中川からするとあと一回半で伊勢に着くだろうと思われる。

しかし・・・行き帰りの電車とかさまざまな都合を考えて
あとの行程はできるなら途中で一泊して昔のお伊勢参り気分で到着したい。
泊まりができる身分(つまり退職してから)になってからに残しておこう。
というわけで・・・・伊勢に向かう街道歩きは今回で中断。ということにしました。
(なんか、・・・今、伊勢まで行ってしまうともったいない気もするもんね…)

で、次回からは「高野山」に向かっていくか…それとも、
関西の古道といわれるところを単独で行くか・・検討中です。
半日しか歩く時間がない。というのはつらいですね…
とにかく、退職して、悠々自適の身分になれるのを楽しみにします(なれるはずないのだが・・)



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# by nyanko715f | 2016-08-11 09:05 | 街道めぐり | Comments(0)

本屋大賞、というのがいつ設定されてどういう本に贈られるのか知らない。

もっとも売れている本なのか?それとも本屋さんが売りたい本なのか?

今は本も売れない時代だからどうにかしてたくさんの人に読ませようとしている。

そのブームにうまく乗っかったのが本屋大賞なのか?

もしもこれが一番多く読まれていて人気がある本、とすれば、

刺激の多いこの時代に、あえてほんわかした(それこそ羊の感触のような)心地で、

草食系男子(まさに、羊のような)を主人公にして、

悪い人の出てこない癒し系をねらったところがよかったのだろうか。

しかし、これは・・・・(実は私は内容を全然知らずに読み始めたのだが)

ピアノを弾く人間にとって「音」または「音楽」を追求するという意味では

ひじょうに難しく、深い内容を持っている問題を軽くいなされた気がする。

読んだ人が感じ入っているのは、どの部分なんだろう?

よくいえばある意味、哲学的なんだが、内容が難しくはなかったのか?

音楽(演奏)に対する表現が

「端正」「つややか」「音がはずんでいる」「色彩にあふれている」・・・・・

という、私のような表現の貧しい素人でも言えるような

抽象的なことばでしかつづられていないのは、プロの作品としては物足りない。

それはこの作家の表現のスタイルで、あえて深いことは言わず、

浅いところでぐるぐる回っているだけ、という狙いかもしれないが

心にずしんと来ることがないまま、物語は終わった。

しかし、一人の人間の17歳からの成長物語として主人公側から見ると

5年ぐらいの間にはせいぜいこのぐらいのことしか得られないだろう、

という気はする。

5年で深いことが会得されるはずがない。

それにしても・・・・だ・・・・

たとえば・・・先輩についていき初めて個人の家を訪問した時のエピソード・・

「ピアノの前に椅子が二脚あるのはきっと、ピアノを習っているからだ。

先生がここに教えに来てくれているのではないか。」

たとえ新米でも調律師さんの認識はこれくらい、とこの作家は思っているだろうか?

それと非常に気になるエピソード・・・・

ある家に行き、ひじょうに短時間でさっさと調律を済ませてしまった調律師がいる。

その調律師の言い分。

『その家の弾き手は小学校高学年。それでまだバイエルをやっている。だから熱心ではない。

その子に、ものすごく反応よく調整したら、技術のない人にはかえって扱いづらい。

お客さんに合わせて、粗が目立たないようにわざとあんまり鳴らないピアノに調整してる。』

そんな調律師がいる。というエピソードだろうか?

しかし、その調律師は「ひとかどの人物」という設定なので、ある程度、肯定して書いているか・・?

もし、うちも「この人のピアノはこの程度でいい」と調律されているとしたら・・・・怖いよね・・・・

それともうひとつ・・・すごく単純に・・・

プロのピアニストを目指す人って、高校生ぐらいで決意するんだろうか?

逆に、高校生ぐらいから本気になってプロが目指せるか?

もうひとつ・・・・純正律で調律したピアノは転調したらどうなる?

たいていの曲は転調するけど・・・

それと。。。。二年目ぐらいの駆け出しを、身内で(またはお客さんが)ほめまくるな。

実際そんな腕が持てるわけがない・・調律はそんな甘いもんじゃないよ。

と、調律に日夜、頭を悩ませている私は思う…

とまあ・・・いろいろ文句は言ったけど

音を風景に置き換える(言い換える)とこうなるのでは?

という試み的小説?とおもえば、まるっきりダメ、っていうわけでもないが

しかし、「羊と鋼」の思いつきに頼りすぎてない?

「小犬のワルツ」以外の曲名もなく、

大物ピアニストまで登場する音楽小説にはちょっと驚きがある・・・

また、この作家が長年ピアノと付き合ってきてまったくの門外漢ではないらしいのにこの内容なのにもちょっと驚き・・・・


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# by nyanko715f | 2016-08-08 20:54 | 本はともだち | Comments(0)
とかと題名を書いてみても、え?こんな演目あったっけ?といわれそう。
それもそのはず、これは井上ひさしの文楽のための書き下ろし作品。
『義太夫節は現代人にとって難解なものであるようだが、根元的には大衆芸能であることを再認識するための試みのひとつ。』
ということで作られたものであったらしい。とはいえ、最初は昭和47年にラジオ放送で、翌年、人形を入れて放映されたけど、文楽として舞台で上演するのは今回が最初、ということらしい。
作品はモリエールの「守銭奴」を下敷きに、登場人物をそのまま、江戸時代の日本におきかえたもの。

いつもの「字幕」はなくて、だからいつもの古典よりは聞いてわかるような平易なことば。
たまに、「現代語調」「ええいいわ」とか「なんとおっしゃろうと私は平気よ」とか。
ですが、筋運びはしっかり文楽の範疇からははみ出ていませんので、ご安心を。

出てくる言葉も、まるで博多華丸がいうようなあやしげな格言とか、ダジャレ、ギャグが
品が悪くならない程度に入ってわらえるところいっぱいだし、
古典の名セリフのパクリ、音楽(節)もぱくっている。
だいたい、出てくる人がみんなどこか「おとぼけ」だし。

で、文楽特有の、なに!この展開?!というビックリポンがあって、
とても楽しい演目だったのだが、1時間は短かった・・・・

番付(床本つきプログラム)を買い、読んでみると
今回、朝の公演の「新編、孫悟空」も面白そう…
写真を見て、だけだけれど、舞台はちょっと「ライオンキング」を思わせるような背景。
こういう新作は今までに見たことのない背景を見るだけでも価値がありそうですね…

で、その「守銭奴」文楽版・・・・・
とても面白く、
いつものことだが人形遣いの桐竹勘十郎の顔を見ているだけでも堪能できるのだが・・・

たとえば・・・・
ピアノの発表会で、現代曲とか今はやりのものを編曲したものとか、
こういうのはこどもたちも弾いてみたいと思うだろうし、お客さん受けもいい。
そういう中で、モーツァルトやベートーベン、または定番曲が出てくると
やっぱりこういうものには100年も200年も生きてきた力があるな、と思う。
新しいものはそれはそれで素晴らしく、その時は楽しめるのだが
古典が出てくると、それらのほうに揺るがぬ力を感じてしまう。

文楽などの新作も同じ。
今出来得る最高のものを見せてもらった、とは思うのだが、
これらが「ズン」と観た人の心に貯まるまでは、時間がかかる・・・・と思う。
そう・・・足りないのはこれらが世の中で生きてきた時間だけ。
これから数十年、繰り返し公演されれば、自然と練れてきて安定した作品になっていくと思う。




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# by nyanko715f | 2016-08-06 15:57 | 落語とか文楽とか | Comments(0)
ここんとこあまりいいことがなかった日々だったがきょうは久々に気分いい!
嬉しい!よかった!
この間まで2回、足踏み状態で、次の登板の日が来るのを待った。
気迫ある投球で三振の山を築き、みごとだった。

それにしても、ひどくないか?関西のTV配信。
こんなに大事な試合なのに、途中で放送をやめた。
これが阪神の選手だったら絶対、やめないのにぃ〜〜
最後まで行くと思って録画していたのにぃい〜〜

しかし。。。本当に阪神は重傷だ…
ずっと昔、長い間最下位を守っていた(?!)時代はこんなんだったが
今は無気力というよりは、やることはやっているけど、
ことごとく裏目に出てる、という感じだ…
金本は好きでも嫌いでもないが、今は連日責められて、
さぞ苦しい毎日だろうと思う。
それが仕事なんだから決して同情はしないが…

なんちゃって・・・・・・阪神の心配をするほど余裕を見せているが
広島も最下位にはならないものの、優勝とは程遠い年月を過ごしてきたんだ・・・
だけど今年は期待できる。ここまで来て優勝しなかったらそれこそヘボもいいとこだが、
負けても、途中であきらめた試合になってないからたぶん、大丈夫と思う。
強い球団は、勝ち方よりも負け試合を見る方がよくわかる。
もちろん、せった時に踏ん張って勝つところが強いに違いないが、
近年の広島は途中であきらめる試合が多かった。
今年は序盤で大量点を取ることが多いが、負け試合も悪くない。

黒田や新井の記録はチームの励みになっているだろうなあ・・
達成できたからと言ってこれで気を抜くなんてことはないと思うけど。
長い間待っていた感激の瞬間が今年はきっと来るよね




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# by nyanko715f | 2016-07-23 21:51 | 広島カープ | Comments(0)

今回は「青越え」と言われる初瀬街道いちばんの難所に行く。

せいぜい500mぐらいの峠だというので楽勝、と思っていたのに

想像をはるかに超えてきつかったぁ・・・・

近鉄線の駅で言うと伊賀上津から5つ先の榊原温泉口駅までだが、

ここまで進むと(大阪からでは)出発点も遠くなるし、帰りも遠くなる。

鶴橋から名張まで急行で、ここから普通に乗り換え、

歩き始めは家を出て2時間以上あとの1時過ぎだ。

奈良を過ぎると主要な駅以外は乗降客が極端に少ない。

無人駅も多い。伊賀上津でも我々二人以外に降りた人はいなかった。

ここを降りるとすぐに「伊勢地」という宿場になる。

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看板もあり、くねくねとしたいかにも街道、という雰囲気は味わえる。


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ここを離れ、165号線に合流し、次の無人駅である「西青山」まで

後ろから前から、びゅんびゅん走る車に注意しながら歩く。

旧道もあるそうだが、消滅しているか、草ぼうぼうらしいので

車は怖いが国道を歩く。

途中、「乗馬クラブ クレイン三重」というところがあり、

見学自由と書いてあったので入ってみる。

かなりの数の生徒さん達が練習していた。

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後から考えると、今回の行程で「人」に出会ったのはここだけ。

これ以降、人にも出会わなければ、店もない。

出会ったのはヘビが3匹。ヘビのぬけがらひとつ。カエル。なぜか、カニ。

ヘビに会うたび「わっ!!!」となるが、それよりも猛スピードの車が怖い。

青山トンネル迂回道で杉木立道に入ると静かで落ち着いた。

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が、次の「白山トンネル迂回道」は入り方がわからず、

しかたなく車と同じトンネル内を歩く。

音もすごいし、

車もまさか、こんな所を人が歩いているとは思わないだろうから

すごく用心して歩く。

トンネルを出たとこらへんに「垣内宿(かいと、と読む)」への入口があり、

入口からしばらくは、倒木などはあるが杉木立の快い道だった。

ここから40分ぐらいで宿場の入口に着く、と

ほかの人のHPに書いてあったのでそのつもりで進んだが、

九十九折の道、と地図にもあるが、本当にカーブをぐるぐる回るだけで進んでいる感じがしない。

道もそのうちぬかるんできて、おまけに石ころだらけで足の裏は痛いし、

あるところ、ずぶっと入りそうで、そんなところを1時間歩いても

垣内宿入口の花山橋が見えない。

これは道を間違ったのかな?と不安になるが、もちろん、きく人もいない。

誰も通らない。

楽勝、と思っていた乗るはずの「榊原温泉口駅」の電車の時間も迫ってくる。

とりあえず、この山道を抜ければ「コンビニ」があるそうで、

そこで何を飲もうか?何を食べようか?

しかし、時間がな~~などと焦りつつとにかく、進んだ。

1時間以上たってやっと橋らしきものが見え、道は間違ってなかったし、

垣内宿も今は普通の集落だが、風情を味わうことはできた。


その一番きつい道の風景を撮ったつもりなんだが、なぜかシャッターが押されてなくて、

倒木の様子などお伝えすることができなくて残念!不覚!

そこはぬかるみ、ずぶずぶの道なので歩く人は厳重な靴のご用意を。

垣内宿の写真も撮れてなくてすごく残念。

このあたり、ほかの方のHPより写真をお借りしました。

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(倒木、石ころだらけの歩きにくい道。これが1時間は続く)

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               (垣内宿の家々にはこのようなのれんがかかっている。)

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                (伊勢側から行った時の垣内宿入口。奈良側からだと出口になる)

この宿場を抜けたところでコンビニ!と思いつつ国道と合流するところまで来たが

あるはずのコンビニは廃墟と化していた。

もう持っているものはほとんど食べた。

時間も思っていた以上にかかり、乗るつもりの電車の時間は来ているし

夫は足が痛い、と止まりだすし、

とぼとぼ歩いていたら、走っている車から声をかけてきた人がいる。

(乗馬クラブ以来の「人!」だ!)

「もしかしたら、駅に行くんですか?東青山の駅はそこを曲がったらいけますので・・・・」といいつつ、走って行った。どうも、ご親切に…。

いや、東青山ではなく、もう一つむこうの駅に行くつもりなんだが…

どころか・・・きょうは榊原温泉口よりもう一つ向こう、大三(おおみつ)までも行けるか、と思っていたのだ。

しかし、あの垣内宿までの道はほんとうにきつかった・・・・


榊原温泉口駅に近いところで、乗るはずの電車を見送った。

もう一本、後にしなければ・・・


5つの駅を歩いて6時間足らず。

大阪には9時すぎて帰ってきた。

この数回で乗り降りした駅前にはかろうじて自動販売機はあるが店などはまったくなかった。自転車または車預りなどはあるがそこに人はいない。

駅には駅員さんもいるかいないか。

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             (外見は立派なんだが、閑散としている・・・・)

つくづく、「駅のそばには必ずコンビニ」、という意識はすてなければ。と思った。

奈良も三重も本当に人が少ない。

きょう歩いた道筋、まったくスーパーもコンビニもなしで

いったいこの辺の人はどこに買い物に行くのだろう?

それに引き替え、

大阪はどれほど人がいて、どれほどの店があるんだ?

私の住んでいるところも田舎だと思うが、

駅ではどんな時間でもおおぜいが乗り降りし、

家に着くまでの15分の道のりにコンビニ、スーパーが5軒はある。

こんな所に住んでいるとどこもがこういうところ、と思ってしまう。

人が通れる道はあっても、その風景は様々なのだ…(と、今頃気づく)



かつて、夜中に(午前1時ごろ)国道を車で走っていた時、

夜中であることをものともせず、営業している店がいっぱいあり、

ぎんぎらぎんに灯りのついている光景を、異常!!と思った。

人が時間を支配しているところあり。

自然に従ってひっそりと生きている街あり。

いろいろ歩き見て、その違いを実感します。


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# by nyanko715f | 2016-07-16 08:08 | 街道めぐり | Comments(0)

「64」前篇・後篇

「64」に接したのは、NHKドラマ→原作→映画、の順番である。
一番面白かったのは原作だ。
大長編の隅から隅まで緊張の連続で、読むのはしんどかったがまったく飽きずに読めた。
さきにドラマとして見てしまったのだけど、NHKのドラマもとてもよくできていた。
で、映画は、テレビの数段上のランクの役者さんを使い、ギャラも大幅に跳ね上がって
これはテレビ以上の出来上がりを期待していたのだが、
映画は時間にしてテレビの半分ぐらいの長さしかないのに退屈した。

原作では違和感がなかったのに(見落としであるのはまちがいないが)
映画を見て、まず、あのテープレコーダーは昭和半ばじゃあるまし、
64年であれはないだろう、ほかにいくらでも方法があっただろう、と
何回もつっこんだが
あのくだりがなければこの話の根幹が揺らぐので目をつぶることにしよう。

それと、娘が死にたいと思うほど悩んでいることも、
え?この親でそう思うの?それに、あなた自身も普通じゃん、と思う。
もちろん、思春期の子供の感覚は大人が理解できなくて当たり前なんだけど、
高校生(だよね?)が家出して、どこかで立派に生きている力があるとすれば
この子にとって、持っていた悩みなどは取るに足りないものでなかったかと思う。

こういう、話の根幹にあるものに違和感を持てばどうしても話自体も不自然に見える。
テレビドラマでも原作でもこの違和感を持たなかったのは私が見落としていただけか、
または、じっくり話がわかったから映画でアラが見えてきたのか?とも思う。

それにしても・・・だ・・・・
映画は立派な役者さんを集めすぎて、その人たちひとりひとりの見せ場を作りすぎたものだから
(個人プレーが多すぎて)全体としての調和に欠ける。
どの人のセリフも大げさで、悪い所をデフォルメしすぎていて、滑稽にさえ見える。

それに、最後の、原作にない結末は、この映画を陳腐にした。
この映画にはアクションなどいらない。
テーマが違うのではないか?

この話は、昭和64年、という、7日間しかなく、
「平成」の元号のにぎわいに隠れてしまった事件に
今も翻弄される人の苦悩の重なり合いを描く物語ではなかったか?



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# by nyanko715f | 2016-07-04 21:19 | 映画の話 | Comments(0)

きょうは名張を1時頃出発。

名張までは大阪鶴橋から1時間20分ぐらいかかる。

出発点もだいぶ遠くなった。

名張の街は駅前を少し外れるとすぐ街道筋で昔の面影を多分に残している。

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名張高校の裏側を通ったところから道は「七見峠越え」というルートと二つに分かれるが

こっちのほうは伊賀ゴルフコースで遮断されているということで

近鉄線に近付いて、やがて近鉄線を越えていくルートを取る。

近鉄線を越えた所にマックスバリューを含む大きなショッピングセンターがある。

ここだけが開発された感じでそのほかの地域は田舎の風情が続く。

156号線に合流するまでに常夜燈や延命地蔵が見られる。

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165号線に合流して、すぐに離れ、桔梗が丘団地の中を進む。

桔梗が丘、という駅もあるが、これはかつてこの地を治めていた藤堂家の家紋が桔梗だったのでその名がつけられたそうだ。

団地の中を抜け、165号線とまた合流するが

やがて「道標」がある。「右 なばりはせ道 南無阿弥陀仏」「左下ひなち道」と刻まれているらしい(読めなかったが)


その坂道を降りて田んぼの中を進む。

そこは国道と離れてのどかないい道だったのだが、

国道とどんどん離れていくのを不安に感じ、地図を持っているのにどの道か分からなくなり、とりあえず国道に戻った。

そして、ここじゃないか、といいつつ「伊賀ゴルフコース」のほうに入ろうとしたが

それが間違っていて、完全に迷ってしまった。

もう一度国道に戻り、「小波田」(こなみだ)という信号があるところまで来ると

ちゃんと「伊賀ゴルフコース」の看板があった。

ゴルフコースまで1キロ、とあったはずだが、小山を登っていく道はとても1キロなどというものではなく、国道を離れた所から小1時間かかっただろうと思う。

伊賀ゴルフコースのクラブハウス前に出る。

ここは40年前、夫が若かりし頃、ゴルフをしていて仲間内の大会で優勝したコースだ。

とこの道を歩きながら10回以上は言ったと思う。

小学校のかけっこで1等賞をとった、というのと同じようなもんだ、

と私などは思うが・・・・・

(年寄りになればもっとこの話をくりかえすにちがいない・・・)

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クラブハウスからまた国道に戻る方向を目指すが、

コースの中が丸見え、というか、道から中に入れるようになっているが

ゴルフ場って外から簡単に入れるものなの?

たいていはネットを張ってあったりするが。

私は一回もゴルフ場に入ったことはないが、芝生がとてもきれいでした。

「八丁坂」というところを下って国道に合流し、すぐに「前深瀬川」の川沿いの道に出る。

ここに常夜燈、水神がある。

南西の方角には低い山々があり、新緑の季節は過ぎたが緑の風景がとてもきれいだ。

やがて「羽根橋」というところに出る。

この「前深瀬川」は魚がいるのか、川にピアノ線みたいな(テングスか?)線が張ってある。(鳥よけ?)

結構川幅はあるのでこの線はどうやって川に渡したんだろう?と言い合っているところにさ~~っと風が吹いて帽子を飛ばされてしまった。帽子は前深瀬川に飲み込まれた。不覚!ではあるけど、ここらへん、川沿いの道を進むのは風が気持ちよく、快適に歩ける。

羽根橋を渡ると「安楽寺」というお寺があり、

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「阿保宿」(あおじゅく、と読むそう)にはいる。

木の看板は風情があるが今は普通の民家が連なっている。

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街道最大の常夜燈

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前深瀬川が合流した木津川を渡るところに「菅笠日記抄の碑」がある。

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本居宣長は三重県松坂の生まれ。この街道には本居宣長にまつわる遺跡がたくさんある。

木津川沿いの道は川音も快く、遠くに青山高原の風力発電機の回っているのが見える。

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また国道165号を歩くのだが「中山トンネル」前で歩く方の道に渡るときは

「要注意!」ここは「車が快適に走れる」などとドライブマップに書いてあるものだから

車はびゅんびゅんすごく飛ばしている。

車にしたらまさかこんなところを歩いている者がいるなどとは思わないのだろう。

田舎の道は信号がなく道路を横断するときは命懸けである。

さてこれで本日の終点「伊賀上津(いがこうず)」の駅に近づいたが

また道に迷う。ここが駅に行く道だろうと入ると民家の入り口であったり

地図は田んぼの畦を指しているらしく、駅は見えているのに迷っていると

急行が目の前を通り過ぎて行ってしまった。

次の急行は1時間待ち。無人駅で蚊にさされながら1時間待った。

これからは帰る道も遠い・・・・


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# by nyanko715f | 2016-07-03 08:12 | 街道めぐり | Comments(0)

三重県に入りました!

今回の出発は近鉄「室生口大野」駅から。
駅に降りると駅員さん(実際はバス会社の人)が「バス乗りますか?」というので
「いいえ」と答えたが、バス、というのは室生寺行きのバスのことで
バスは乗る人もなく、(空しく)発車して行った。
長谷寺もそうだったが、たいていの観光地は通年人を呼べるほどのものもなく
どこも大変だな、と思った。(その点京都はうらやましいほど人が来る・・・・)

近鉄線はこの駅を出るとすぐトンネルになる。
このトンネルを覆う山越えをするのだが、地図があるのに迷ってしまった。
だれかに聞きたいと思うのだけど、家々から人は出てないし、歩いている人もいない。
方角と、「三本松西」という電柱に書いてある数字が減っているのでそれでいいのだろうと思いながら進むと
宿場あとらしき集落(元三、というところか?)に出て、やがて165号線と合流した。
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(普通の家にみえるのに、どこの家にも「屋号」みたいな表札が上がっています。昔の商売の名残でしょうか?)


「三本松」という駅は小高い所にあり、それの下のほうに道の駅があったのでそこで休憩する。
休憩しているうちに雨になり、ここからは雨の中を進むことになる。
梅雨の時期だから仕方ない。それより、いままで雨に合わなかったほうがラッキーだった。
天気予報はいつも「雨」だったのに・・・・

宇陀川沿いの道を進んでいくとやがて「三重県」に入った。
「ようこそ伊賀の国へ」という看板もある。とうとう三重まで歩いてきたぞ!
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「赤目口」駅近くになるとコースは二つに分かれるのだが
駅にほど近い「丈六コース」を取ることにする。(駅は通らない)
このあたり一帯は見渡すところ田んぼで、
田んぼの中の道を歩くのは実に快い。
雨のなかだけど、それでもとても気持ちがよく、のびのびする。

以前私の住んでいる周りもかなり田んぼが残っていたのに
この20年うちにほとんどすべて家か駐車場になってしまった。
田んぼの中を歩くことから長い時間遠ざかっているのに愕然とする。

このあたり一帯は川に囲まれた地帯で、いたるところに「水神碑」がある。
氾濫でなやまされたあとが見て取れる。

この間、「水神」(帚木蓬生)という本を読んだ。
これは今の福岡県久留米市、筑後川との闘い(?)の記録だが
中国でも「黄河を制す者は国を制す」といわれたほど
水との闘いはどこでも大変だったのだろうと思う。

田植えが終わった緑の風景の中に一画、黄色が目立つ。
あれは麦だろうか?とか言いながら、そういえば麦畑というのは頓に見なくなったなと思う。
昔(私の小さい頃)は二毛作が普通だったのだが…
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さて、かなり雨にも濡れてきて靴もびしょびしょで
遠く「イオン」の赤い看板が見えるのであそこへ行って休憩しよう。
と看板を目印にひたすら歩く。

宇田川が名張川に合流する地点に道標がある。(どこまで六十丁なんでしょうか?)
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そこから「イオン」の看板のあたりが名張の中心だろうと見当をつけて歩く。
町にはいったあたりで「江戸川乱歩の生誕地」というのを見つけた。
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「イオン」(イオンといっているが、リパーナというショッピングセンターだった)で休憩し、
靴も乾いて、駅への道を聞く。(店の外にまで出て、すごく親切に教えてくれた)
駅に向かう商店街に入るところに「一の鳥居」があり、
この横にあるのが「名残の一本松」というらしいがなんともいい構図だった。
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                (まもなく日暮れで暗い画像ですみません・・・)

そこからアーケードの商店街ではあるのだが、古い建物もあり
この近くには「藤堂家屋敷跡」というのもあり
こじんまりとはしているがなんとも風情のある街だった。

先日通ったところに「吉隠」でよなばり、とよむところがあった。
「隠」は「なばり」という古語らしい。
「なばる」というのは字の通り「かくれる」だが、
名張の地名の由来の一説は「山間の底に隠れて見えにくい地形」だったかららしい。
次回は「名張出発」
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                (まだまだ先は長いですね)








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# by nyanko715f | 2016-06-27 15:03 | 街道めぐり | Comments(0)
このあいだ、パソコンが調子悪く、もう寿命だと言われたり、
新しいものに買い替えたほうが・・・とか言われたりしていたが
とりあえず、婿が「リカバリー」をしてくれることになり
中身をスティックなどに引っ越しさせたりして、メンテナンスをお任せした。
そしたら、HDを入れ替えてくれたそうで、新品になって返ってきた。
それまでフリーズしたり、画面が広告だらけになったり
このパソコンは非常に危険な状態です、というメッセージが来たりして
ほとんど見られなくなっていたのがサクサクとページ変換ができるようになり
もう感謝感激だ・・・・

そしたら数日後の今日、また
Windows10に(何月何日何時に)アップグレードします。という通知が出ている。
そもそもこの前パソコンが調子悪くなったのは、ある日突然、
「Win10にアップグレード中です」というメッセージが出てダウンロードの場面になっていて
あわてて強制終了して、再起動したとき、Win7にもどしたものの
それから起動に果てしなく時間がかかり、フリーズしまくり、いらいらさせられっぱなしだったのだ
それがまた、Win10にする。それも予定が決まっているとか?
誰も頼んでないよ!この「押し売り」みたいなのはなんなんだ?
マイクロソフトに電話してひとこと(もふたことも)文句を言ってやらなければおさまらない。

それで娘に「どこに電話して文句を言ったらいいか?」と聞いたところ、
ネットにそいう質問がいっぱい載っていて、方法を書いてある、という。
そりゃそうだろう・・・・これで困っている人はいっぱいいるはずだ。
電話もエネルギーがいるので、まずはその方法を試してみることにした。

それに従って「予約を取り消し」今のところ、いちおうおさまったかに見える。

しかし、なんなんだろう?
マイクロソフトの公式HPには
「Windows10は史上最高の最も安全なオペレーティングシステムなので、
より多くのユーザー様が簡単にアップグレードしていただけるように」と書いてある。
Win10、が最も安全、なのかどうかは別にして、
アップグレードすることで今までのものに不都合が出た、という話はないのだろうか?

少なくとも今までWinを(取り消さなければ)勝手にアップグレードしてしまう、
ということはしてなかったと思うが、この強引な仕方はなんなんだろう?

私みたいないつまでたっても初心者同然のパソコン使用者には
パソコンというものは危険すぎる。
振り込め詐欺と同様の罠が張り巡らされているように思う。
便利なものには必ず落とし穴があるよなあ・・・


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# by nyanko715f | 2016-06-23 14:59 | 日常のつれづれ | Comments(0)

長谷寺から室生口大野

この日は近鉄線の長谷寺駅から出発する。
長谷寺の参道に「与喜饂飩」といううどんやさんがあり(去年オープンしたらしい)
ここの店主は香川で修行したらしく、だったら食べてみなけりゃなるまい、と
店を探し当てて行ってみた。
長谷寺参道にはいかにも古くからの食堂、というのは何軒かあるが
この店はそれらからみると異色を放つ店だった。(いかにも今風つくりで)

メニューはごく少なく、だから一層こだわりも感じられる。
私たちは「かしわ天うどん」と「炊き込みごはん」「肉うどん」を注文したが
隣のテーブルに運ばれた「てんぷら盛り合わせ」(400円也)がてんこ盛りだったのを
ほほ~~っと思いながら眺める。(つい、となりの注文したのがおいしそうに見えるわるいくせ)
合計金額1900円は香川ならともかく、関西では特別高いとはいえない。
うどんもだしも香川のものに近く、うどんにうるさい私もここはまずまず合格点!
奈良で食べたうどんでは一番おいしいと思う。
夜までおなかがすかなかったので、うどんの持ちもいいと思う。

うどんにこだわったおかげでこの日の歩き始めは午後2時ごろ。
長谷寺に行く手前、伊勢辻橋というところを左にとり、化粧坂というところに入る。
小さい山を一つ越す感じなのだが、距離は短いが傾斜がきつい。
今日一番の難所だった。

化粧坂を越えるとあとは国道と合流し、平坦にはなるが、
国道は車の音がうるさいし、危ないし、やっぱり古い道のほうが面白い。

やがて国道と離れたところに「吉隠(よなばり)」というめずらしい地名の集落があった。
この地名の由来を立札に書いてあったと思うのだが
この日はカメラを忘れてとりそこなった。
あとでネットで調べても「吉隠(よなばり)」のいみはどこにもみつからない。
古くからの地名だったのに残念だ…

まもなく近鉄線の駅でいえば「榛原」に到着。
この駅近くに本居宣長がとまったという「あぶらや」という宿跡がある。

ここで街道は「伊勢本街道」と「初瀬街道」に分かれる。
伊勢本街道のほうが距離は短いのだそうだが、これをいくと電車がなく
1日わずかのバスしか頼るものがない行程は不可能なので
近鉄線にそっていく初瀬街道を選ぶ。

榛原を越え、古い道からまた国道に合流し、
室生湖近くになったところで川沿いの狭い道に入る。
ここで「濡れ地蔵」という珍しいものを見た。
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これはほかのHPから借りた写真なんだが
その日は水が引いていた状態で岩に掘られたお地蔵さまは全部姿を現していた。
手前にある堤のようなところに立って見たのだが
水量の多い時はお地蔵さま全部どころか、この堤も全部水の中だそうだ。
水量によって現れる姿が変わる磨崖仏である。
(この日、カメラを持っていれば・・・・と本当に残念だった・・)

この川沿いの道は車が入ってくるような道ではなく
歩いているからこその偶然の御利益に思える。

ここから室生湖と別れて、
近鉄大阪線の下を何回かトンネルでくぐり、
鉄道を右に見たり左に見たりしながら室生口大野の駅に着いた。
着いた時、6時前でもうひと駅行こうか?と言ったりしたのだが
先は山越えなのできょうはここまで。
寄り道しながら約14キロ。4時間の行程だった。
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# by nyanko715f | 2016-06-19 16:51 | 街道めぐり | Comments(0)

去年11月に文楽で見た「玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)」の歌舞伎版の公演記録を見に行った。

2時からの上映、1時半の開場、というのに1時半に着くと会場にはすごい人の列。

もう今では見ることの出来ない名優ぞろいであるのとめったに上演されない演目であるのとで

どうしても見たい、と私と同じように思った人がたくさんいた、ということだ。

30分前に着いた私でも一番後ろの席しか空いてなかった。(しかし見られてよかった・・・)

上映されたのは、昭和55年、国立劇場(東京)での公演。

玉藻前が入内するところから。

美しい姫である玉藻前が狐に憑かれ、悪い王子(皇子)と手を組んで、国政をのっとろうとするが

露見して退治される場。

久しく歌舞伎を見てなかったが、歌舞伎ってこんなにテンポのおそいものだったっけ?

役者が出てくるたび、存在感を示す(見得を切る)ことで、劇の進みがいったん止まる。

ということになじまなくなっている自分に気がついた。

文楽にも見得を切るところがないわけではないが、

たいてい話はどんどんと進む。

感情やストーリーの振幅はすべて太夫さんと三味線がになってくれる。

観劇の際、人形を見ているようで人形遣いも見ているのだが、

人形遣いはほとんど感情を出さず、舞台の上では淡々としている。

いかに自分が文楽のこの形態になじんでしまっているか、よくわかった。

逆に、歌舞伎のファンにしてみれば、文楽はあまりにもすっきりしていて

物足りない。と感じるかもしれない。

文楽と歌舞伎、同じ演目とはいえ、せりふも違えば、運び方も違う。

それぞれのやりやすいように、見栄えのいいように、舞台を作っているので

同じ話であっても音楽もせりふも同じではない。

大切(おおぎり)は退治された狐が石となるが、

いろんなもの(座頭とか奴とか雷とか娘とか・・・)に化けて踊りあう。という舞踊劇になる。

文楽では桐竹勘十郎が8つの人形を一人でつかったので、ひとりずつの踊りになるが

歌舞伎の舞台は8人の役者が踊り合うので、ソロあり、デュエットあり、

最後にはなんと楽しいことに、全員が勢ぞろいする。

これは歌舞伎ならではの趣向で見ていてこの上なく楽しい。

しかもこのとき、文楽の連中が太夫、三味線をつとめている。

(普通、歌舞伎の舞台では義太夫は大阪の連中がいくことはまれだ)

だからすごく音楽もしっかりしている。

(文楽座でないひとがやる義太夫はやっぱり、ちょっと・・・・・・)

文楽の早変わりも面白かったが、歌舞伎の舞台もこれは面白かった。

私が歌舞伎で一番好きだったのは2代目の実川延若だが、

もう今では決して見ることの出来ない姿をここに来て見られて本当にうれしかった。

延若が夜鷹っていうのはちょっと「ええ~~~!」と思ったが

持ち前の器用さで、持ち味で、見事にこなしていたと思う。

昭和50年代、私はこの人の舞台を何回も見られてとても幸せだった。

その幸せもよみがえってきて、この上映を見られたことを心からうれしく思う。


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# by nyanko715f | 2016-06-08 18:26 | 落語とか文楽とか | Comments(0)

初瀬街道

初瀬街道、というのは奈良桜井と三重松阪を結ぶ街道で、現在の国道165号線、近鉄大阪線とほぼ重なっている。
榛原から山の中へ入っていく「伊勢本街道」のほうが距離が短いのだが
こちらのほうが比較的平坦で、長谷寺詣が流行したこともあり
江戸中期から明治初期にかけて最もにぎわったという。
また、大和からは「青越え伊勢街道」、伊勢からは「初瀬街道」と呼ばれているらしい。

さて、私たちの街道歩きのほうは、
前回終着だった万葉まほろば線「柳本」から大神神社(通称三輪さん)をへて長谷寺まで行く。

柳本の近くには「大和神社」「箸墓古墳」などの古墳などたくさん見所はあるのだが
先を急ぐので今回は素通りすることにする。

街道のコースの通りに進むと「三輪さん」は入らないのだが、
ここの休憩所でご飯にするので、ルートを逸れて三輪さんにはいる。
そこから三輪さんの裏にある「平等寺」を抜けて大和川沿いに出る。

大和川にでたところに「仏教伝来の碑」があり、
その横、「錺馬(かざりうま)」という馬の彫像があまりにもかわいかったので思わず写真に撮った。
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川沿いの道が165号線と合流したところが「慈恩寺北交差点」
ここから国道を越えて大和川と国道に挟まれた道はいかにも街道という風情があり、
次に国道と合流するまでとてもいい景色を楽しめる。

この道の途中にあった看板だが、むかし、「初瀬鉄道」というのが通っていたらしい。
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しばらく使って廃止された鉄道というのは全国各地、相当にあるのだろう。
やがて街道は再び165号線と合流し、車がびゅんびゅん通る道を行かなければ行けないが
まもなく分かれる道が来る。

そこは「出雲」という地域で、十二柱神社、という出雲の村社がある。
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ここには「野見宿禰(のみのすくね)」を祀ってある。
のみのすくね、など、きいたことはあるが、何をした人かも知らなかったが
当麻蹶速(たいまのけはや)という人と相撲を取った、と言われ「相撲の神様」
また、殉死をやめて「埴輪」を墓に収めるということをしたので「埴輪の神様」とも言われている人らしい。
へ~~ボタン100個である。

ここをさらに進むと長谷寺への参道にはいり、長谷寺の入り口にたどり着いたのは午後5時。
1時に柳本を出て4時間かかった。

長谷寺には数回来ているし、三輪神社など、毎月ほど行っている。
が、今回見つけたものはすべて車道からははずれており、
車から降りて見つけるのもよほど知らないと行くことはない。
歩いていないとまったく見つからなかった場所ばかりだ。

この先、当初は「本街道」を行くつもりだった。
しかし、榛原から電車も外れて山の中を歩くのは半日では到底ムリだ、と思っていたが
近鉄線と並行する初瀬街道ならもう少し先までこのペースで行けるのではないか?
と思い始めた。(それにしても効率が悪いが。)
次回、長谷寺から室生大野口あたりまで、(電車の駅、2つペース)行ってみたい。




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# by nyanko715f | 2016-05-16 13:46 | 街道めぐり | Comments(0)

万葉まほろば線

奈良市から桜井に向かって南に進む鉄道は桜井線というが、
今は「万葉まほろば線」という愛称がつけられている。
まほろば、というのはなんとも古風でのどかなステキな響きのすることばだが、
もともとは「物事が完全であること」などの意味がある「まほ(真秀)」に場所を意味する接尾語「ら」がついて
「まほらま」または「まほらば」となり、転じて「まほろば」
「素晴らしい場所」「住みやすい場所」を意味することばとなったらしい。

奈良から伊勢へと続く街道でこの万葉まほろば線に沿って進む道を「上つ道」というらしい。
まほろば線で奈良の次に来る駅は「京終」とかいて「きょうばて」と読む。
これは奈良以外の人には完全にお手上げの地名だ。
平城京のはて、という意味らしい。
無知な私など始めは京都の勢力がここまで届いていたのか!と思ったんだが、そんなばかな・・
「京」は京都じゃなくて、奈良で「京」といえば「平城京」だ。
それほど古い地名で、「はて」とはいえ、「洛内」であり、昔はにぎわっていたところらしい。
今はかなり静かなところだ・・・

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さらに歩くと人も車もあまり通らない道なのになぜか、ガードマンさんが立っている。
もう少し先にも立っている。
そこは「帯解寺」(おびとけ・・・これもけっこう難しい読み方だ・・・)といい、
まほろば線「帯解駅」の近くにあるお寺で安産祈願の家族連れがたくさんおまいりに来ている
しかも美智子妃殿下のお参りもされたという有名なお寺だそうで
静かな街道筋のこの場所だけは大いににぎわっていた。

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駅で言えば「帯解」の次から「櫟本(いちいもと)これも難読だ」「天理」「長柄(ながえ)」「柳本」と続く

天理市の中に「丹波市(たんばいち)」というところがある。
丹波(兵庫県の)からの人が多く住みついていたのでその名になったらしいが
かつては宿場町、商業都市として大いに栄えたところであったそうで、
天理の本部がここにあったことで、「天理市」となり、
電車の駅もできなかったことでかつての賑わいは廃れたそうだが
今もその町並みは保存されている。


道の中に古いアーケード(陽屋根=ひやね)がみられ、市の名残だとか・・
(この風景、瀬戸内のどこかの地方にもあったような気がするが、どこだったか・・)


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この日は、三輪か桜井まで行くつもりだったのに(体調も悪かったせいか)柳本で時間切れ。
(次の日から風邪で寝込んでしまった・・・)

柳本から奈良に向かう電車に乗ろうとした。
2両編成だが、扉が開かなくて、地元の人が、1両目からしか乗れないよ、と教えてくれた。
さらに・・・・
奈良の電車では降りるときは自分でドアそばにある「開く」ボタンを押さなくては扉が開かないものもある。
じっと待っていたのでは乗りそこねるし、降りそこねる。
あちこち行くと「へぇ~~~」ということにたくさん出会えておもしろい。




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# by nyanko715f | 2016-05-01 13:05 | 街道めぐり | Comments(0)

奈良街道終点まで

着きました!ここが終点の奈良興福寺、南円堂です。
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奈良は何回も来ている所だけどこうして歩いて奈良に入ると感慨も一入だった。
玉造から終点まで、街道歩きに慣れている人は1日の距離だろうけど3回もかかった。
それでも大阪から歩いてきた、と思うと風景も違って見える。

この日の出発は(近鉄線)南生駒の駅から。
出発地点もだんだん遠くはなるのだけど
快速などに乗れるとあるところまで早く着く。
だからこの日も前回「枚岡」より先の南生駒だけど
30分も早く歩き始めることが出来た。

南生駒の駅からは「国道」を通るのだが、
前回「暗峠」もそうだったが、「これが国道?」と言うほど狭い道が国道だ。
南生駒の駅からはのぼりが続き、やがて山道に入る。
「迷うことはない」と本に書かれていたが、途中、道標を見忘れてあやうく迷うところだった。
矢田丘陵の峠を越えると生駒市から奈良市に入る。

奈良市に入ったところで少し雨がぱらついて急いで雨具をつけたが
雨は「申し訳程度」に降っただけで、雨具を着ているのも恥ずかしいようだったからすぐ脱いだ。
歩きには雨は大敵だが、先週もこの日も天気は雨の予報だった。
それを「私が行くから大丈夫」などといって強気で出てきたが本当にラッキーだった。

狭い国道はたまに車をやり過ごしたりするが、昔の道らしき風情が残っている。
しかし、高速と交差したり、車と同じ広い道に出てしまうと
ステッキを持って山歩きスタイルの我々は奇異に見えるだろう。
でもちょっと、「大阪から歩いてきました!」とか言いたい気持ちだったな・・・

奈良の中心地は久しぶりだ。
佐保川の土手の桜はすごくきれいだった。
終日曇っていたのに我々が着いたこの時間、ほんの少し日がさした。

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奈良駅は新しい駅舎に代わっている(もうとうの昔に、だろうけど替わってからみてなかった)
ずいぶん立派になっていた。
以前の駅は「観光案内所」になって姿を残している。
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そして「猿沢の池」までの道に「ならまち」がある。
これは長浜や飛騨高山みたいにレトロなふんいきでしかもおしゃれな街づくりをしている。
京都ほどの人数ではないが、奈良も外国人観光客がすごく多くなってる。

南生駒から寄り道、飲み食いをしまくって着くのは日が暮れてから。と予想していたのだが
着いてからも日没までにはだいぶ時間が有ったので奈良公園の中までも散歩することが出来た。
曇ってはいたが、桜の中、とても楽しい街道歩きになった。

次回は奈良から天理を通り、三輪さんまで行く予定。


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# by nyanko715f | 2016-04-05 17:37 | 街道めぐり | Comments(0)

暗峠越え


「暗峠(くらがりとうげ)」の名前を聞いたのは
ずいぶん昔、TVで歌舞伎をみていた時、関羽(三国志にでてくるところの)がいた場所。
なんでこんなかっこう(ひげだらけで中国古代の官服)のひとが大阪と奈良の境のこんなところにいるんだろう?
と思った。
ただ、その「暗峠」にいってみたい、と思い、実際に行ったのはそれから10年以上たってから。

今回「暗峠越え」をするに当たり、なんで関羽が?という疑問がまた出てきて
いろいろ調べてみたのだが、今歌舞伎十八番の一「関羽」という演目は脚本がなくなっているらしく
どこを調べてもない。
関連の「景清」は資料があり、「関羽」に扮していたのは畠山重忠(らしい)。
江戸時代、三国志の英雄をなぞらえて歌舞伎にする、というのはよくあったことらしい。
しかし、なぜ「暗峠」かは謎のままだ。

この前、終点だった「枚岡神社」まで電車で行き、そこから峠に差し掛かる。
「暗峠」は奈良への道としては最短距離だが、道幅は狭く、傾斜がきつい。
車困難、ときいていたし、実際私ならこんなとこ、車も自転車も絶対ダメ!
というほどの傾斜の道なのに車は双方向からバンバン来るし自転車もいく。バイクも行く。
自転車は登りがきつくてダメなのはもちろんだが、
くだりにしても下手にブレーキ掛けっぱなしだとブレーキがきかなくなる(らしい)
私には徒歩が一番安全。だが、
ここは峠への一本道、ではなく、周りの車道とも交差しているし、駐車するところもあるし
少しだけ歩いてみる、というハイキングは十分可能だ。

心配したお天気もどうってことなく、周りの花々も咲き始め、
あちこちみながら、田んぼに座っておにぎりを食べながら
のぼり2時間程度かけて峠の頂上についた。

その昔は昼でも暗いほど樹がうっそうとしていたらしいが
今は大木もあるにはあるが、開けていて、暗くはない。
峠には何軒か茶屋もある。

くだり、奈良側への道のほうが緩やかだ。
次回もう一回越える山(矢田丘陵)も見えるし、奈良市も望める。
くだりは楽、とばかりにどんどん行っていると、あるところで止まったとたん、足がつった。
くだりのほうがずっと警戒が必要だ。
近鉄南生駒の駅までは約1時間半。
きょうの予定はここで終了。

もし行ければ来週、南生駒から奈良市の中心まで歩くことになる。
近鉄生駒線の線路沿いは桜でいっぱいだったので景色が楽しみだ。
とにかく、大阪を出た!



地図で表せばせいぜい(まんなかのほう、赤の)矢印から矢印までの距離。f0149240_14295070.jpg

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# by nyanko715f | 2016-03-29 14:41 | 街道めぐり | Comments(0)

ピアノ練習日誌を中心に、雑多な話題を繰り広げます


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