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ごあいさつ

<ごあいさつ>

当ブログをごらん頂き、誠にありがとうございます。
2010年あたりまで町工場での仕事の傍ら、ピアノとか、ガーデニングとかいろいろやってました。
のんきに過ごしていたのですが、不景気風に吹かれて、家業が傾いてしまいました。
それで、2010年夏、「ピアノ教室」を開業し、頑張っておりますが、これでは追いつかず、
スーパーでパートもしています。

職業もいろいろ、趣味もいろいろで、あちこちに話題が飛ぶ落ち着かないブログですが
どうぞよろしくお願いいたします。

2007年、10月よりこのエキサイトでお世話になっておりますが
その前半年ほどは楽天ブログに書いておりました。
そちらの方も合わせて見て頂ければ幸いに思います。

# by nyanko715f | 2012-12-31 00:00 | Trackback | Comments(6)

ここらでイッパツ、カンフル剤

私は、ピアノのレッスンは「やってきたものを修正してもらう場所」と思っている。
けど、これは昔からこう思っていたわけではなく
〈ケチだから)自分で月謝を出すようになってから
少しでも何かを得て帰らなければ損だ、というのが一番正直なところかもしれない。
子供の時にはほとんど遊びに行っていたようなものだ。

うちの教室に来る子供たちもだいたいは似たようなもので
家でしっかり練習してくるこどもなどいはしない。
それでも続けていればなんとかなるだろう、と思っているので
練習せよ、と建前では言うけど、無理強いはしない。

授業だの試験だの、進路がかかっている人はそれなりにがんばっている。
だけど、うちに来る中で一番わからないのは、まいどおなじみ「ようこさん」である。

同じようにピアノをやっててもようこさんと私では意識も性格も違うのだから
どう考えているかわからないのが当たり前とすれば、
一番迷っているのは「私の態度、レッスンの進め方」である、と言える。

単なる趣味ならのらりくらりしていようが、
言ったことを踏襲してくれなくてもいっこうにかまわない。
うちに遊びに来る感覚で、おしゃべり半分、弾くのが半分でも問題はない。
そう割り切ってしまえばいいのだけど、
本人は〈ブログに)将来は子供たちにピアノを教えたい、などと書いてあるので
今もずっとそう思っているとしたら
できるだけ「まともな先生」になってほしい、と思っている。
「まともな」とあえて書くのは私がこの人のピアノをことごとく「ヘン!」と思っているからだ。

もちろん、私が思っているだけで、それが世間の常識から見て「ヘン」なのか、
私の偏見で「ヘン」なのかは定かでない。
少なくとも私の習ってきた範囲で考えるとことごとく「ヘン」である。

一番わからないのは
音を間違い、リズムを間違い、
自分でそれに気が付けば弾きなおしをするが、気が付かないところも多く
そうやって数小節もまともに進んだことがないのに
それを全然「弾けてない」と本人が思っていないことである。

難しい曲なら本人の実力に合わないのだ、と思うことができるが
難易度を下げて、ソナチネにしてもブルグミュラーにしても
「できあがり」はいつも同じだ。
完璧に、とは言わないが、ブルグミュラー「素直な心」を
ラフマニノフがやりたい、バッハがやりたい、という人が
音も間違え、つっかえつっかえ弾く、というのが私にはどうしてもわからない。

緊張感が足りない、といえばそれまでだ。

ようこさんが自分の演奏をネットで公開している
と教えられて見てみた。
ショパンのノクターンを弾いているが、
これは以前レッスンでやって、まあ今はここまで、という感じで上げたが
課題は残っている。
それをネット上でどんな風に弾いているんだろう、と思ったら
最初のほうだけだったと思うが
やっぱり「つっかえつっかえ」弾いている。私が知っているように。
一番問題の箇所の、3連符のリズムの取れていないところまでは到達してなかった。
なんでこんな「不完全」なものをネットに出すのかもわからない。
(それは私と価値観の違いだからまあいい・・・・・)

子供のころからどれだけの期間、習っていたのかは知らない。
が、その先生が楽譜に書き込んでいる注意書きを見ても
きっちりと教えている先生だということはわかる。
私ということが同じなので。
(たとえば音の長さ。休符の長さ。アーティキュレーションのまちがい、など)
ソナチネやブルグミュラーはそのときの楽譜を使っているが
注意することは全く同じことだ。
子供のころ、自己流で弾いていたのがまったく直ってない、ということだ。

目に見えるだけでも基礎的な欠陥はいくつもある。
「手の形がヘン」「拍子感がない」「リズムが取れない」
「スケールができない」「強弱がつけられない」などなど。

これらは長い年月をかけて直しておこうと思っている。
ほとんどが「自覚」の問題なので。

最初のレッスンが悪かった、と重々反省するのだが
最初「きらきら星」の変奏曲を持ってきた。
子供のときにやった、というし、本人がすごく好きな曲、というから。
私は〈講師になり立てで)自分の先生がやったように、まず一回何も言わずに弾かせた。
そしたらつっかえつっかえ、止まりながらやったので弾き終えるのに30分はかかったと思う。
まず全曲やらせるのが間違っていた。
そして、1曲終わった後、
テーマと第1変奏だけ、懇切丁寧に逐一、直していった。
直していった、というより正しい音を指示したに過ぎないが。
2時間もかけて、ある程度の手直しができたことに自分も彼女も満足した。

それが間違っていた、と今、本当に反省する。

以来、約2年近く、最初に一回弾かせたら
まあ、どの曲も見事なほど弾けてないから
一回は「あんた、これは初見か?」ときいたら「いえ、練習しました」という。
だから右手、左手、別々に懇切丁寧に音やリズムの間違いを指摘する。
そうしないとずっとまちがったままで弾き続ける。

自分が納得がいくまで練習曲もバッハも曲もこれをやるもんだから
私はとことん、疲れてしまう。
自業自得だ。
なんでこんなことを毎回やっているんだろう、と自分であきれる。
が、その責任をようこさんにかぶせるのは間違っているんだが
レッスンに来るとき「せめてここまでは」というところを
今までは暗に言ってきたのだが、わかってないので
今回「びしっ!」と言った。

力のない生徒に無理なことを言うなよ、と思われるかもしれない。
先生としての私が間違っている、と思われるかもしれない。

今までようこさんに「あんたの実力はここなんだよ」と教えてやらなかったこととか
手厚く手を差し伸べてやっていたのに急に手を離した、
という自分の反省はこれ以上できないというほどしている。

が、ようこさんのブログを見れば、
「レッスン記」なるものはきっちりと書かれていて
何を教えてもらったか、とか、自分が今弾いているものの研究とか
コンサートに行くとか、仲間内で弾き合う会をするとか
何を弾きたい、と希望するとか、ものすごく活動するように見えている。
まさか、ここでつっかえつっかえ弾いている、とはブログ上では見えない。
本人の意識と実態はぜんぜん違うところにあるのだ。

仲間内でやっている会では今までやったいくつかを自己流でやっているみたいだ。
たまにうちでレッスンが終わったとき
「○○弾いていいですか?」とか言って弾き始めて
それが気になるところがいくつもあるので、また教える。
レッスン時間は限りなく長くなる。
終わってもピアノの前から動かないのだ。
次々と勝手に弾く。

私のほうが音を上げて、ほかの生徒のレッスンを次に入れた。
次の人が来たらいくらなんでも帰るだろうと思って。

ああ、それも私が最初にきっぱりと言うべきだった、と思った。
ここはレッスン場であってあなたの練習場ではない、と。

何でいまさら、と思うだろうが、このままではようこさんも上達しない、と思い、
思い切って言った。
「レッスンはやってきたものを修正する場であるが、あなたの場合、修正どころか、
まずはじめから全部見直さなければならない」
「今後、まず課題の曲を見てもらえる程度に練習すること。できていないものは見ない。」
「うちはレッスン場であって練習場ではないから練習は家でしてくること」
「うちのピアノを使ってネットに動画投稿はしてくれるな」
「いまのままでいけばせいぜいリクレーション程度のピアノしか弾けないが
基礎から学びたいと思えばまず課題を優先すること」

これらを思い切って「メール」した。
言わなければ事態は変わらないと思った。
するとようこさんからはずぐに電話がかかってきた。
私はどう反応するのか、すごく心配だった。
もう少しゆっくり考えてメールででも返事をくれよ、と思った。

で、なるべく普段の調子で「なに?どうしたの?」といったら
「いえ、とにかく、お詫びをしなければ、と思ったものですから」という。
私はその反応はちょっと意外だった。
私だったら自分の先生からもしそんなメールが来れば地に落ちたような気になり
次に、自分が悪いのか、先生が悪いのか、考え、
たぶん、この先生は意地悪だからほかの先生に代わろう、と思ったりするだろう。
私もようこさんが私を見限ってもいいと思った。
だけど、彼女は「おわび」だった。ここが彼女のいいところだな、とも思った。

私もまだまだ新米講師。さらに精進してやらなければ。

# by nyanko715f | 2012-05-25 10:37 | ピアノ教室 | Trackback | Comments(1)

なんとマヌケな・・・

ほぼ毎日、近くのスーパーに買い物に行く。
今日も夕方行って、「シキシマパン」の食パンの前で
安売りしているから買おうかな?でも家にまだあるしなぁ・・・と迷っていた。
そしたらいつもレジをしている人が、つかつかと近づいてきて
「○○さん〈私の名)、結局、シキシマパンの納品書はなかったんだよね?」とか言う。

その人は応対が丁寧で、捌きも早いので、
私はその人がレジにいるときにはたいていそこを選んでいっていた。
いつも「袋はご入用ですか?」とかと
丁寧な物言いの人が「タメ口」で「納品書云々」という。
私はここの店員でもないし、この人はきっと人間違いをしているのだ。と思った。

が追い討ちをかけるように
「私、今日の朝、納品書のこと、頼んだよね!」とか言う。

朝、確かに私は仕事先のスーパーで「商品管理」をしている事務員さんに
納品書を探してくれ、といわれ、1枚は見つかったので届けた。
もう一枚は見つからなかったのだが・・・・その頼まれた事務員さんと
別のスーパーでレジをしているおねえちゃんとが同じ人。
と認識するまでかなりの時間がかかった。
といっても、1分にもならない時間だったと思うが
その間、私の頭の中は、関連のデータを付き合わせるのに
脳内が回る音が聞こえるほど動いていたはずだ。

そして・・・・「ああ」・・・・と納得した顔をしたときに
そのレジのおねえちゃんは「私は(あなたのことは)知ってたよ」と言った。
私は終始、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていたはずだ。

近所のスーパーにそのおねえちゃんは私が覚えてないほど以前からいてる。
私がその人のレジを選んでいくようになってからもかなりの月日が経っている。

そして勤めているスーパーでは私が勤め始めたときからその人はいたような気がする。
だったら2年近くもほぼ毎日、顔を見ていながら
私は、同一人物だとは気が付いてなかった。
なんというマヌケなことなんだろう・・・
全然人の顔を見てなかった、ということか?

それにしても接客をしている愛想のよいレジのおねえちゃんと
ちょっと「ツンツン」してるな、とずっと思っていた事務のおねえちゃんの印象は
あまりにも違いすぎる。〈私の思い込みなんだろうけど〉
制服で惑わされ、仕事の内容で惑わされ、・・・・・
それにしてもこれだけ顔を合わしているのに同じ人とわからなかったとは
私はなんと注意力が足りないのだろう!
いやぁ・・・・びっくりした・・・

# by nyanko715f | 2012-05-19 00:14 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(0)

父が骨折して入院する

父は81歳で、一人暮らしをしているが
去年の今頃、軽い脳梗塞で倒れたがすぐに回復しまた元気でやっていた。
今年のお正月も四国の実家から新幹線を乗り継ぎ、関西の我が家に来て
初詣に行き、買い物に行き、たくさん食べて上機嫌で帰った。
数年前、年老いたなぁとしみじみ思うところもあったのだが、
ここ数年、元気を取り戻していた。

ついこの間も電話で話し、
「たとえ家の中でも転んで骨折することもあるのだから気をつけるように」というと
「うんうん、気をつける」と言っていたところだ。
それが2日もしないうち、道で転んで骨折した。
入院して手術することになったが本人は元気で変わりないから
すぐには見に来る必要はない、と近くにいる弟は言うが
とりあえず見に行く、と言って、行くことにした。

ここから出発しようとしたとき、また弟から電話があり
はじめは元気にしていたが、入院して2日ほどすると
どこにいるのか、また私たちが誰なのか、全然わからなくなった、という。

行ってみてみると、ずっと寝ていて、ちょっと目を覚ましたが
声をかけても生返事をするだけでまたすぐに寝る。
ついこの間、普通に話していたのに・・・・と愕然とする思いだった。

今、脳梗塞の薬を抜いているので痴呆症みたいになっている、という。
薬が抜けたら足の手術をして、また薬を戻すが
それでも完全に元のようになるという保障はない。
だけど、手術後リハビリで歩けるようになって意識が戻ってくるならば
それにかけてみよう、と弟と話し合った。

父は弟が何回も一緒に住もう、といったが従わず一人暮らしを続けてきた。
私は離れていることもあるが年に数回会う程度で、
たまに電話で安否を問うぐらいだった。
弟はほぼ毎日顔を見ていたが、それでも父が毎日どういう生活をし
何を考え、何を望んでいるかは想像するしかなかった。
去年、脳梗塞で倒れたとき、大事なことは今のうちに聞いておこう、
と弟と一緒に行ったのだが、元気なうちに保険とかお金の話はどうにも聞きづらく
まだいいか・・・・という感じでそのままになっていた。

しかし、入院して意識も混濁していて
たちまち、保険証も老人医療証も見つからず、
公共料金の支払いとかそのほかのお金の出し入れもどうなっているかわからず
私たちには戸惑うことばかりである。

ただそういう戸惑いはおいといて
ベッドに横たわる父を見て、母が亡くなって25年、
「よく一人でがんばってきたよね」と思うしかない。

私たちは特別親不孝ではなかったが親孝行ともいえるかどうかわからない。
こういうときいつも「東京物語」という小津安二郎の映画を思い出す。
老夫婦が田舎から東京見物に出てくるが
東京にいる子供のうち、実子は白々しい応対しかしないが
戦死した息子の嫁だけが親身に世話をしてくれた。
そのあと、すぐにお母さんが亡くなる。
そこで葬式に子供たちが集まるが勝手なことを言い、もらうものだけもらってさっさと引き上げる。
で、結局親を気遣うのは嫁だけなのだが
それは「義理だからなせる業なのだ」とも言う。実際そうかもしれない。
実子たちは、映画を見ている私たちはなんと薄情なのだろう、というが
当の本人たちは全然親不孝とは思っていない。むしろ自分たちはよくやったと思っている。

自分を省みて、
自分もこの映画みたいに勝手なことばかり行っているのではなかろうか?
と思う。
だけど、それは何のための親孝行か?
自分が納得するだけの親孝行ではなく、親がどう受け止めていてくれるか?
親がどう思っていたか?居心地が悪くなかったか?というのを考えるべきで
自分の自己評価ではない。

私の場合、まだ終わりではない。何もできないわけではないので
父がどうしたしたいか?を懸命に考えてみようとは思う。

# by nyanko715f | 2012-05-14 17:49 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(4)

後悔と真実の色〈貫井徳郎)

久々に「続きが読みたい!」と本を手放せなくなりそうなものに出会った。
愛読書、とはならないだろうけど、かなり高得点が出るな、と思った本。
(ちなみにamazonでの評価はあまり高くなかったけど・・・・)

先日読んだ「受精」(帚木 蓬生)がスケールが大きい話の割にはつまらなかったので
その口直しとなるには十分だった〈と思う)

確かに・・・・「慟哭」を思い出してしまうストーリー展開が随所に見られる。
だけど、読者を欺くようなタイムラグはない。
謎解きもいたるところに伏線を張ってかなり緻密で、
後で考えると「なるほど・・・・・そうだったよね・・・・」と納得できるところが多い。

前半、警察内部の人と人とのせめぎあい、みたいな部分がひつこく
事件の進展よりそっちのほうに重点が置かれる。
一人ひとりを丁寧に書き込むもので(まるで宮部みゆきの理由みたいに)
あちこちに連れて行かれる気がしたが
後半、誰が主人公かをきっちり抑えるのでそのほうが読みやすかった。

主人公の人生、お話とはいえ、ちょっと極端とは思うけど
実際こういうこともあるのかもしれない。

推理物でも人物がはっきり書き込めているものが私は好きだ。
数いる警察官もきっちり書き分けがあり、各人の私生活も適度に顔を出し
映画にでもすれば相当面白いものが出来上がるのではないか?と思うが。
ブランド物スーツが似合って、クールで頭が切れて、
かっこよすぎて人に反感を買う西條はだれがやるか・・・・?

# by nyanko715f | 2012-05-12 22:19 | 本はともだち | Trackback | Comments(0)

暗譜

フォーレ、無言歌2番を2週間で仕上げようと思ってもダメだった。
30分か1時間でも弾いていれば弾けるようになる。
だけど、時間を置いてまた始めたら弾けない。
弾けない原因は、わかりきったことだが、音符を覚えてないからだ。
フォーレはひとつでも音符が狂うと先へは進めない(たいていの曲はそうだが。)

で、しかたなく、逐一暗譜してみるか、という気になった。
暗譜など、ピアノを弾いていれば当然のことだろうけど
リヒテルが「暗譜をする労力があったらその分、どんな音を出すべきか?
に力を費やすほうがいい」と言ったのを聞いて、そうだそうだ、と思い
そして舘野泉さんやインマゼールなんかもコンサートで楽譜を置くようになったので
私も一切の暗譜する努力をやめた。
(そりゃ、まちがってるよ、と即、言われそう・・・)

だからほとんどの曲が楽譜なしでは弾けない。
どこの発表会でも楽譜を置いて演奏させてもらう。

だけど、〈誰もがわかることだけど〉
次にどの音を弾くか?というのを迷っていては弾けない。
次にどうなる、がわかるということが「曲が弾ける」ということだ。

ただ、暗譜を奨励すると
たいていは音だけ覚えて楽譜に書いてあるさまざまなことはないがしろにされがちだ。
どこもかしこも楽譜の隅々まで覚えることなど、普通の生徒はできはしない。
それを「暗譜した」というのをイコール曲が弾けた、と思われてはいけないので
(せいぜい私、もしくは私の生徒のレベルの者には)暗譜のことは言わない。
楽譜は見れば見るほどたくさんのことがわかってくるのだ。

だけど、フォーレはまず、音を全部、きっちりと覚えないと弾けない。
いわゆる「暗譜」の作業なしでは弾けるようにならないので
久しぶりにひとつ残らず音を覚えることにした。〈努力をした、ということ)
そのことと譜面台に楽譜を置かない、ということとは違う。
〈ピアニストもそういうつもりで言ったのであって、あの人たちが音を覚えていないわけがない)
違うんだけど、フォーレの初歩の段階では
鍵盤と楽譜を中途半端に見ていたのでは意識があちこちに行って
絶対にダメだ。(ということがわかった)

時間が開くと弾けなくなるというのは
いったん仕上がったように見えたのはまぼろしだった。
やっぱり弾けてないのだ。

覚えてみるとどうにか難曲のフォーレもいけそうな気がする。
さらにいい気になって「ヴァルス・カプリス」ももう一度やり直してみよう
という気になってきた。
フォーレはいったんやった曲でもたいていはほとんど不本意な仕上がりで終わっている。
それらをやって6~7年は経っているので、もう一度やってみよう。
なぜか夏に似合う作曲家に思えるし。

# by nyanko715f | 2012-05-02 15:54 | ピアノ練習日誌 | Trackback | Comments(0)

桜舞い散るフォーレの無言歌

遅かった桜も大方終わり、葉の色が濃くなってきた。
満開のあと、風が強い日があると花びらが雪のように舞う光景が見られる。
この光景をみるといつもイメージが重なる曲がある。
フォーレの無言歌(Op、17)の2曲目、イ短調の曲。
(私がそう思っているだけで、同調してもらったことはないのだが)

作品1曲目と3曲目は変イ長調の、単純にしてこれほど心安らぐ曲があろうか、
と思うほどの佳品だが
真ん中に挟まれた曲は趣を異にして、
16分音符が駆け上がったり駆け下りたり、手は忙しいのだが
決して激しい曲ではない。

〈階名で言うと)ド~シラド~シラ、レ~ドシレ~ドシ、ミ~レド、♯ファ~ミレ、ソ~♯ファミシ~~
という動きの少ないゆったりとしたメロディに、
かくもややこしいものをつけてくれたものだ、という装飾が付いている。
全曲通してめちゃくちゃ弾きにくい曲だ。

弾きにくい第一の原因は
(楽譜を参照してもらいたいのだが、)

ド~シラのメロディに対して右手も左手も出てくるたびに音が少しずつ変わっている。
全編、この調子である。
同じメロディなのに装飾される音がその都度違う、というのは
覚えの悪い私にはそれだけで難曲だ。

しかも、それは、出てくるたび、ほんの少しずつ色合いが変わる、つまり
プリズムみたいな効果があるから音を少しでも間違えたら台無しだ。

またフォーレのほかの曲もそうだが
メロディが右手でとったり左手で取ったりというのも慣れないと難しい。

難しいのを承知でやっぱりフォーレは弾きたい。
いくら弾いても近づけないのは
「どんなに思っても遠い存在」という憧れの人、という感覚に似ているけど
いつかはちょっとでも報われる日があるかもしれないので
あきらめずに思ってみる。

さて、この曲が「桜ふぶき」みたいに思うのは
ド~シラド~シラのメロディが舞い落ちる花びらで
左手が吹き上げる風、みたいに思えるからだ。
どことなく、日本的な感覚の旋律に思える。
フランスでいっとき流行った「ジャパネスク」がはいってるんじゃなかろうか?
と勝手に想像するが、たぶん、私の思い込みだろう。
それでもいい・・・・この時期にこの曲を弾いてみたい。

# by nyanko715f | 2012-04-19 15:44 | ピアノ練習日誌 | Trackback | Comments(0)

久々、ようこさん登場。

娘が、ようこさんが自分のブログにきのうのレッスンのことを書いている
といって見せてくれた。
いや~~びっくりした・・・・
レッスンの前の日、夜に遊びに来たからCDを聞かせたり
この間読んだ本の話をしたりしたのだが
そのときに私が言った事を全部自分のことにして書いてある。
まあ、これは同じ考えであったということだし
また言った事を逐一よく覚えている、という意味でもいいとしよう・・・・

そして、昨日だけでなくこれまでもレッスンの後には必ず「レッスン記」なるものを
詳しくブログに載せている、とこれも娘に教えてもらって、見たが
言われたことは(ちょっと都合よく書いていることもあるが)おおむねまちがいなく
記してある。
これだけわかっているのだったら・・・・じゃあ、次のとき
(前のことは忘れたように)直ってないのはなぜ?と思ってしまった・・・・

たぶん。。。。
ようこさんなりには
悪いと指摘されたことで自分が納得するものについては
克服しようと努力はしているのだろう。
そんなに短期間で見違えるほど上達するものでもないのだから
私も気長に考えようとは思っている。
少なくとも、最初にうちに来たときよりはずいぶんましになった、と思う。

根本的に直さなければいけないところ・・・・
これはいくつもあるのだが
そのひとつは「拍子感」である。
これは本人の自覚がないので目下のところ一番難しい問題といえる。

たいていの曲が、聞いているほうに「何拍子の曲」とわからない弾き方をする。
ただ単に音符がつながっているだけでいわゆる「縦の線」というのが見えない。

8分音符または16分音符が長々と連なっていればそれはもう、
なだれのように音符が進むだけである。
転がり落ちるように、ともいえるかもしれない。
それも速度は一定ではなく速くなったり遅くなったり。

また休符なども不正確なのでちゃんと(3拍子の場合)1、2、3。1、2、3。・・・
とは進まないのである。
音楽が全部、斜めに傾いている、といってわかっていただけるだろうか・・・?
だけど、これを本人に納得させるのは並大抵ではない。
録音して聞かせるのが一番いい
と思っているのだが、はたして本人にわかるかどうかも怪しい・・・
だけどやってみる価値はある(次回はぜったいにやろう。)

今は仕方なく、ハノンで1拍目に過度にアクセントをつけて2拍子を感じ取れ
といっている。
拍子のお勘定ができなければ、ゆっくりした曲などはもっと悲惨である。

最近、ブルグミュラーも持ってくるようになった。
それをやり直すのはいいことで、
本人には「大人のピアノとして、もっと深く掘り下げる」と言ってはいるが
昨日持ってきた「バラード」も3小節目の
右手の8分音符に左手の16分音符をきっちり2個入れてね、
ということも言わなければならない段階である。

まあ、それもこれもおいておいて、とにかく本人はピアノを弾くことに懲りない。
いくら小言(本人にはもちろん、小言とはきこえてない)を言ってもついてくる。
他流試合(?)にもいろいろ行っているようである。
長いレッスン時間(言うことが多すぎるのでいつも長くなる)にもぜったいへこたれない。
(私は終わったら必ず頭とのどが痛くなる)
その熱心さだけは頭が下がる。

とにかく気長に鍛えよう。
いつも終わったあと、そう自分に言い聞かせる・・・・・

# by nyanko715f | 2012-04-15 13:04 | ピアノ教室 | Trackback | Comments(0)

「プラチナデータ」(東野圭吾)

これが東野圭吾の作品でなかったらたぶん、途中でやめていた。
前半、読むたびに眠気が差して、なかなか進まなかった。
東野圭吾のもので今までそんなことはほとんどなかった。

だいたい、最初に登場する「浅間」という刑事も得体が知れないし、年齢不詳。
神楽という警察所属の科学官もヤなやつ・・・・としか思えないし。
その上司たちはもちろん。後に出てくる女性もやたらとひつこくうっとうしい。

だけど、途中から浅間や神楽の印象は少し変わって
後半は一気に(眠くならずに)読み進めた。
雑な感はあるけど、相当の構築の基に作った作品だろうことは想像出来る。

単なるSF小説と思えばアイディアは非凡ではないと思う。
(いずれ)国民全部のDNAをデータ化し、犯罪捜査に役立てる研究をしているところに
アクシデントが起こる、という話だ。

コンピューター化された社会に立ち向かうのが「陶芸」という芸術だが
全体無機的なITと比較されるには掘り下げ方が足りない。
神楽の生い立ちもとってつけたようなところがある。
最後の一瞬、ほっとするところはあるにはあるが。

それぞれの人間がみんなロボットみたいで
「幻想」は少女趣味で、全体が殺伐としている。
だけど・・・・これが
今までいっぱい作品を評価されている東野圭吾が書いたものでなければ
アイディアだけだったらもっと高い位置につけたのではないだろうか?

「秘密」はもう15年以上前にかかれたものだが
あの時は、読んでいて、
妻のような娘のような女性を気にかける男の気持ちがすごくよくわかった。

現実にはありうべからざることが多いけど
「変身」とか「宿命」でも登場人物は感情豊かな人間が描かれていた。
「さまよう刃」は逃げる男を応援したくなる気持ちになったはずだ。
だから・・・・
異常な性質を持った人たちがみんな宙に浮いてしまって
最後は私利私欲だけが犯罪を牛耳っている、
という今の世の中なら何もおかしくない話なのに、
東野圭吾小説だから「雑だ」とかいう評価になってしまうのだ。
過去にはきっちりと「人」を描いていたから。
(というのは私の偏見か・・・?)

私はこの人の何が気に入って読んでいたのだろう?
すごく熱心に読んだのは直木賞を取るまでだったように思う。
受賞作の「容疑者Xの献身」もそれほどよくできているとは思えない。

「白夜行」は登場人物が本当にいやなやつばっかりだったけど
その組み立てにはほとほと感心した。
新しい小説の形だと思った。
だけど、ドラマや映画の人気が沸騰すると俳優のあて書きで
まずパフォーマンスありき、つまり
阿部寛や福山を登場させておけばいいだろうという設定になる。
私の中では湯川学は福山とは程遠い人物だったのに性格まで変わってしまった。
だから面白くなくなった。

人気、っていうのはなかなか難しいもんだな・・・
「大作家」的になって、期待される度合いはますます増し、がっかり度も増していく。

# by nyanko715f | 2012-04-13 15:26 | 本はともだち | Trackback | Comments(0)

ハルヴォルセンのノルウェー狂詩曲

昔、夢中になった映画や音楽(また人、でもいいが)に再び会いたい、と望み
願いかなって再会してみたら「え~~?こんなんだった~~?」とがっかりした覚えはないだろうか?

私はつい最近、20歳のころ夢中になった映画「サマータイムキラー」を見て
え~~?クリス・ミッチャムのどこがよかったのだろ~~
と、映画もつまらなかったし、クリスへの思いもさめてしまった・・・・
思い出だけでおいておけばよかったか・・・・・と思った。

35年後の心変わりは自分が成長している、と思ってもいいのだろうけど
ちょっとさびしい気もする・・・・

さて、音楽のほうの話・・・
これは35年もは経っていない。せいぜい5~6年ぐらい。
FMで初めてきいたハルヴォルセンのノルウェー狂詩曲。
もちろん、曲名も知らなかったのであとでネットで調べてわかった。
断片的な印象なのでねがわくばもう一度聞きたい!と思った。

検索してCDもあるにはあったが、2枚組で6000円ぐらいする。
10分ほどの曲のために6000円は高くてすぐには買えない。
(せいぜいそのぐらいの情熱での欲しさと、私の懐具合)
いずれもっと手に入りやすいものが出るかも?と思っていたけど
それどころか、6000円するCDもいつか発売中止となり
どこを見ても買えるCDなどなくなっていた。

そうこうして5年以上経ったついこの間、アマゾンの中にひょっこり現れた。
これは検索していたからアマゾンからのメールで「どうですか?」
といってくれたのかどうかは忘れたが、とにかく忘れていたころにお手ごろ価格のこれが出てきた。

最近はCDなど全く買わなかったが久しぶりに注文した。
それで数年ぶりにこの曲と再会したが
最初はノルウェーの民謡調の行進曲で始まる。
え?こんなんだったか?と思いつつ進んでくると
狂詩曲だからしてがらっと曲想が変わり
あ~~これはいかにも私が好きそうな曲だ、という部分が出てきた。
がっかりしなかった。

「自分が死んだときにかけてくれ」というほどのめりこむ曲ではないけど
お気に入りの1曲には加わるだろうと思う。

私が好きそうなというのは、たぶんかなりの人がそうだと思うが
いかにもセンチメントで、絞るような切なさがあるもの。

だいたい私は北欧物、イギリス物が好きだ。
冷たすぎるシベリウスもいいが、ノルウェーになるともっとロマンチックになる。
このハルヴォルセンはノルウェー的だけれど
かなりイギリスに近いロマンチシズムがある。
ちょっとロシアも入っているか・・・・・?

買ったCDには同じ「ノルウェー狂詩曲」という題名のスヴェンセンのものも4曲入っている。

スヴェンセンもハルヴォルセンと同じノルウェーの作曲家でちょっと時代は前になる。
(スヴェンセン、1840年生まれ、チャイコフスキー、ドボルザークと同世代)
シューベルトを模範としていたそうだ。
ハルヴォルセンは1867年の生まれ、グリーグの姪と結婚したぐらいだから
グリーグを踏襲しているだろう。
シューマンを敬愛したグリーグの派だから二人の趣はちょっと違うかもしれないが
しかし、(私はみたこともない)ノルウェーの風味を満喫できるCDと思う。
買ってよかった・・・・がっかりしなかった・・・・・

# by nyanko715f | 2012-04-08 18:25 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

管楽器的音のずれと声楽的音のずれ

きのう、郷里で母の25回忌の法要があり
久々に妹と会った。(前回17回忌の法要以来である)

妹は私と二つ違いで、私のあとを追いかけピアノを習い、
同じように吹奏楽部に入ってきてサックスを吹いていた。
大学のときは小学校課程なのでピアノも弾いていたが
ジャズバンドをやっていた。

大人になってからもたまに思い出したようにピアノを習う。
(転勤が多かったのでその都度先生が違う)
先日来も習っていたがこの間の発表会で
「アベッグ変奏曲」を弾き、大失敗をしたので今は休んでいるのだという。
本当に、たまにしかやろうとしないのだが私よりはよほどピアノも弾けるし
音楽的な才能がある。

最近では声楽を3年ほど習ったらしく、それはそれで非常に楽しかったそうだ。
そしてプロも混じったような合唱団でオケと一緒にやるような曲をしていたらしい。
(マーラーの交響楽など)
ところが・・・声楽の先生が合唱を指導している間は何も言われなかったのに
管弦楽の先生が指導するようになって
「音が違う(はずれている)」と(妹を指して)数回指摘され、それで辞めたそうだ。

声楽の先生は妹のことを大変ほめていてくれたのだが
専門の人に混じると完璧な音程を取ることができず辞めざるを得なかった、という。

今、私は声楽の伴奏をしている。
指導する先生は完璧な音程を出せるが、
生徒さんはほんの少しずれている、と私は思っている。
そのずれはものすごくわずかなものなんだが、それでもずれている、と思っている。
先生はよほど違っていれば指摘するが
ごくごくわずかのものは指摘しない。
しかし、たまに先生と一緒に歌えば、
(テンポや抑揚ではなく)音程がぴったり一緒ではない。
私はその音程のずれはずっと気になっていた。

妹の話を聞いてその音のずれは
管楽器的に考えたものと、声楽として考えたものとの違いではなかろうか?
と思った。

たとえば演歌の歌手などは音が外れている人が多い。
全部が(たとえばピアノと合わせれば)低い、という人もいる。
が、それは歌としての価値を下げるものではない。
声楽ではある程度のずれというのは許容範囲で、
音が(たとえば何サイクルなどと数字で表すものと)ずれていても重要なことではない。

私は吹奏楽の時代から「音を合わせ!」というのばかりいわれてきた。
管楽器も弦楽器も
ピアノみたいに音が決まっているものを鳴らすのではなく
自分で音(音程)を作るものである。
もちろん、歌も人が音程を作る。
同じことなんだけど、それでもなんか、許容範囲が違うような気がする。

私も本当に世間が狭い人間だけれど
どんな話も思わぬところで知らなかったことが知れるときがある
そう思うとできるだけ間口を広くしてたくさん人と話さなければならないな
と思った。

久しぶりに郷里の親戚にも会えばいろいろわかることがある。
冠婚葬祭というのはそのためにあるものかもしれないな、と思った。

# by nyanko715f | 2012-03-26 11:45 | ピアノ練習日誌 | Trackback | Comments(2)

マガロフ、ワルツをひく

年配のクラシックファンが「フルトベングラーが・・・トスカニーニが・・・・」
という往年の名演奏家の話をしていると「もういいかげんにしてくれ・・・」
と内心思ってしまう。
なのに、自分も若いころのアシュケナージとか
今は亡きリヒテルとかラローチャを聞いていかに感動したかを話したがる。
私の話も「年寄りのたわごと」にちがいない。
年をとったものが今までに感動した話をしたがるのは世の常である。

私も一時期まではほしいLPやCDを熱心に探し
ライブラリーを増やすことに腐心した。

ほしいものはたいてい買ってある、と思っている。
はずではあるのだが・・・今でも「手に入れておけばよかった・・・」
と思っているアルバムがいくつかあってその1枚が
「マガロフ、ワルツを弾く」である。

1993年ごろ発売のもので、今は手に入らない。
当時、友達にこれを買った人がいてカセットテープに録音したものをもらった。
すごく気に入ってテープが擦り切れるほど聞いた。
そのときなぜCDを買っておかなかったのか?とすごく後悔する。

これはいろんな作曲家のワルツが入っている。
「レントより遅く」(ドビュッシー)ってワルツだったのか・・・?
とこのとき知ったりしたが、本当にさまざまなスタイルのワルツがはいっていて
このCDが名曲名盤かどうかという評価などどうでもいいぐらい
聞いていてとても幸せになれるCDなのだ。

中でもモシュコフスキのワルツOp、34-1は
ほかの演奏者のものも探してみたが全然ない。
19世紀のヨーロッパのサロンを髣髴とさせるような
呑めない私でも完全に酔ってしまうような華麗なワルツである。

楽譜は持っていて何回も挑戦してみるが
この音の洪水のような音符の羅列にいつも完敗する。
たとえ弾けたとしても酔わせるような演奏はできそうにないので
マガロフのこれを聞きたいのだ。

マガロフ、という人はロシアのピアニストで、
レコードはすさまじい数のものがある。
あまりにも多すぎるからなのか、
レコードの数ほどには名演奏家としての評価がなかったような気がする。
私も家に古いレコードがたくさんあったにも関わらず、
マガロフを本気で聞いたのはこの「ワルツを弾く」のCDが初めてである。

これのあとにショパンの練習曲などを聴いた。
実にきっちりと、姿勢を崩さず、それいて流麗に弾いてある。
いろんな演奏家が教えを請いに行く師匠格の人である、というのも後で知ったことだが
ピアニストとしてもっと評価が高くてもいいように思う。

マガロフの言葉に
「私のところによく若いピアニストがレッスンにやってくるんだけど、彼らにいつも作曲家のいいたいこと、楽譜に書いてあることを演奏家が勝手にいじっちゃいかんといっている。ショパンなんか、若い人は自分の解釈を全面に押し出してくずして弾くからね、ありゃいかんよ」

というのがある。
私など、末の末のピアノ教師だが
「まず楽譜に忠実に」の基本はまちがってはないのだ、と再確認する。
「作曲家の思想、テンポ、リズムに忠実であれ」
そしてその次に自分の感性、という順番を間違えてはいけない。と改めて思う。
もちろん、私および生徒が立っているのは
まだ自分の感性も加えちゃいけないような基本のところである。
だけど基本に忠実にする姿勢が感性を作り出すようにも思う。

「忠実に」を前面に出すあまり「古臭いピアニスト」などと評論された過去もあるらしいが
この「ワルツを弾く」のアルバムからは作曲家+マガロフの感性で
見とれるような美しい姿の踊り手たちが集う舞踏会の情景が感じ取れたように思う。

聞けなくなったからなおさらすばらしい演奏に思えるのかもしれないが
できればもう一度このCDに会いたい・・・・

# by nyanko715f | 2012-03-24 13:48 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

声楽発表会をめざして・・・

声楽の生徒さんが発表会をすることになった。
生徒さんは現在63歳。
60歳で退職されてから初めて声楽を習うようになったのだが
そりゃ、もう熱心である。

私は以前、声楽を習いに行って挫折して3ヶ月でやめてしまった。
もしも今の声楽の先生に習っていたらやれたか・・・?とは思うが
もう絶対やる気はなくて、自分には向かない、と思っている。
そもそも音域が狭い。
それは声の出し方を知らないだけだとは思うが
オクターブ上の「ミ」辺りでヒーヒー言っている。
くだんの生徒さんは上の「ソ」辺りまでは軽く出る。

ずっと前、「どのあたりまで声が出ますか?」と訊いたことがあるが
「考えたことない」とおっしゃる。
私は楽譜で考えてこの音は高い、この音は無理、と決めるが
楽譜から音楽を考えない人は、高いとか低いとか関係なしで
声域を広げていくのだろう、と思った。

その生徒さんにとっては人前で歌う、
それも自分の名前で発表会を開く、というのは夢であり、
だから心血を注いで練習をがんばっているのだと思う。

その伴奏者の私も心血を注いで伴奏しなければならないが
なんせ、本番大嫌い・・・・
今まで何回も発表の機会は踏んできたはずなのに
その都度、必ず情けない結果で意気消沈している。
ああ・・・・・今回責任重大で、応えなければ・・・と思うけど・・・
この「ノミの心臓」どうしようもない・・・
上がってもどうにかできるほど練習を重ねることかなあ・・・
とりあえず、6月の発表会まで、なるべくたくさん弾くことか・・・・

# by nyanko715f | 2012-03-23 10:15 | ピアノ教室 | Trackback | Comments(0)

ミステリーチャンネル

このごろは・・・・仕事でもトラブルが多く、なんか気持ちが重くなる日が続いている。
せめてもの気晴らし、はTVのミステリーチャンネルで海外のドラマをみることである。
一番よくみるのは「刑事コロンボ」で、
これがNHKでかかっていたとき・・・・私は中学か高校で・・・
そのころはあまりみていなかったのだが
それでもなんか懐かしい気持ちで録画すると、結構面白い。
スピルバーグ始め、有名な作り手がかかわっているのだから
丁寧に作られているし、ゲストの役者がすごく達者な人たちで
見ごたえがある。

いくつかみて気がついたが
殺人だからそのときには「ズドン」とか「ガシャ~~ン」はあるが
あとはアクションもないし、犯人との大きな声での言い争いもない。
また犯人は最後に見苦しい言動もせず、静かに終わる。
終始、会話の駆け引きのみである。

これがひつこい、と「理詰め」が嫌いな夫は怒る。
うなぎみたいににゅるにゅると犯人に取り入るコロンボが気に入らないらしい。
まあ、そこが好きか嫌いか、好みの分かれるところだ。

中には最後にペテンにかけて白状させるという苦し紛れの展開もあるが
そのペテンがまた凝っている
中には警察総動員での大掛かりな仕掛けもある。
(日本の何とかいう映画にも、店の人全部が仕掛け、というのがあったなぁ・・・)

それに、毎回、筋書きにふさわしい音楽がついていて
これも感心するところだ。

日本にもこれを真似た刑事物があるが
残念ながらつくりがぜんぜん違う・・・・
(人気で言えばそっちのほうが断然人気あるが・・・)

「刑事コロンボ」の次にみるのは
REX、という犬の話。
今ではあまり見かけなくなったシェパードが活躍する。
これは1時間物なのでちょっと事件が「ちゃちい」が
舞台はオーストリアで、風景がすごくきれいだ。
また日ごろあまり耳にしないドイツ語も新鮮だ。

次はイギリス物をみるつもりだが
お国柄でドラマのつくりが違うのもなかなか楽しめるところだ。

さて、このチャンネルで毎日やっているシリーズが
「0011ナポレオン・ソロ」だが
これは私が小学校5年か6年のときにTVでやっていた。
さして面白いとおもわなかったが
これをみないとクラスで話の仲間に入れてもらえなかったので
仕方なくみていた。
小学校のそのクラスには力のある主流派があり、私ははずれていた。
ほかに友達がいなかったわけではないが
私はなぜか、その主流派から外れるのが怖かった。
結局は仲間はずれのままで仲良くなれなかったグループだったのだが
この番組をみると、その人たちに媚びるように見ていたのを思い出す。

この番組が嫌いなのはそのころの自分が好きでなかったからかも。

# by nyanko715f | 2012-03-20 16:58 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(2)

「デュポールのメヌエットによる変奏曲」K、573

声楽の新しい曲で「愛の神よ、照覧あれ」というのをもらった。
フィガロの結婚からのアリアだが、
早速やってみたが穏やかでとても美しい。
調子よくやっていると、先生が「これはとてもさびしい曲なんですよ」という。
私はてっきり、(オペラの筋を知らないので)恋する自分の気持ちを歌い上げたもの
と思っていたら、なんとまあ、
夫の心がほかの女性に移ってしまった伯爵夫人の嘆きを歌ったものだという。

変ホ長調のラルゲットのメロディにはどこにも曇りがない。
これほど透明な色調の中に孤高の寂しさを込めるなんて
モーツァルトというのはなんというすごい作曲家だろうと思った。

前にも書いたように思うが
長調は明るく楽しい感じ、短調は暗くさびしい感じ、
と教えるのには絶対反対だ、といってきたが
(しかし、こういうのが一番便利なのでやっぱりそう教えてしまっている・・・)
モーツァルトのこの曲を聴け、短調のお涙頂戴よりずっと悲しみが深いではないか・・・!
と思い、しかし、歌は(高貴に)さびしく歌うが
伴奏は(同調せず)ただただ美しく弾けばいいのだ、と解釈する。

本当にモーツァルトはすごい・・・・
それですごくモーツァルトが弾きたくなり
学生時代にやった「デュポールのメヌエットの変奏曲」を引っ張り出した。

今でもこの曲は簡単には弾けない。
しかし、今なら自分がどこが出来てないかはわかる。
学生時代はそれさえわからなかった、と思う。
モーツァルトから程遠い音でこの曲を弾いて、
細かい部分は全部いい加減にごまかして
これを聞いていた先生はさぞご立腹だっただろうと思う。
私が今、ようこさんの演奏を聞いて立腹する以上に我慢が要っただろうと思う。

今は出来てないところを直すのに時間をかけなければいけない、
と思うようになった。
できないところを慌てて修正しようとしてもそれは応急処置でしかない。
できないところは土台から直さなければだめだ。

この曲はレッスンで(今の)先生に見てほしいと何回もお願いしたが
やらせてくれなかった。
たぶん、どんな風になるのか、想像できてそんなこの曲は聞きたくない
と思われたのだろう。
いつか、まあまあの及第点を取れるぐらいになったらみてもらおうと思う。

モーツァルトのソナタだけは全部一通り制覇したい、と思っているが
まだ3分の2ぐらいしかいってない。
あと何年かかっても一通りやっておきたい・・・
とりあえずの目標です。

# by nyanko715f | 2012-03-12 15:02 | ピアノ練習日誌 | Trackback | Comments(6)

喉の痛みは花粉症?

ここしばらく、ずっと喉がイガイガしていて
ついこの間は声がかすれてほとんど出なかった。
声楽の伴奏の仕事に行くと
「どうしたんですか?、まるで、『こんばんは、森進一です』みたい・・・」
とからかわれた。
こっちはそれどころじゃない。
咳も出るし、特にピアノを弾いているときに咳き込むとどうしようもない。
うっとうしい・・・・
たぶん、風邪だろうと思ったけどそれでも長い。
もしかしたら、花粉症?と気がついて
ネットで調べてみると、ちゃんと出ている。

そういえば、毎年この時期にはたいてい喉がやられている。
しかし、花粉症というのはくしゃみや鼻や目の痛みなどで
まさか、喉のほうで花粉症など疑いもしなかったが
そうだとすると合点がいく。

風邪にしては期間が長すぎる。
熱も出ない。しんどくもない。
ただただ喉がイガイガして、夜になるといっそう咳がひどくなる。
痰も絡んでくる。

ほっといてもいいか・・・と思うけど、咳が出てくるのはうっとうしいから
病院へ行くか・・・?
そんなうっとうしさで3月も早くも3分の一が終わりそうだ・・・・・

# by nyanko715f | 2012-03-09 14:55 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(4)

2月が終わる~~

2月が終わる。
何をしているかわからないうちに過ぎてしまった
(いつもそうだが)

このひとつき、ずっと風邪気味でゴホゴホいってばかり。
風邪もその程度で進みはしないが、それでも喉の痛いのはうっとうしい。
レッスンでも何か言おうとするとゴホゴホが出る。
生徒さんはさぞ聞きづらかっただろうと思う。

2月は商売でもいちばんひまな月とされるが
うちの工場ももちろん、ひまだった。
しかし、おっちゃん(夫)は暇でも忙しくても、気持ちも生活も全然変わらない。
私など、ひまになると「お金がない~~」とか「ビンボーだ~~」とか
嘆いているが、おっちゃんはそんなものに頓着しない。
家のお金がどんな風に回っているかはいっさい知らされていないが
「毎日、ちゃんと食べて、ちゃんと呑めて結構なことだと思えよ!」と
強制されているが
そんな小言はどこ吹く風で、いつも機嫌がいい。

きのうも「きょうは納品に行くから昼飯代、1000円おくれ」といってきた。
「昼飯代に1000円!家族全員の晩御飯が1000円やのに
なんで昼飯に1000円も要る?500円でええ!」といいはしたが
かわいそうなので1000円わたした。

なのに・・・きのうの夕方近く、仕事から帰ると
家で残り物でご飯を食べている。
どしたん?というと、もったいないから今まで我慢して帰ってきた。という。
あげた1000円は?というと貯金する、という・・・・
じゃ、これで当分小遣いは要らないわけだ・・・・(子供より少ない・・・)

明日はおっちゃんの誕生日だ。
子供の誰かがケーキを買ってくれることでも期待しよう。
私はそれより、近所のスパーが創業祭で安売りをすることのほうが大事だ。

3月・・・・日差しも明るくなってきたし・・・・
何かいい方向に向いてくれないかなあ・・・・

# by nyanko715f | 2012-02-29 22:57 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(0)

「6月の海を泳いで」〈広谷鏡子)

先日、作家の「広谷鏡子」という人からメールが来た。
高校の同窓生らしいが、
このたび、母校を舞台にした青春小説を上梓したので
卒業生の皆様にご案内申し上げています、とのことだ。
全然知らなかったが、6歳しか年が変わらないなら
自分の青春時代とも重なるところが多いだろうから読んでみようかと思った。

しかしまだ発売されたばかりで図書館にはなく
とりあえずおいてあった「6月の海を泳いで」というのを読んでみた。

舞台は東京、一時帰郷する実家は愛媛県なので、郷土色などはない。
一言で言ってしまえば不倫の話。
全編にわたって
「谷村倫子が松坂達彦を好きであった」ということからは一歩も出ない。
しかし、気持ちの叙述、または分析、といった自己を観察するような書き方をしているので
甘い恋愛の話なのに、どろどろしたところがない。
恋愛を理屈っぽく語る、という点では作風は嫌いでなくはないが
あとは「登場人物のような生き方、考え方が好きかどうか」である。

主人公の谷村倫子は36歳。
この本を読む限りでは、自分の人生すべてが「恋愛」で成り立っている。
私が勝手なことを言わせてもらえば「人生もっと大事なことがあるでしょう?」
という気になる。
そもそもこの人の周りにいる人がみんなそれほど「恋愛中毒」なわけ?
だって登場人物みんなが全部恋愛がらみ、の人だから。
みんな人はそういう目でしか人を見ないの?
と、恋愛にあまり関係なく生きてきた私はちょっと反発する。

だから・・・・
小説の出来不出来ではなく、感じ方においてだけ言えば
宮本輝みたいに
恋愛中毒であっても、「生きることとは何か?」を常に問うているなら
まだ後に残るものがあるように思う。

もうひとつ好き嫌いを言えば
好きになったら周りにはお構いなしに猛進するよりは
「喜知次」〈乙川優三郎」みたいに自分の気持ちを隠し通す
というほうが、小説らしくて無条件に感動する。

林真理子が以前、
不倫を書いたからといって不倫を推奨しているわけではない、といっていたが
こういう当事者を主人公にすればどうしても自己弁護的なものになって
「好きなんだからしかたないじゃない・・・・・」という不倫肯定の話になる。

だからこの小説も結局のところ、決して出来が悪い、というのではなく、
こういう生き方が好きかどうか、しか感想を述べられないのは
かなり損をしているような気がする。
残念ながら、人が死んだというのに、
その悲しみを全く共有できない話だった。

だけど、同じ時代に同じ土地で過ごし
本物の郷土の言葉で書かれた小説には期待する。
単に同窓生の誼になるかもしれないが。

# by nyanko715f | 2012-02-15 14:47 | 本はともだち | Trackback | Comments(2)

生きてます

2月になってから一回も更新していない。
このブログで私の生存確認をしてくれている人もいるから
死んだと思われているかもしれないが、まだ生きてます。

相変わらずの日々だが、
こんなに平々凡々な生活でも小さい事件は毎日ある。
スーパーの職場では内部紛争が勃発して空気がぴりぴりしている。
職場のシステムが安定してなくて能率が悪い、などというのは
どこにでもあることだろうからいいとして
それを指示する人の言い方が悪いとか、何を言ったとかいう
些細なことで気持ちがこじれ、
中学校か高校の部活みたいに、それぞれが不満を言い合っている。

いくつになっても、どんな団体でも究極は人間関係なんだ・・・・
完璧なシステムで、全員が和気藹々、
一点の曇りもなく仕事を進められる会社なんてそうそうあるわけがない。
みんなぎくしゃくしながらそれでも経済は流通している。
だけどそのぎくしゃくが大きいときと小さいときがあって
今は結構大きい。
人と人との感情の問題なんだからそのうち何とか解決するだろう。

ピアノ教室のほうは、春に近づくと何人か新しい生徒さんの打診がある。
まあ、ぼちぼち、というところだ。

ようこさんは、本当に・・・・あいかわらず、だ。
今は
ル・クーペ、クレメンティのソナチネ、ブルグミュラー、という
子供のときにもやった、というプログラムを見直しているが
譜面が易しいものでも楽譜を正確に読まないのは同じ。
アーティキュレーションも自分勝手にするし、休符もいいかげん。
それよりこれぐらいでも弾けてない、
つまり、間違える、何回も引き直しをする、すんなりいかない
というのはどういうことなんだろう?
小学生でももっと弾くよ、といいたい。

私もレッスンで「弾けてない」ということは多々ある。
そのたび、恥ずかしいと思い、もっとちゃんとやらなきゃ、と思い、
次回には少なくとも前回を挽回するつもりで行っている。
(自分がそう思っているだけかもしれないが)

だけど、ようこさんは、クレメンティあたりのものでも2回目でも
やっぱり弾けないところは弾けないのだ。
単純な音階やアルペジオでも。
音も間違えたまま。
その「弾けてない状態」を本人がどのように思っているのかがまったく不明なのだ。
あれほど熱心にCDを聴き、本を読み、DVDなども見て
評論もいっぱしにやるのに、自分のことは省みないのか?
それが不思議でならない。

で、それならまったく力がないのか?と思うと
インベンションの1番など好きな曲は結構完璧に弾く。
発表会で弾いたシューベルトのワルツもそう悪くなかった。
これだけ弾けるのにクレメンティのソナチネができない、というのは
本人の気持ちの問題、としか言いようがないのだが
「つっかえつっかえ」のクレメンティを聞かされるのはなんとも心地悪い。

本人がいやいややっているからできないのではないか?
と思うかもしれないが、それはそうではなく
本人はこれが終わってももっとクレメンティをやりたい。
今年の発表会には「ソナチネ」でもいい、というのだ。
同時に「モーツァルト」「バッハ」「ブラームス」「ラフマニノフ」など、
難易度の違うものもまったく同じように口にするが。

つまり・・・・・我々は難易度の違うものは段階を追って考える。
しかし、ようこさんはどんな曲も同じ線上にある。
易しいものも難しいものも同じ線上にあって
取り組む気持ちも完成度も同じなのだ。
へ~~そういう考え方をする人もいるのか・・・・
と勉強にはなった。

ようこさんの技量を上げていくには相当の我慢が要る。
とにかく毎回同じ注意をしなければならない。
教えたことはその場で理解し、訂正され、上向いていく。
本人も新しい発見をしたことを喜んでいる。
「理解された!」と私もうれしがっていたら、次回にはすっかり忘れてしまっていて
また同じことを言わなければならない。

だけど、まだ1年半だ。
何年もかけて言うことをわかってもらおう、と思う。
音階やアルペジオなどの運指はハノンできたえることができるのだろうか?

# by nyanko715f | 2012-02-12 10:54 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(5)

ジョニーイングリッシュ「気休めの報酬」

あっという間に1月が終わる。
1月後半、文楽に2回、映画に2回、職場の新年会に昼食会、と
出不精の私にしたら驚くほどよく出かけた。
決して懐が暖かいわけでなく、工場の仕事は暇すぎるし、
ピアノもみんな、なんやかんやで休みが多く、むしろやけのやんぱち、
遊びに行こう、という気休めである。

先週見たのは「ALWEYS 3丁目の夕日 ’64」
1と続、を見たから、行きがかり上、見てしまったが、これはTVでもよかったかな
と思う。
TVドラマだと思うと、結構見られる。

ついこの間のはずの昭和の気質を「古いタイプ」にしてしまって
別にあのころがよかった、といっているわけではないが
失われているものが多々あるだろう?というメッセージには違いない。

ちょうどその時代を生きてきて「昭和に戻りたいか?」と聞かれたとしても
たぶん、戻りたくはない、と言うと思う。
今のほうがずっと進んでいて、便利で、不精なことに慣れてしまっているから
不便なほうに戻りたいわけがない。
ただ・・・・・自分は、「3丁目の夕日」的な時代を過ごして今に至ってよかったな、と思う。
昭和30年代と今と・・・・・
たとえば、昭和56年に生まれた娘の子供時代といまとを比べて・・・・
私のほうが「隔たり(変化)が大きい」と思っているのは私の思い込みだろうか・・・?

さて、今週見たのはタイトルにもした「気休めの報酬」だけど、
あのビーンの顔を2時間も観るのはなぁ・・・・・とちょっと躊躇したが、評判がいいので見ることにした。
期待を裏切ってアトキンソンの顔は「普通」に近いのが多く、
さらに・・・・ちょっとだけかっこよくも見えたりする。
スパイグッズも盛りだくさんだが、それらを惜しみなく、さらっと使っていく。
爆笑、というよりは「ほう」とか「ふふ~ん」というさらっとしたコメディに仕上がっている。
面白いのは面白かったがあまり後には残らない。
ずっと頭に残るのは「山の魔王の宮殿にて」(どういう意味かは映画館で・・・)
アトキンソン・・・ってなかなかやるね・・・・

本物の「007」の映画の場面をパロっているところも多いので
この程度のもじり方なら007ファンも怒らないのでは?
まさに、気休めに観るのにはいい作品だと思う。
結構スケールも大きいのでぜひ映画館で。

# by nyanko715f | 2012-01-31 14:06 | 映画の話 | Trackback | Comments(0)

価値ある500円

思いがけなく(朝の)仕事が3連休になった。(教室は休みじゃないけど)
おまけに、年末年始、よくがんばったので来月には有休までくれるという。
それに気を良くして、出不精の私がまた日本橋まで出かけた。
先日の「義経千本桜」をもう一度みたい、と思ったからだ。
ひとつきに2回も文楽にいけるほどのご身分ではないのだが
幸い「幕見席」というのがある。
これを使うと「道行初音旅」なら500円で見られる。
場所は会場の一番後ろの端になるが
文楽劇場はそれほど広いところではないので一番後ろでも十分である。
それにそこは中央の席からは一段高いところになるので
前の人の頭が邪魔になるなんてことはなく、全体が見渡せていい場所である。

これほど一流の芸能を500円で見られる、などというのは
世の中にそうあるものではないと思う。
もっとも好きな者にとって、だけの価値だけど・・・・

文楽はたいていの人が「人形がやる時代劇」と思っている。
それはそれで合っているのだが(たまに現代物の脚色もあったりするが)
人形が舞台に居ない時間はあるが、三味線がなっていない時間はない。

文楽の三味線は太夫さんの歌の伴奏であるときもあり
語りの合いの手でもあり、物音や空気など
ありとあらゆる役目をする。
三味線は一人のときもあり多ければ5人並ぶこともある。
筝や胡弓が加わることもある。

影で鳴り物(打楽器類)や細棹の三味線が入ることもある。

私は毎日西洋の音楽を勉強しているが
日本の古典音楽は実に不思議なものに思う。
楽譜に書けるような節もあるにはあるが
音符で表せない微妙な高さの音や抑揚があり
リズムも何拍子とはいえない変化に富んだ進行をする。

こういうものに比べると西洋音楽は実に単純明快と思う。
人間の声や弦楽器などは音符の間の音も自由に出せるけど
ピアノに限って言うと
鍵盤はきっちり区切りがあるし
楽譜に書いてある決まりごとを忠実に守ればいちおう形になるので
日本の古典音楽をやるよりは(初歩の段階では)易しいように思う。

「呼吸」(息)だけで音楽を進めていく日本の古典は
飛びぬけて、奥が深いように思う。
自分には雲の上の存在みたいなので余計、魅力的に思える。

幕が上がるのを待つきょうのひととき・・・・とても幸せな気分だった・・・・

# by nyanko715f | 2012-01-21 01:14 | 落語とか文楽とか | Trackback | Comments(0)

文楽新春公演 「道行初音旅」

このごろは出かけるのが前にもまして億劫になっている。
買い物など、よほど必要でないと出かける気がしない。
たまに運動代わりに散歩を兼ねて少し遠くのスーパーまで歩いたりするが
それも出かけるのにかなりの決意が要る。
だから、1月の文楽公演も行きたい気持ちはなくはないが
行くのには大いに決断が要る。が・・・きょうは思い切って行ってよかった・・・・

文楽は1年に4回、定期的な公演がある。
が、いろいろ事情もあるのだろうが、出し物は大体決まっていて
「義経千本桜」などは1年か2年に一回は回ってくるのだが
それでも毎回見たい!と思ってしまうほどこの演目は魅力がある。

今は桐竹勘十郎の忠信がすごくいい。
「初音旅」と「河連館」の間に数回の早変りがあり、宙乗りもあるので
かなり体力を消耗すると思うが今、いちばんいい。
それに今回は静を豊松清十郎が遣う。
これも、けなげでかつ気丈、という見ていて気持ちのいい静である。

見所満載のこの演目は文楽を始めてみる人には絶対、おススメだ。
人形だけでなく、人形遣いの着物も一瞬のうちに変わるんですぞ!
それに「忠信」が舞台のいろんなところから出没する、という仕掛けも
(ミーハーまるだしだけど)楽しくてうきうきする。

それ以上に心躍るのは「音楽」である。
文楽の語りと三味線を「音楽」といってしまうのは間違っているかもしれないが
きょうの「義経千本桜」ともうひとつの「壷坂観音霊験記」を見た(聞いた)後は
オーケストラのコンサートでシンフォニーを聴いた心地に似ている。

「道行初音旅」のたて三味線は奇才(もしくは異端児)といわれる鶴澤清治だった。
久しぶりに見たが、ちょっと年をとっているけど、相変わらずカミソリみたいにピーンとした音で
あたりにも張り詰めた空気をかもし出している。

勘十郎の活気、清十郎のたおやかさ、、研ぎ澄まされた清治の三味線は
ミスマッチみたいなのにそうではなくて、見事に混ざり合って充実感いっぱいの舞台になった。
来てよかった・・・・・と思った。
これはTVやDVDではだめなのだ・・・・ここに来てこの空気の中にいなければ・・・・

きょうの上演プログラムに「いしいしんじ」という作家の人が
書いている文章の中にこんな一節があった

(中略)人間は自分の意志で生きているようにみえ、じつのところ、意志も考えもまったくないままこの世にうまれおち、その後も、自分ではどうにもできない波に押されるとおり、動かされ、運ばれ、結ばれ、わかれ、そしてある日倒れ、動かなくなる。背後に大きな黒い人形遣いがいて、虚空で三味線が響き、雷の言葉で一生を語られているようなものだ。人間の生は、そのまま文楽に写し取られている。(後略)


文中に「雷の声」というのがあるが
これは、この人が始めて文楽を聞いたとき、太夫さんが「喉の奥に雷を飼っているような声でうなり始めた」
と感じたらしいが、なるほど・・・・うまいことを言うな・・・・と思った。(作家だから当たり前か?)

そうか・・・・私も遣われている人形のひとつか・・・・そうかもしれない・・・・

# by nyanko715f | 2012-01-14 00:39 | 落語とか文楽とか | Trackback | Comments(0)

戻ってまいりました!

なくなった・・・と思っていたはずの旧パソコンのデータが帰ってきた・・・・
なくなったところで全部個人用のものだから
すっきりあきらめて、新しく出直せばいい、と思っていたところへ
婿がなにかそれ専用のケーブルを買ってくれて、
それに旧パソコンから取り出したHD(まるで、脳内だけ抜いたような・・・)を差込み、
それを今のPCにつないでみるとデータはほとんどそのままで戻ってきた。

たとえば・・・・新聞記事のように組んであるものはパーツがばらばらになって見られないが
前田(広島)の2000本安打記念の写真とか、
オールスターで最優秀選手になったときの記事とか・・・・・
そして・・・・自分の3年間日記、写真とか・・・(他人には本当にどうでもいいもの・・・)
が全部、戻ってきた・・・・

2年前、東京へ行ったとき、スカイツリーの工事中の写真を撮っていたのなどは
そのときしか見られない物だから残念に思っていたけど戻ってきてよかった。

別れた恋人と再会した・・・・・という気分に似ている・・・・
劇的な再会・・・ではなく、「あ、どうしてた・・・・久しぶり・・・」という
空白期間はなんでもなかったような再会の仕方・・・・

自分じゃなきゃ何の価値もないものなのにねえ・・・
また過去のものを後生大事に抱えている狭量な自分に戻ってしまった・・・

浅草から見た工事中のスカイツリー

# by nyanko715f | 2012-01-10 10:01 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(4)

2012年の幕開け

新年おめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。
昨年末にPCが壊れて、年賀ソフトも住所録も失い
年賀状も間に合いませんでしたが
早々に年賀状をいただいた皆々様、どうかご容赦のほど
今年もどうかよろしくお願いいたします。

今年、よき政変があり、少しでも暮らしやすくなりますよう
こころから願います。(たぶん、期待はずれでしょうが・・・・)

年末年始、ずっと仕事でやっときょう、休みが来ました。
年始にお仕事をしている人はたくさんいるでしょうから
えらそうに言うほどのことはないのですが・・・

年末あれだけの商品が入ったのに、年始にまたどっさり入荷してきて
お客さんはさして多くなく、それでもどんどん入荷して在庫いっぱいなんてのは
いったいどうなっているんでしょう・・・・・
だから、すごく忙しいだけで・・・働くほうも疲れているから揉め事が多くて
年始から面白くもない日々です。

やっと休みが来て、このブログを更新しようとして
長々と文章を書いたのに(しみじみとしたいい文章だったのに・・・
と消えてしまったから言っておきます・・・・)、
途中でほかのサイトを検索してしまったので
全部消えてしまった・・・・それでももう一度書いていたら
今度は電話が入って中断したらまた消えてしまった・・・・・

今年もマヌケな幕開けです・・・
いくら学習してもこりないですが、今年もどうかよろしくお願いいたします

# by nyanko715f | 2012-01-04 12:04 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(13)

とりあえず・・・今年を振り返って・・・・

大晦日というけどまったくそんな気がしない。
だけど店という店がお客さんでごった返し、どの人のかごも商品が山のように入っているので
やはりお正月が来るのだろう・・・

今年は年明けから災難続きで最後の最後にPCまで壊れてしまって
いいことがなかったように思う。
しかし、私の災難など震災や原発の被害のことを思うと取るに足りないものだ。
悪いこと続き、などという範疇にも入らないだろうと思う。

今、家族も健康で仕事もあってつつましくでも暮らしていけているのだから
十分幸せにやっている、と思わなくてはいけない。

今年1年で、まず、スーパーの仕事にかなり慣れてきた。
人にも慣れ、仕事にも慣れた。
人に慣れたことで自分の居心地がよくなった。
朝早いのと寒いのにはつらいときがあるが、これも冬を過ぎればどうってことなくなる。
まだ当分はがんばっていけそう、と思う。

それから・・・今年1年でピアノを教える、ということが
少なくとも去年の今と比べると、かなり自分の中で定着してきた。
生徒も長い子は1年半になるのでその成果が見えてきて
もちろん、私のやり方が100%いい、などと言いはしないけど
成果があるのは方向が間違ってはないように思う。
しかし、音楽はあくまでも人の感覚の問題で
成果なども自己満足であることも多い。
何で成否を確かめるのかもわからないが
それは、今の自分が持っている音楽の信念を信じるしかない。

満足するときは進歩がなくなるとき、と思うので
常に反省は必要だ。
人との交流や発表や広く世間に問うことが必要と思う。
そのための足がかりになる発表会が今年できたことはとても幸運だった、と思う。

そう思うと今年はとても幸福な年だった、といえるかもしれない。
そういうときこそいい気にならず、よけいに慎重に自分を見なければならない。

一方、反省すべき最大のことはピアノを弾かなかったことである。
レッスンを中断して、練習時間は限りなくゼロにちかくなった。
新しい曲を何も弾かなかった。
これじゃいけない・・・・来年、心を入れ替えてやる!というのも小さな声でしか言えないが
やらなければ下降の一途をたどる、と自分に言っておこう。

さて・・・・明日からも3が日ずっと仕事です。

今年1年、ブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
また来年もどうかよろしくお願いします。
PCが壊れて年賀状もできていませんが申し訳ないことながら
これをもちましてお礼の挨拶にさせていただきます。
よいお年をお迎えください。

# by nyanko715f | 2011-12-31 22:21 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(0)

私のPCが最期の時を迎えてしまいました!

いつものように起動スイッチを入れてもエラー画面が出て動かない。
あれ~~~前の日の夜までは動いていたよ・・・・
まさか、このままになっちゃうんじゃ・・・・と不安になるが
この症状が深刻かどうかもPCに疎い私にはわからない。
とにかく家族の中では一番詳しい婿に判定を依頼したが
娘は簡単に「もうあかんのとちがうかな~~」とか言う。
え~~~~!これには3年間の日記とか家計簿とか経理のデータとか
そこそこの量の文章、写真、ぜんぶ入っているのにそれがあかんわけ~~?
まさかまさかそんなことないよね・・・・・

と思いつつも、夜、婿が会社から帰ってきて見てくれて
8時24分、最期のときを宣告された。

PCとはそういうもの、とわかってないわけではないのだけれど
バックアップを取っている、と安心している。
バックアップ、といってもそれはDドライブに入っているだけだから
PCがうんともすんとも言わなくなればそんなもの、なんにもならない。

ついこの間、外付けHDにいくつかのフォルダは入れた。
でもこんなに早く、お別れが来るなんて思わなかったから
全部移したりしなかった。
なんという不覚・・・・・いろんなものをまた一から作り直さなきゃいけないし
いちばん不覚なのはついこの間の発表会の写真をPCに取り込んで
SDカードを空にしてしまったことだ・・・・・・
早く写真に焼いてみんなにあげておけばよかったのに、もうないかもしれない。
さっさと仕事しないからだめなんだよね~~やることが遅すぎる・・・

それに・・・・日記とかメールとかいろいろ・・・・・
そんなものはなくなってもすごく困るわけではない。
ただの自分の覚書だ。
きのう何があったかわからなくても誰が困るというものではない。
だけど、教室のこと、仕事のこと、詳細にメモしたものは今はもうない・・・・・

しかたない・・・・きのうまでのことは忘れよう。
過去の自分と訣別しよう。

当分、自分専用のPCは買えない。(今は借りてる・・・・よそのPCは使いにくい・・・)
PCのない生活になればまた生活スタイルは変わるかなあ・・・・・

今までメールを下さっていたみなさまへ・・・・・

申し訳ないことにアドレスも失いました。
受信はできるようにしておりますのでお手数ですが空メールでも結構ですので
メールをお送りくださいますでしょうか?
よろしくお願いいたします。

# by nyanko715f | 2011-12-16 14:43 | 日常のつれづれ | Trackback | Comments(0)

お母さんもどうですか?

毎週、4歳と小1の生徒の家に出張レッスンに行っている。
そこは去年、4人目のお子さんが生まれたのでお母さんが外出できなくなって
通いのピアノ教室から出張可能な私のところに切り替わった。

そこのおうちの楽器が電子ピアノである、というのもネックだが
それ以上に、子供たちがホームグランドであるため、緊張がなく
やっていてもふざけたり、トイレに行ったり、眠たいとぐずったり
またほかの子供たちが周りでワーワー言う中でのレッスンだったりして
なかなか大変な状況である。
生徒たちは力がないわけではなく、またピアノをすごくいやがってもないので
遊びながらのレッスンでもいいか?と思ったり、だけど時にはイラつくこともある。

が、いちばんヤキモキしているのはおかあさんである。
やさしくおおらかなんだけど、厳しいところがあり、子供たちにはけっこう怖い存在だ。
ふざけていてもお母さんが見学に来るとちょっと姿勢が改まる。
私も、教える側がお母さんのようなピシッとしたところを持たなければ・・・・
と思うのだが、なんせ、大切な生徒さんなのでまあまああまくやっている。

少し前、あまりやる気なくだらだらしていた子供に、お母さんは
「いややったらやめてしまい!お母さんがかわりにやるわ!」
と怒っているのが聞こえた。
結局、その日は怒られたこともあって泣く泣くレッスンはしたのだが
帰ってから、思いついて「お母さんもごいっしょにやってみませんか?」とメールした。
そしたら「私もやらせていただきます」と返事が返ってきた。

それから約半月になる。
お姉ちゃんのほうは今までろくに練習もしていなかったので進まなかったが
今は練習しているのがわかる。
妹もぐずぐずだけど、いやがらずにピアノの前に座れて、楽譜を読むようになった。

そしてお母さんは、子供のころ、したことがあると言っていたが
ヘ音記号の読み方がよくわかってない、というのでそれから始めたが
簡単な両手の楽曲も弾ける。
宿題の曲はすらすら弾けるのでじゃあ、次、と言ってページをめくると
初見では全然弾けない。
私は、こんな簡単なものでは面白くないのか?と思ってレベルを上げようとしたのだが
「いっぺんに難しいのをやられるとついていけません・・・」という。
宿題の曲はものすごく練習して、その結果、レッスンのときにはすらすら弾けたのだという。

じゃあ、子供さんはお母さんがすごく練習していたのを見ていたのですね?というと
そうだ、という。
「こどもは、お母さんには負けたくない、と言うんですよ」と言う。
ああ、それで、子供たちも今回、練習していたわけだ・・・・と納得した。

たぶん、ピアノを一番やりたかったのはお母さんだ。
ゆくゆくはこども4人ともに、ピアノが弾けるようになってほしいという。
子供たちもピアノが嫌いなわけではないし、けっこう力もあるほうだと思う。

たまに、子供がトイレに行って誰もいなくなれば
私はそこの電子ピアノを鳴らしていたりする。
お母さんは「うちの子たちが弾いている分にはこれでもピアノの音、と思っていましたが
曲を聴くにはこの楽器では不満がありますね」と言うぐらいだから
音楽を聴く力もあるのだろう。
弾くのも練習さえできればどんどん上達すると思う。
一時期、この4歳の子をどうしようか?と途方にくれたときがあったけど
またちょっと明るい見通しができたような気がする。

まあいろんな生徒がいて、すごく優秀と言うわけではないけど
けっこういい生徒ばかりに恵まれているように思う。
がんばらないといけませんね・・・・・

# by nyanko715f | 2011-12-14 14:57 | ピアノ教室 | Trackback | Comments(0)

ようこさんはきょうもマイペース!

発表会でお気に入りのシューベルトのワルツを弾き
上手くいったのでますます調子に乗ったようこさん・・・・・
今回も意気揚々と(レッスン直前までは)やってきた。

ハノンは自分でするように言っていたのだが、
見張らなければきっちりしないような気がして、1番から順番にやっている。
だいたい、四分音符=100で弾くのも危うい。つっかかる。
今は無理せずに92ぐらいで確実に弾く練習をしている。少しずつ上げていくつもりだ。
そのあと、20いくつのリズムの変奏からいくつか指定して弾かせる。
これは、バッハなどで勝手なアーティキュレーションをするので、それの防止に
スラーとスタカートを正確に弾き分けるのを目的に使う。
それと・・・・転調。
「はい、ヘ長調で」・・・・・・というと・・・・
「え~~と、ヘ長調はシャープ4つでしたっけ」・・・・などというので
「まあ、よ~~く考えて」といいながら見ていると、やっと「♭ひとつですね。」
というところにはたどりついたが、始まりの音が「ファ」を見つけるのも時間がかかるが
これも辛抱強く見守るしかないと思う。

まあ、そんなこんなで、ハノンをやり、練習曲(ル・クーペ)をやり、
バッハのフランス組曲5番のガボットは3回目でどうにか正確になってきた。
ただ、最初に弾いた時は今までのクセで、(聞いていて)気持ちの悪い演奏をする。
それは、縦の線がきっちりしてないからだ。
テンポが揺れるし、リズムが崩れるし、装飾音がフライングしている。
私はバロック、古典は「正確」を第一としているがこれが正解かどうかはわからない。
「精密な設計図を具現する」とようこさんには、特に口をすっぱくして言うが
それが私が聞いて気持ちのいい演奏なのだが・・・・間違っているかもしれない。

このあと、シューマン、ユーゲントアルバムから「サンタクロースのおじいさん」
これはこの季節にぜひとも弾きたい、と自ら言って持って来た曲だ。
最初と最後の部分、これは(山アクセント)を強調するよう注意をすれば
かなりメリハリのいい演奏になった。
が、中間部のピアノで16分音符が動く部分は全然音がみられてない。
もうちょっと音を読んできてほしいよね・・・・
まあ、それはそれとして、
この曲は普通考える「サンタクロース」のイメージからは程遠い。
私はずいぶん昔、「ピアノのおけいこ」という教育TVで
このころこの番組は子供向けだったのだが、
有名なピアノの先生が解説しているのを聞いてひじょうに面白い、と思っていた曲だ。
ゆうこさんは(どこかで調べてきたらしいが)この曲想を
サンタ=(日本の東北の、)なまはげのイメージ、という。
おお!なるほど!とその意見にはおおいに共感した。
ようこさんは宿題を出すといろいろ調べてくる時がある(気が向かないと、しない・・・)
で、まあ、けっこう音楽をわかっているところはある。
わかってないのは自分の力・・・・・。
クレメンティのソナチネをやり直す、ということでほっとしていたが・・・
「クレメンティひとつ終わったら、モーツァルトやっていいですか?」
というのは百歩譲ってどうにか許せるとして・・・・・
ブラームスなんか、やってみたいですね・・・・というので
「ブラームスでやれる曲は1曲もないわ!」
と、これははっきり言ってやった。
まず、ル・クーペとソナチネ、しっかりやれよ・・・・・

そんな私の思惑とは関係なく・・・・
クリスマスには友人の経営するレストランでディナーのバックでピアノ演奏をするそうだ・・・

# by nyanko715f | 2011-11-28 18:07 | ピアノ教室 | Trackback | Comments(4)

『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』

このごろは映画に行こう、と思っても、めんどくさくなって行かないことが多い。
「三銃士」もそうやってスルーしてしまうか?と思っていたのだが
明日の朝が休みなので、急に行く話がまとまって行ってきた。

帰りの車の中、開口一番
「あの、バッキンガム公爵にオーランド・ブルームと似た人を使うのは止めてほしいよな・・・
どっちがどっちかわからんで・・・・」(私)
「え?バッキンガム公爵がオーランド・ブルームでなかったんか?」(夫)
「オーランド・ブルームはアラミスやで」(私)

ちゃうちゃう!奥さん、あんたがまちがってまっせ。
オーランドがバッキンガムのほうですがな・・・・・

と間違うぐらいなんで、私の目も本当にあてにならない・・・・
しかし、こんなよく似た人を使うのはやめてほしいよな。
どっちがどっちかわからんようになる。
で、そのオーランド、悪役だということで期待されたらしいが、どうも悪役になりきれない悪役。
「おのれ~~フランスめ~~~!!」と怒っても迫力ない・・・・

途中から俄然、注目されるのがマッツ・ミケルセン。
007カジノロワイヤルしか知らなければ、また悪役のあのおっちゃん、ぐらいにしか思わないのだろうが
わりと最近、「シャネルとストラヴィンスキー」という映画を見た。
大した映画ではなかったが、ストラヴィンスキーの音楽の印象が変わったし
やるじゃん、ミケルセン・・・・・大した役者だよね~~と思った。
何国人でもできる。

で、今回も終盤に見せ場が来るが、それを盛り上げるなら
前半戦、もっとぐぐっとこの人を描くところがあっていいのに、急に出てきた
という感じがする。
「ゾロ」のときのラブ隊長みたいに、かっこよくて憎たらしい、というのを
ずっと引きずって、最後に見せ場、としてほしかった。

というように、どの人の見せ場も考えて作ってあるのだろうが
製作者が狙ったほど一つ一つの場面の印象が薄い。
登場の仕方も面白い仕掛けなのに、この印象の薄さはなんだろう?
何組かの恋愛の「思いの丈」ももうひとつ、ぐぐ~~っと迫ってこない。

俳優はそれなりにはまり役をずら~~っと揃え、仕掛けも超豪華。
スピード感もありスケールも大きいのに、
映画全体がなんか「張子の虎」みたいな気がするのはどうしてだろう・・・・
「パイレーツ・オブ・カリビアン」もどきの戦闘が空中になっただけ、という感じ。
音楽もちょっと似た感じがする。
フランスの国を背負っている、という重さがない・・・

そういう原作のエッセンスはこの際、考えないことにして
仕掛けだけ楽しめば十分、見ごたえのある映画になると思うが
無条件に楽しむにはもう私の年が行きすぎているんだろうね。
20代、30代でこの映画を見たならまた違った印象を持っただろうと思う。
感動しまくっていた若いころがなつかしい・・・・・

この映画の最後のシーン、第2部の予告編みたいなんだけど
次は「赤壁の戦い」?

# by nyanko715f | 2011-11-25 00:43 | 映画の話 | Trackback | Comments(0)

「トロイカ」(チャイコフスキー)

一回発表会なるものをするとまたやってみようか、というか、
またできる、と思ってしまう。いい気なものだ・・・・
で、調子に乗って・・・・・
今年は手っ取り早いところで「アラベスク」(ドビュッシー)を弾いてしまったが
来年は何を弾こう、とか考える。

「ピアノのために」(ドビュッシー)は以前あるところで弾いて、
なんか納得できなかったので、もう一度やってみようかな・・・と思うのだが
もう少し楽しい感じの曲のほうがいいかな?と
レパートリーもないのに、考えたりする。

ん・・・・・で、一番、季節に合うだろうところで(たぶん、秋にすると思うので)
「トロイカ」はどうか?と思い出した。
ああ、これはいい・・・・・と曲だけを考えると思うのだが
弾く自信は全くない。
とにかく、すごく弾きにくい。難しい。

私がこの曲を知ったのは、子供のころの発表会で
それも私よりずっと年下の小学生が弾いた。
聞いてすぐに「いい!これをやりたい!」と思った。
実際やったのはそれから30年以上経ってからで、それも四苦八苦して弾いた。
このあとの12月、「クリスマス」の方がずっと弾きやすかった。

だけど、曲としては「トロイカ」は名曲で、弾ければかっこいい。
1年やれば出来るだろうか・・・・・

いや~~左手の最初の16分音符からしてはずしそうだし、
途中の左手がメロディーの右手16分音符もすごく苦手なところだ・・・
最後、トロイカが過ぎ去ってppで終わる、というのも盛り上がらないし・・・
とか言って、弾けない言い訳をするが、
この時期、本当にこの曲は季節に合う。
ロシアの11月は日本よりもずっと寒いに違いないけど
これから冬に進んでいく期待を持たせる。
クリスマスやお正月という楽しい行事がやってくる期待がある。
(私自身は寒いのもいやだし、最近はお正月など忙しいだけで全然面白くないが)

発表できるのはムリとしても、いちおう、これを取り出して練習してみよう。
1年、とか言っても、たぶん、夏になるとこの曲を弾く気も失せて
今の意気込みなどどこかに行って、また目の前にある手っ取り早いものでお茶を濁すだろうが・・

別に自分は発表会に弾かなくてもいいのだけれど、
本当に怠け者だから、なにか課題を与えないとすぐサボるからなあ・・・・
1年後に教室がどうなっているのかもわからないけど、
とりあえず、自分の目標は持っておきましょう。



# by nyanko715f | 2011-11-18 14:50 | ピアノ教室 | Trackback | Comments(2)

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