同窓会

先日、もと教師仲間の一人から電話があり、
もと私が勤めていた学校の教師の同窓会があるから来ないか?という。
せっかく電話してくれたこともあり、行きがかり上、行く、と言ってしまったが
私の在職期間はわずか6年であり、退職してもう30年以上たってしまっているので
行っても居場所がないだろうに、と参加の返事をしたことを後悔していた。

ところが、行ってみると、意外なことに
ほとんどの人は知った人であり、ほとんどの人は私のことも覚えている。
「Gさん(私の旧姓)ひさしぶり!」とみんなに声をかけられる。
どういう話の成り行きか、最後には次回の幹事に指名されてしまった。

私は現在の「にゃんこ」ではなく、音楽(教科)のGさんである。
結婚してからもその職場にいたのだが、今の名前で呼ぶ人はいない。
この時間、私は現在の私ではなく、過去の1時期に舞い戻っていた。

過去に赴任していた高校は新設校で、私は2期目に入った。
つまり、まだ2学年しかなく、教職員もそのとき2倍になったのだが
いっしょに赴任した教師たちはほとんど20代で、約半分は新任だった。
残念ながら生徒たちは問題があるものが多く、成績は低迷しているし
おまけに1クラスに52人。それが12クラスありマンモス低迷校だったから
若い我々の労働量ははんぱじゃなかった。
しょっちゅう、なんかの会議があり、始まると夜中まで続く。
就職して初めての学校だし、みな若く、やる気満々でそれが普通だと思っていた。

仕事もよくしたが、たいへんなだけに教師同志はみな仲がよく、よく遊んだ。
少しでも早く帰れる日があると、すぐどこかに繰り出して議論しながら飲んだ。

昨日集まった人たちはほとんど同じ世代で、退職しているか、または再雇用でまだ教職をやっている。
いずれも40年ちかく教職を続けてきた人たちだが
あの時代、しんどかったけど、楽しかったなぁ・・という。
だからいまだに教師の同窓会などやっている。
やればすぐあのころに戻る。

私はきょうも朝から仕事に出たが、きのういた過去の世界からまだ完全に戻ってなくて
自分の身の置き所に少々戸惑った。
しかし、同窓会が異次元であるのは間違いない。

人は年を重ねるにつれて、どんどんとサークルが多くなる。
それらは重なっているものもないことはないが、たいてい別々に円を描いている。
相対する人や場所、事項はサークルごとに違う。
どんなに親しくても、どんなに近くにいても
どれもすべてを知っているのは本人一人でしかない、というのは当たり前の話なのだが
改めて考えるとすごく面白く思う。













by nyanko715f | 2016-11-06 20:45 | 日常のつれづれ | Comments(0)

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