「神々の乱心」(松本清張)に出てきた神社は吉野神社ではないか?

きょうは奈良県の吉野へ行って来た。
きのうの金剛山はたいそう涼しく、避暑は高いところに登ることだ、
とばかり、山深い吉野へ行ってみたのだが、吉野は暑かった・・・・

吉野は春の桜の時期には歩くのもおぼつかないほど人が来るが
それ以外の時期には閑散としている。
みやげ物屋も半分ぐらいは閉めている。
山は今は緑一色。
しかし、通る道を見上げてもどの木も桜で
一生に一回ぐらいはこの地に泊まって、1日桜だけを眺めて過ごしたい、と思う。

奈良の奥座敷、吉野の入り口に当たるところに吉野神社がある。
吉野へは何回か来ているのだが、吉野神社に行ったのは初めてだ。
神社の広い境内を見渡して、
この風景、「神々の乱心」に出てきた吉野の神社ではないのか?
あの描写にそっくりだ、と思う。

「神々の乱心」の中で
特高係長、吉屋謙介が吉野を訪ねるのは一回だけ。
それもそう長く費やしているわけではないのに、私は何故かよく覚えていて
その場所のことを想像していた。

本当に吉野神社かどうかはわからない。
架空の神社かもしれないが、それにしては雰囲気がリアルで
たぶん、ここの地を見て、昭和8年の風景に置き換えて書いているような気がする。
その神社のたたずまいは昭和8年から大きくは変わっていないと思う。

「神々の乱心」は松本清張が新聞に連載していたが
未完のまま、途中で亡くなった。
単行本の最後には、あらかた話の流れを聞いていた編集者が
結末はこう書こうとしたのではないか?と予想している。
話はあまりにも込み入りすぎて、舞台も日本各地から満州まで多岐に渡り、
あらすじだけ書いても長くなりそうなのでまた別の機会にする。

先ほど、余り涼しくなかった、と言った吉野だが
この吉野神社の本殿の前だけは風が通り、とても涼しかった。
この時期には訪れる人も少なさそうで、
神官の方も退屈していたのか、しばし、我々の話しの相手をしてくれた。

義経がここに逃れてきたのにはなにか理由があるのか?
と尋ねてみたのだが、
ここはもともと役行者が修行をした霊験あらたかな山深いところで、
源義経も後醍醐天皇も、その地に神仏の力を借りに来たのではないか?
また、霊験あらたかなるところだから、
隔離された別世界=神に守られている治外法権のような場所と思われていたのではないか?
ということだった。

私はせいぜい小説の中でしか吉野を知らないが
「銀の館」(永井路子)とか「梟の城」(司馬遼太郎)の吉野の場面をなぜか、よく覚えている。
特別吉野が好きなわけではないのだがなぜか、覚えている。
実際はこれほど地味な場所なのに
歴史の舞台には再々登場したのはやはりわけがあるのだろう。

それから、なぜ天皇家が脈々とここまで続いてきたかについて
神官は、天皇家は、ひじょうに質素だから。という。
そういえば、世界に財を残した各々の王朝は全部贅を尽くした。
ハプスブルグ家、ブルボン王朝、ロマノフ王朝、清王朝、
それらのものが残した贅沢品を今は観光で見に行っているが
日本の天皇家は贅を尽くしたことはなかったように思う。
それは日本人の気質なのだろう。

神官のお話は興味深かった。
「神々の乱心」は実際、天皇家にあったことを参考に書かれているらしいが
吉野に行って、もう一度読みたい気持ちが湧いてきた。

追記:7月22日
 きょう、「神々の乱心」を読み返し始めた。
 吉屋係長が吉野の神社を訪れる件、 改めて地図で位置を確認しながら読むと
 「大和上市」の駅から東に(現在の169号線)伊勢街道を進み、
 「宮滝」の分岐点を大宇陀~榛原(はいばら)の方向に進むと
 「国栖(くず)」という村がある。そこが小説の中の神社のある場所で
 吉野神社とは方角(場所)が違う。

 吉野川の上流、それも身を投げるとすぐにでも急流に巻き込まれてしまう
 という部分をちゃんと読めば、吉野神社の位置とは違うことがわかるのに
 思い違いをしていた。
 しかし、このあたりに村のほとんどの面積を占めるほど大きい神社は今はない。
 神社の風情は吉野神社を描いているのではないか?とまだ固執している。

 実際「国栖」に神社があるかどうか、
 また、小説に出てくるその近くの「丹生川上」の神社には近いうち
 行ってみたいと思っている。
by nyanko715f | 2008-07-22 00:24 | 本はともだち | Comments(0)

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