私は、ピアノのレッスンは「やってきたものを修正してもらう場所」と思っている。
けど、これは昔からこう思っていたわけではなく
〈ケチだから)自分で月謝を出すようになってから
少しでも何かを得て帰らなければ損だ、というのが一番正直なところかもしれない。
子供の時にはほとんど遊びに行っていたようなものだ。
うちの教室に来る子供たちもだいたいは似たようなもので
家でしっかり練習してくるこどもなどいはしない。
それでも続けていればなんとかなるだろう、と思っているので
練習せよ、と建前では言うけど、無理強いはしない。
授業だの試験だの、進路がかかっている人はそれなりにがんばっている。
だけど、うちに来る中で一番わからないのは、まいどおなじみ「ようこさん」である。
同じようにピアノをやっててもようこさんと私では意識も性格も違うのだから
どう考えているかわからないのが当たり前とすれば、
一番迷っているのは「私の態度、レッスンの進め方」である、と言える。
単なる趣味ならのらりくらりしていようが、
言ったことを踏襲してくれなくてもいっこうにかまわない。
うちに遊びに来る感覚で、おしゃべり半分、弾くのが半分でも問題はない。
そう割り切ってしまえばいいのだけど、
本人は〈ブログに)将来は子供たちにピアノを教えたい、などと書いてあるので
今もずっとそう思っているとしたら
できるだけ「まともな先生」になってほしい、と思っている。
「まともな」とあえて書くのは私がこの人のピアノをことごとく「ヘン!」と思っているからだ。
もちろん、私が思っているだけで、それが世間の常識から見て「ヘン」なのか、
私の偏見で「ヘン」なのかは定かでない。
少なくとも私の習ってきた範囲で考えるとことごとく「ヘン」である。
一番わからないのは
音を間違い、リズムを間違い、
自分でそれに気が付けば弾きなおしをするが、気が付かないところも多く
そうやって数小節もまともに進んだことがないのに
それを全然「弾けてない」と本人が思っていないことである。
難しい曲なら本人の実力に合わないのだ、と思うことができるが
難易度を下げて、ソナチネにしてもブルグミュラーにしても
「できあがり」はいつも同じだ。
完璧に、とは言わないが、ブルグミュラー「素直な心」を
ラフマニノフがやりたい、バッハがやりたい、という人が
音も間違え、つっかえつっかえ弾く、というのが私にはどうしてもわからない。
緊張感が足りない、といえばそれまでだ。
ようこさんが自分の演奏をネットで公開している
と教えられて見てみた。
ショパンのノクターンを弾いているが、
これは以前レッスンでやって、まあ今はここまで、という感じで上げたが
課題は残っている。
それをネット上でどんな風に弾いているんだろう、と思ったら
最初のほうだけだったと思うが
やっぱり「つっかえつっかえ」弾いている。私が知っているように。
一番問題の箇所の、3連符のリズムの取れていないところまでは到達してなかった。
なんでこんな「不完全」なものをネットに出すのかもわからない。
(それは私と価値観の違いだからまあいい・・・・・)
子供のころからどれだけの期間、習っていたのかは知らない。
が、その先生が楽譜に書き込んでいる注意書きを見ても
きっちりと教えている先生だということはわかる。
私ということが同じなので。
(たとえば音の長さ。休符の長さ。アーティキュレーションのまちがい、など)
ソナチネやブルグミュラーはそのときの楽譜を使っているが
注意することは全く同じことだ。
子供のころ、自己流で弾いていたのがまったく直ってない、ということだ。
目に見えるだけでも基礎的な欠陥はいくつもある。
「手の形がヘン」「拍子感がない」「リズムが取れない」
「スケールができない」「強弱がつけられない」などなど。
これらは長い年月をかけて直しておこうと思っている。
ほとんどが「自覚」の問題なので。
最初のレッスンが悪かった、と重々反省するのだが
最初「きらきら星」の変奏曲を持ってきた。
子供のときにやった、というし、本人がすごく好きな曲、というから。
私は〈講師になり立てで)自分の先生がやったように、まず一回何も言わずに弾かせた。
そしたらつっかえつっかえ、止まりながらやったので弾き終えるのに30分はかかったと思う。
まず全曲やらせるのが間違っていた。
そして、1曲終わった後、
テーマと第1変奏だけ、懇切丁寧に逐一、直していった。
直していった、というより正しい音を指示したに過ぎないが。
2時間もかけて、ある程度の手直しができたことに自分も彼女も満足した。
それが間違っていた、と今、本当に反省する。
以来、約2年近く、最初に一回弾かせたら
まあ、どの曲も見事なほど弾けてないから
一回は「あんた、これは初見か?」ときいたら「いえ、練習しました」という。
だから右手、左手、別々に懇切丁寧に音やリズムの間違いを指摘する。
そうしないとずっとまちがったままで弾き続ける。
自分が納得がいくまで練習曲もバッハも曲もこれをやるもんだから
私はとことん、疲れてしまう。
自業自得だ。
なんでこんなことを毎回やっているんだろう、と自分であきれる。
が、その責任をようこさんにかぶせるのは間違っているんだが
レッスンに来るとき「せめてここまでは」というところを
今までは暗に言ってきたのだが、わかってないので
今回「びしっ!」と言った。
力のない生徒に無理なことを言うなよ、と思われるかもしれない。
先生としての私が間違っている、と思われるかもしれない。
今までようこさんに「あんたの実力はここなんだよ」と教えてやらなかったこととか
手厚く手を差し伸べてやっていたのに急に手を離した、
という自分の反省はこれ以上できないというほどしている。
が、ようこさんのブログを見れば、
「レッスン記」なるものはきっちりと書かれていて
何を教えてもらったか、とか、自分が今弾いているものの研究とか
コンサートに行くとか、仲間内で弾き合う会をするとか
何を弾きたい、と希望するとか、ものすごく活動するように見えている。
まさか、ここでつっかえつっかえ弾いている、とはブログ上では見えない。
本人の意識と実態はぜんぜん違うところにあるのだ。
仲間内でやっている会では今までやったいくつかを自己流でやっているみたいだ。
たまにうちでレッスンが終わったとき
「○○弾いていいですか?」とか言って弾き始めて
それが気になるところがいくつもあるので、また教える。
レッスン時間は限りなく長くなる。
終わってもピアノの前から動かないのだ。
次々と勝手に弾く。
私のほうが音を上げて、ほかの生徒のレッスンを次に入れた。
次の人が来たらいくらなんでも帰るだろうと思って。
ああ、それも私が最初にきっぱりと言うべきだった、と思った。
ここはレッスン場であってあなたの練習場ではない、と。
何でいまさら、と思うだろうが、このままではようこさんも上達しない、と思い、
思い切って言った。
「レッスンはやってきたものを修正する場であるが、あなたの場合、修正どころか、
まずはじめから全部見直さなければならない」
「今後、まず課題の曲を見てもらえる程度に練習すること。できていないものは見ない。」
「うちはレッスン場であって練習場ではないから練習は家でしてくること」
「うちのピアノを使ってネットに動画投稿はしてくれるな」
「いまのままでいけばせいぜいリクレーション程度のピアノしか弾けないが
基礎から学びたいと思えばまず課題を優先すること」
これらを思い切って「メール」した。
言わなければ事態は変わらないと思った。
するとようこさんからはずぐに電話がかかってきた。
私はどう反応するのか、すごく心配だった。
もう少しゆっくり考えてメールででも返事をくれよ、と思った。
で、なるべく普段の調子で「なに?どうしたの?」といったら
「いえ、とにかく、お詫びをしなければ、と思ったものですから」という。
私はその反応はちょっと意外だった。
私だったら自分の先生からもしそんなメールが来れば地に落ちたような気になり
次に、自分が悪いのか、先生が悪いのか、考え、
たぶん、この先生は意地悪だからほかの先生に代わろう、と思ったりするだろう。
私もようこさんが私を見限ってもいいと思った。
だけど、彼女は「おわび」だった。ここが彼女のいいところだな、とも思った。
私もまだまだ新米講師。さらに精進してやらなければ。