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カテゴリ:言葉の話

  • 漢字は生活の中にどれほど必要か?
    [ 2009-07-04 20:39 ]
  • 日本漢字能力検定協会について
    [ 2009-02-10 00:23 ]
  • 「死亡」ということば
    [ 2008-12-02 00:17 ]
  • 漢字音符字典について
    [ 2008-11-28 01:48 ]
  • 漢字音符字典を買う
    [ 2008-11-27 00:11 ]
  • 漢字音符字典
    [ 2008-10-14 02:01 ]
  • 日本語検定の日がやってくる・・・
    [ 2008-06-19 23:49 ]
  • 敬語は難しい・・・・
    [ 2008-05-27 01:27 ]
  • 「よろしかったでしょうか」の逆襲
    [ 2008-03-28 13:37 ]
  • 気難しい敬語
    [ 2008-03-26 20:20 ]

漢字は生活の中にどれほど必要か?

仕事がひまになって、自分の机の前にすわる時間が出来た。
机の周りの本棚を見渡してみると
楽譜のほかには漢字関係の本が並んでいて、久しぶりに手にとってみた。
漢検1級の問題を見ると、全然読めないし書けない。
やっぱり以前受かったのはまぐれだったな・・・・と思う。
もう一度勉強してみるか・・・と思うが
何も目標なく学習できるほど私は精神が強くなく
やはり、漢字検定のような目標がなければできそうにない。
だけど、1級をやるほどの気力があるかどうか、自信がない。

受けるかどうかは別として
ひところ全国民に攻撃を受けた漢検協会のニュースは
ここんとこ、あまり流されなくなった。

私は私欲をむさぼる人や、権威を振りかざす人は大嫌いなので
あの元理事長親子も非難したいが
しかし、
「漢字を学習する」ということと「漢検協会の体質」とはまったく別の次元のことであり、
また、漢検協会が、漢字学習というものに大いに貢献したことも
元理事長の事件とはまったく別問題だと思う。

だけど、当初、ワイドショーのコメンテーターとかまた新聞の投書などでは
「漢字検定など、世の中に要らないだろう」という意見も多かった。

私個人がそれに反論するよりも
漢字の碩学である白川静先生のエッセイから言葉を引用してみようと思う。
(ちょっと長くなるが、原文のまま)

 
漢字が教育の妨げとなり、人の思案や創造力を弱めていると考えるのは、大きな誤りである。努力をしないで習得される程度のものが、すぐれた文化を生むと思うのは、横着な考え方というべきであろう。(中略)
 しかし人々は、あまり知識を欲していないようにみえる。未知のことを知ろうとしていないようにみえる。たとえば文字にしても、常用漢字の世界に安住して、それ以上のことは余分のことのように思ってしまうのではないか。万事が、あてがわれた範囲のことで、満足する習癖となっているのではないか。
 知識は、すべて疑うことから始まる。疑うことがなくては、本当の知識は得がたい。疑い始めるとすべてが疑問にみえる。それを一つずつ解き明かしていくところに、知的な世界が生まれる。単に知識のことばかりではない。世上のありかたすべて、そのままでよいはずがない。

たとえば、オリンピックやノーベル賞で輝かしい成果を発揮した人には
人々は賞賛の言葉を送る。
しかし、そんなに大きな成果を人に知られずとも、同じように
日々、こつこつと研鑽を積んでいる(一般の)人は大勢いる。
そういうめだたない「こつこつ」に対しては
たいていの人は、「そんなもの、世の中に要らない」という。
自分が興味のない分野に対して、「そんなものしてもしかたがない」と簡単に言う。

「知識」というのを持っていれば人間は十分、などということを言っているのではない。
それはまた別問題。
というより、自分を極めるさまざまなことを学んで来たような人は
自然と豊かな感情も身についてくる、と私は思いたい。


そうじゃなくて、
一時の学校みたいに、学ぶことを減らして
子供の負担を軽くして、子供の嫌がることはなるべくやらさないようにして
それで「文化」や「芸術」「知識」を高められる人間になりなさい、
と教えるのは無理だ。と思う。

学校のことは、部外者の私がいうのは僭越であるかもしれないからまあいい。

漢字のことに話を絞ろう。
そして、世の中の人にはさまざまな考えがあるから、私だけのことに話を絞ろう。

漢検協会が漢字学習者に貢献した、と言ったが
確かに、私の人生は退屈でなくしてくれて、目標を持たせてくれた。
だけど、本当に世の中に漢字が「ある程度以上」必要かどうか
つまり、常用漢字以上のものが必要かどうかはわからない。
私にとっては、漢字を知る、ということは本を読むことなどと同じ。
面白いからに過ぎない。
へえ、そうなのか・・・・とわからなかったことがわかってくるから
というだけのことである。

漢字を学習しようと、今も思っている人は、
漢検協会のスキャンダルに惑わされないで
また、「漢字学習」の本質を外れたマスコミ報道には惑わされないで
純粋に「文字」というものの謎を追ってみたらどうだろう。
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by nyanko715f | 2009-07-04 20:39 | 言葉の話 | Trackback | Comments(2)

日本漢字能力検定協会について

北海道旅行の話の続きをするはずだったのだが
きょうもTVで盛んに漢検協会のニュースを流しているので
漢検協会に、ほんの少し関わった者としてちょっとこの話をはさむ。

関わった、とはいえ、ほんの少しだけのこと。
もう10年以上前のことだが、一回だけ漢検協会の合宿に参加したことがある。
食事以外の時間、漢字のいろんな分野の講義がびっしりつまった合宿だったが
どの講義もすごく面白くて、まったく退屈もせず、2日間を過ごした。

そのころは研究員と称する一般の人たちが漢字に関する小論文を応募し、
それをまとめて1年に一回、冊子にして発行していたし、
また発表する研修会もあった。(今も実施されているらしいが。)

専門に勉強した人たちではなく、一般の人が自分の興味ある事柄を調べ上げるのだから
学術的には未熟かもしれないが
着眼点がより身近で、面白い発見がいっぱいあった。

私もそうだったが、漢検を機会に漢字の魅力を見直したし、
逆に、漢検がなければ、こんなにもつっこんで勉強しなかっただろうと思う。

「漢字音符字典」を発行された山本さんは漢検経験者の第一人者だが、
同じ思いをされていることだろうと思う。

漢検協会は、一生かけて興味を持てるものを掘り出してくれたのに
いったいどこでどうなってしまったのだろう?

私が受検したころに、準1級にも、1級にも
「合格捷径」という手引書(問題集ではない)があった。
(注:漢字必携、という参考書とは違う、これは今でもある)
これ1冊をマスターすれば(けっして楽にできるものではないが)
合格は間違いない、というよくまとめられた手引書だったので
後に受検する人に、この本は買ったほうがいいよ、と勧めたのだが
どこにも売ってない、という。
漢検協会にも問い合わせたのだが、もう発行されてないという。
なんで、あんなにすぐれた教科書をなくしたのだろう、と疑問だったが
そのころから、漢検の方針も変わってきていたのかもしれない。

今は、1級と準1級の問題集も合わせて一冊にしてしまっている。
1級と準1級、というのは出題の範囲もまったく違うし、
難易度も5~10倍も違うと思う。
それらを一緒くたにするのもおかしいし、
きくところ、今、採点でも疑問があるという。
受験者が増えたので、丁寧な対応が出来なくなっている、
などといわれればそれまでだが、
受検する人の熱意は今も昔も変わってないはずだ。

だいぶ前のことだが、久しぶりに会った高校の国語の先生に
漢検を受けた話をした。
「あんな、儲け主義の検定なんか・・・・・」と言われ、
自分の志を蔑ろにされたようで気分が悪かったが、
団体受検をさせるほうの立場として、漢検協会となにか揉め事があったのかもしれない
と今になって思う。

漢検協会は、今も十分、機能している部分もあると思うが
経営の不透明さの疑問や、あの理事長の対応の仕方を見ていると
熱心に勉強し続けている人の志を大いに裏切るようで
実に腹立たしい。

最初はもっと純粋に漢字学習を育てるはずだったと思う。
それが思った以上に人気が出ると、たいてい本来の機能を見失う、
というのは世の常、という気もする。
せっかくブームにまでなってきたのに
漢検協会が正常に機能しないようなことになったらとても残念だ。
早く綱紀粛正して、信頼して受検できる検定になってほしい。

by nyanko715f | 2009-02-10 00:23 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)

「死亡」ということば

朝日新聞には「ことば力 養成講座」というコラムが毎週連載されている。
使い方に疑問があるもの、まちがいやすいもの、などが取り上げられるが
きょうは「死亡」ということば。
なんで、こんな言葉がモンダイなの?と思って読んだが
「パンダが死亡しました」という報道が是か、否か、ということ。

なんか違和感があるようで、しかし、聞き流してしまいそうで、
まこと、ビミョーな言い回しである。

「死亡」というのは古い辞書では「死ぬこと」としか載ってない。
ところが、最近のものでは「(人が)」という注釈が加わっている。

これはたぶん、古い時代には、生物全部の死を死亡、としたわけではなく
まさか、サルやイヌに死亡、という言い方はしないだろうというだけ、と思う。

「死亡」とわざわざ報道するのは国民的人気者のパンダだからであって、
ニュースで、「パンダのリンリンが死にました。」というのは
いかにもそっけない感じがして、
「死亡」の方がすんなり聞こえるのでこっちを使ったのではないか?と思う。

そもそも「死んだ」「死にました」というのは会話の中ではすわりの悪い言葉である。
親しい間柄なら「うちの母が死んだんだよ」と言えなくはないが
あらたまった席では「私の母が亡くなりました」と言う方がすっきり聞こえる。

この「亡くなった」ということば、
尊敬語と誤解されて、近い身内に使うのはおかしい、と言う人がいるかもしれないが
これは尊敬語ではない。
だからもっと丁寧に言うと「お亡くなりになる」または「亡くなられた」
というのも正しい言い方である。

人は「死んだ」という直接の言葉を避けて
「死亡」「死去」「他界」などいろんな言葉に置き換える。
なくなった命を哀悼する気持ちは人間にだけ向けられるものではないとは思う。
「うちのイヌが死去」でもおかしくはないと思う。

しかし、今の辞書の解釈では「死亡」は人間に限るものらしい。
動物には「死」「死ぬ」以外の適切な言葉はないと言う。
だけど、ペットも家族、という今の世の中、
「うちのイヌが亡くなったのよ~~」という会話もそのうち普通になりそうな気がする。

by nyanko715f | 2008-12-02 00:17 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)

漢字音符字典について

漢字音符字典について
この本の中を写真にとって見てもらえばいちばんわかりやすいと思うのだが
それが出来ないので回りくどいだろうが説明してみる。

なお、下記の説明は私がアレンジしたものであり、
趣旨は変わってないと思うが、本の仕様とは違っている。
本は下記に説明することを縦書きの「表」にして、示してある。

  音符   音   家族の種類    音符家族及び同系語

例  安   アン    純       「安」「案」「按」「晏」「鞍」「鮟」

    奄   エン    二       エン・・・・「奄」「俺」「掩」「淹」
                        アン・・・・「庵」「菴」「罨」

    永   エイ    紅一点    エイ・・・・・「永」「泳」「詠」
                        チョウ・・・・「昶」

同じ部分を持つ漢字は「家族」と分類する。
そして全部同じ読み方をするもの、上の例で言えば「安(アン)」は「
2通りの読み方があるもの、上の例で言えば「奄(エン)」は「
グループの中でひとつだけ読みが違うものがあるものは「紅一点
  
その他、3つの読み方がある漢字家族は「
4つの読み方の家族は「
5つの読み方があるものは「
同じ字が付くがてんでバラバラに読むものは「
読み方が6つ以上あるものは大家族、ということで「」と分類する。

それぞれの字には音読みだけでなく訓読み、意味も書き加えられている。

というように、へんやつくり(部首)は関係なしに
字のどこかに元になる字が使われているものをまとめて
その音がどうなっているかを示してある。

著者の山本さんは
「鷸蚌」(イッポウ)(しぎ、とはまぐり)の「蚌」という字がなじめなくて
「へんなカタチの字」としか思わなかったのが
「蚌」は「邦」と同じグループの字、
それに「豊」という字の旧字「豐」も「丰」が使われていて
みんな同じ家族ではないか!と知った時
なじめなかった「蚌」という字がすごく身近になった、と書いている。
このように、いうなれば、
全然知らない人と思っていたが、
自分が今までよく知っている人に関係ある人と知ると急に身近になる、というようなもので
漢字もそのようにして知り合いの知り合いを辿っていくと覚えやすい、ということである。

もちろん、この本を見たからといって
一瞬にして漢字の音が頭に入るわけではない。
漢字の音はそんなに単純に覚えられるものではない。
しかし、似たような漢字が同じ音なのかどうか、
ちがうのならそれはなんと読むのか、
少なくとも、部首別の辞書よりはよほどわかりやすい。
学習するものに覚えるいいヒントをくれているようなものだ。
おまけに字の意味もいっしょに覚えられる。
似ていて紛らわしい字を区別して覚えることも出来る。

常用漢字、JIS第1水準、第二水準の6300字を、
どのグループにも入らなかった字もあるが
912の音のグループに分けている。
この字の整理の仕方は「すごい!」と思う。
ただただ「すごい!」と思う。

あと、この参考書を活用させるのは購買者の努力である。
やっぱり覚えなくてはいけないものは覚えなくてはいけないのである。
本を開いたからといって、自然に頭に入ってくれるものではない。
2通りあれば2通りの、3通りあれば3通りの読みを分けて覚えなくてはいけない。
でも、これだけのヒントをくれたのであるから
また新しい漢字の学習を広げていこうと思う。

by nyanko715f | 2008-11-28 01:48 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)

漢字音符字典を買う

前にブログにも書いた、
ロザン宇治原が手に入れた、という「漢字音符字典」を買った。

買うには直接出版社に電話(またはFAX)して申し込むのがいちばん簡単で確実である。

これも以前に書いたが
著者の山本さんは専門の学者さんではない。
この字典は山本さんご自身が勉強していく中で編み出した漢字の学習法の集大成である。

私たちは、
「青」「静」「清」「晴」など、「青」が付く字は「セイ」と読むものが多い、
ということは漠然と知っている。

たとえば、
「干」が付くものは「「刊」「汗」「肝」など、「カン」と読むものが多い。
だから、少し難しい字でも「干」がつけば「竿」とか
精悍の「悍」とか、奸臣(悪事をたくらむ家来)の「奸」とかも「カン」と読める。
しかし、同じ「干」が付いても、「訐」は「カン」でなく「ケツ」である。

だけど、
「可」がつくものはどの字も「カ」と読み、
「付」がつくもものは全部「フ」、「光」がつくものは全部「コウ」と
このように決まっているものもある。

または、「寸」みたいに
「寸(スン)」、「村(ソン)」、「討(トウ)」、「酎(チュウ)」、「守(シュ)」と
てんでバラバラなのもある。

この字がつくと全部この読み、とか
この字は、大体がこれだがこういうのもある、とか、
この字はてんでバラバラです、とかと、
まとめてくれている本でもあれば少しでも覚えるのが楽になるのになあ、と
誰でも思ったはずである。

それを実現してくれたのがこの漢字音符字典である。
上記のものを分類するのは簡単そうに思えても、
それは実はひじょうに難しい作業である。
音と意味とを両方考えて、字のグループ分けをするのである。

漢字にはもともとこうであった、というものが
長い年月で、その時代の人が使いやすいように変化して今の字になっている。
だからルーツを知らないと字の分類も根拠のない物になってしまう。

さっき、学術書ではなく、参考書だ、という意味のことを書いたが
なかなかどうして、このグループ分けは根拠もあり、
また私たちが漢字を覚えていくのにひじょうに有効な本だと思う。

今までのたいていの漢和辞典は「部首別」に書かれている。
読み(音)がよく覚えられるようにまとめたのはたぶん、これが日本で最初。
画期的な字典と思う。

内容をもっと詳しくご紹介したいが、長くなったので続きは明日・・・・・

by nyanko715f | 2008-11-27 00:11 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)

漢字音符字典

月曜日は私は、「Qさま」を見るのが楽しみだが、夫は嫌がる。
ましてきょうは3時間スペシャル、それも「漢字検定」特集とあっては
いい加減にしてくれ、と言いたいところだろうが
きょう夫は、かねてより欲しがっていた中古のプリメインアンプを手に入れ、
それをいじくっているので、TVの文句は言わない。

外野がいないので私は心置きなくTVといっしょに漢字問題をやる。
今は相当忘れているものもあり、それでもボケ防止に少しでもやらねばなあと思っている。

6月の検定に、ロザン宇治原がまたまた1級に挑戦したがダメだったらしい。
宇治原でもだめな1級に、私は過去に受かったが
これはたまたまわかっている問題に当たっただけで、まぐれである。
5回も挑戦すれば一回ぐらいは知っている問題が多く出る。
検定も、学校の入試も、実力3割運が7割、というのは私の持論だ。
実際、私より、現役宇治原の方がよく読めるし、書ける。
これだけ読み書きが出来るのに1級に受からないのは
そのときの問題との相性が悪かっただけだ。
だけど、検定を理由に勉強をし続けるのはいいことと思う。

さて、宇治原が1級検定を目指してがんばっている、ということで
山本さん、という人がこれで勉強してください、と
「漢字音符字典」という教本を送ってくれたそうだ。
それは「音」別に漢字を分類したもので、
1級検定を何回も受検した山本さん自身が作り上げた字典だそうだ。
つまり、国語学者、ではない一般の人が編み出した漢字の覚え方だ。

私は子供には、
わからない字が出てきたら、部首でない方の読みをすれば半分は合う。
と教えていたが、それはせいぜい常用漢字までで、
1級漢字ぐらいになると、その規則はかなりはずれる。
「忽焉」とか「榻本」とかどの部分を見てもわからないものとか、
「哄笑」とか「謫所」とかよく似た漢字の音で読むとまちがってしまうものが出てくる。

漢字の音、というのは中国から伝わってきた時、
どのルートを通ったかで変わって来たり、
どうしてその読みになったのかわからないものもあるので
分類しきれないものもあるそうだ。
しかし、「音」でグループ化することにより、
今までまったく別物と思っていた漢字が同じグループに属する、ということもわかる。

現物の字典を見ていないのでここではあいまいな言い方で申し訳ない。
だけど、1級の勉強をしていた時、
こういうまとめ方をして覚えていけばいいなあと思っていたことが
現に字典となって編纂されているのをきけば、
これは絶対に手に入れなければならないと思っている。
実際これを使った宇治原も、ほかの人も、
これは大変有効な勉強法だ、と言っている。

漢字は読めて書けて、嬉しいには違いないが
意味を知り、言葉に対しての理解を深めないと何も意味がない。
今の人たちは「炬燵」も「盥」も見たことがないかもしれない。
こういう言葉でしか聞いたことがない字を覚えるのはなおさら大変で、
物が消えゆくように、漢字そのものが表す日本の文化が減ってくるような気はする。
漢字の勉強そのものにはあまり将来性はないのだが
私はボケよけになるだけでも、漢字は追求していきたい。

by nyanko715f | 2008-10-14 02:01 | 言葉の話 | Trackback | Comments(6)

日本語検定の日がやってくる・・・

あんなにずっと先だと思っていた検定の日がもう明後日になった。
検定は3時に終わる。
そのあと、そのまま、どっか遊びに行こうや、と夫が言う。
どうして?というと、
どうせ、そのあと、落ち込むに決まっている。
気晴らしにどっか旅行にでも行ったらええのんとちがうか?という。
もう落ち込むことに決まっているらしい・・・・(私もそう思うが)

で、そういう話になると、そっちのほうはどんどん進む。
昼からなので遠いところには行けないが、じゃあ、1月に行った城崎がいいか、
ということで、なぜか城崎にすごく行きたがっている上の娘にも声をかけると
「行く」とのことで、今度は娘の夫婦と、4人で行くことになった。

前回の民宿が設備も料理も良かったので(1月29日のブログ)
そこにネットで予約を入れといたのだが、いくら待っても返事が来ない。
再度メールも入れたが返事が来ない。
電話してみると、ご主人のお母さんが出て、「係りのものがいない」という。
事情はわからないが、ネット予約もチェックしないということは
商売をやっていないに等しい。
1月の時、帰ってきてから写真つきのメールを送ると、すぐに
お礼と、脱サラで、夫婦力を合わせてがんばっている、と丁寧な返信をしてくれた。
がんばっていたのになにかあったのか・・・・?
コンスタントに商売を続けるのは本当に難しいことなんだ、と思う。

それで、しかたなく城崎のほかの旅館にした。
梅雨のこの時期、いくら人気の温泉地でも観光客は少ないみたいだ。
雨の予報だが、お風呂を楽しみに行きたいと思う。

で、肝心の検定のほうは・・・・
あれだけ準備期間があってもまだ勉強できてない。
いくら長くあっても、しないものはしないだろうが・・・

負け惜しみ(まだ検定も受けていないのに、もう言い訳?)になるが
たった一つの日本語という分野でも勉強しようと思うと限りなくある。
「敬語」ひとつをとっても、国語学者が何年もかかってテキストをまとめたものを
素人の私が、数ヶ月でマスターするなど、恐れ多い。
「お(ご)~される」という今は不可になっている文型だけでも
どこがどうダメなのか、
しかし、この言い方が世間にまかり通っているのはどういうことか?
この文型は将来、承認されるのか?
などにこだわっていろいろ調べていると、検定全体の勉強は滞る。

なにか引っかかるところがあると、それを調べまくっていたら
間に合わなくなった、ということだ。
と言いたいが、本当はそれほどやってない・・・・・
「慣用句」や言葉の意味まで勉強が届かなかった。
だいたい、辞書によって書いてあることが違いすぎる。
いろんな人の本を読むと、いろんな説があって、読めば読むほど迷う。
たぶん・・・・・いろいろあるものは多数決で正答を決めるのがいいのだろう。

三省堂だったか、は、現代語をすぐに取り入れるらしい。
それに、「広辞苑」(岩波)は当てにならない、という識者の座談会を読んだことがある。
だから、そこで推奨されていた「角川」の国語辞典を使っているが
検定がこの辞書と同じかどうかはわからない。
そうおもうと・・・・・検定というのはひとつの目安だ。
受かっても受からなくても、今の日本語の目安がわかればそれでいいような気もする。
そうだ!日本語の常識はせいぜい目安だよなあ・・・

<おまけの画像>
ピアノの先生のところに咲いていたあじさい

by nyanko715f | 2008-06-19 23:49 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)

敬語は難しい・・・・

日本語検定まで1ヶ月を切ったが、勉強はぐずぐずと進まず、
テキストを開くとすぐ眠くなって困る。
いろいろ項目はあるが、まだ最初の「敬語」の項さえよくわかってない。

数冊の参考文献を見たが、前にも言ったように、説がいろいろあって迷う。
だけど、検定の参考になっている「敬語」(菊池康人)が
法則などを図説のごとくまとめ、一番わかりやすいように思う。
だけど、この先生が何十年もかかってまとめた法則が
短期間で私の錆びた頭に入るはずはない。

この本の中にも書かれているが
敬語というのは相手があってのもので、聞く人がどう感じるかが一番の問題だ。
たとえば茹だるような暑さの中、研究室に学生が入ってきて
「先生、飲みますか?」と冷たいお茶のペットボトルでも差し出した時、
教授は、「おっ!気が利くな」と喜ぶか、
「なんだ、こいつ、物の言い方も知らんのか!」と怒るか、
ひとえに教授の性格の問題で、それは言葉、という域を超えているように思う。

敬語はその人の育った環境、今いる社会、職業、地域、
いろんな要素でなじんだり、なじまなかったりする。

この本の中では敬語の一番簡単な言い方として
「(お・ご)・・・・・なさる」を使い、著者はこの言い方になじんでいるらしいが
私など、(著者と同じ世代ではあるが)「どうしますか」を
「どうなさいますか」と言うのはなんか、気取った言い方に感じてしまう。
せいぜい「どうされますか?」ぐらいだ・・・・

「する」の尊敬語、「される」はたぶん、使ってもいい言い方と思う。
(なさる、のほうがオススメらしいが)
ところが、これに「出席」などをつけて「出席する」となった場合、
「出席なさる」または「出席される」は正しいのに
「ご出席される」は正しくない言い方なのだそうである。
ここんとこがよくわからない。
確かに、この本でもどうして正しくないのか、という理由を説明している。
だけど、耳で聞いて「先生がご出席されています」がへんな言葉とは思えない。

私みたいなやからが多いので、近い将来、
「お・ご・・・・・・される」は容認されるだろう、ということであるが
これも、ある時期から「正解!」となるのだったら
それまで「まちがい!」と言われてきた人はどうなるのだろう?とよけいな心配をする。
だけど、ことばというのはそういうもんだよな・・・・
国語審議会も、大勢に負けて、よく答申を変更する。
(横綱審議会といっしょだ・・・)
そして、「これはダメ」という時代の教科書を使った人はそう覚えるし、
「いいですよ」という時代の教科書を使った人はまた、そう覚える。
人の見解が一致しないわけだ。
もっとも、そう教科書に忠実な人も少ないとは思うが・・・・

とりあえず、今は今のルールを頭に叩き込んでみる。
敬語を必要としないところで生きているので、なじんでない言葉は苦手だなあ・・・

by nyanko715f | 2008-05-27 01:27 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)

「よろしかったでしょうか」の逆襲

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」はよく耳にする言い回しである。
そして、多くの人がこの言い方はあまり快く思っていないだろう。
私もその一人である。

ところが、である。
この言い方は正しいのだそうだ。
注文をしたときはわずか前のことではあっても過去のこと。
そのときの状態が今も続いているか、という「確認形」というもので、
英語で言えば「現在完了」にあたる。
日本語には「現在完了」という形がないので仕方なく「過去形」で表す。

たとえば、
何かをプレゼントして
「わ~~!これ欲しかったんだ!」と言われて
「え?欲しかったのは過去のことか?」と思う人はいないだろう。
また、大売出しなどで
「さあ、買った、買った」とお客さんを呼び込んでいるのは、
誰もが自然と「買ってくれ」と言っているのがわかっている。

日本語の文型は複雑で
過去形にしても過去のことではないことがあるし、
現在形で言っても過去のことだったりすることがある。

この文法の説明はよくわかった。
しかし・・・・・やっぱり
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」のほうが
私は、すっきりと耳に入るように思うのだが・・・・・

              参考文献  奥秋義信著:「勘違い敬語の事典」
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by nyanko715f | 2008-03-28 13:37 | 言葉の話 | Trackback | Comments(2)

気難しい敬語

日本語に関する本を図書館で借りて10冊ぐらい読んだ。
といっても、それほど詳細に読んだわけではないのだが、
どの分野の本も同じだが
「自分の説が正しい。あの本のここは間違っている」と他者批判がここかしこにあって
ちょっとうんざりする。

辞書もこういう参考書的な本も何でもそうだが
じゃあ、「間違っている」といわれる本で勉強した人はどうなるのか?
といつも思う。
検定などではどれかの説を採らなくてはいけないから
結局、うちが発行するテキストを買ってください、ということなのだろう。

実際、いろいろ説がある分野の筆頭は「敬語」だ。
敬語というのは人間の上下関係、
それも時には金銭的にとか、学歴とか、地位とか、
話し手の勝手な基準で上下が決められる。

たとえば、ある夫婦に息子が二人いて、それぞれ妻帯している。
舅が「息子はもう寝たか?」とか「ご飯は済ましたか?」と訊くと
長男の妻は、
「もうお休みになられました」とか「召し上がりました」とかいい、
次男の妻は
「先に休ませていただいてます」とか、「いただきました」いう。
どちらも舅に対して敬意を払った言い方をしていると思うのだが
さて、どちらがいいのか?
と国語学者の先生が迷っている。

たぶん・・・・・
それを聞いた舅がどちらを快く思うか?という意識にかかっていると思う。
思惑が外れると、気を遣っているにもかかわらず、
「この子はものの言い方を知らない子だ」と思われてしまう。
まことに日本語は厄介だ、と思う。

たいていの国語学者が今で言う「若者言葉」を認めてない。
確かに、聞いて不快になるものも多いのだが
しかし、言葉は時代とともに変遷していて
明治になって武士言葉がなくなったのを嘆いた人もいるだろうし、
外来語が多くなったのを嘆いた人もいるだろう。
ここ2,30年の変化など、
太古の昔からの流れを考えるとほんのわずかの変化でしかないと思う。

すぐに流れに迎合して
多く使われ出すと今まで誤りだったものが正しくなる
(たとえば、全然、が否定形につかなくなったとか、
「耳障り」が「耳触り」にかわったとか・・・・)というのも
個人的には面白くない。

だけど、そのうち「言葉のきまり」は変わる。
その変遷の具合を知っておきたい。
以前はどうであったか?というのを知っておきたい。
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by nyanko715f | 2008-03-26 20:20 | 言葉の話 | Trackback | Comments(0)