本を通じての友達が
「私、『迷宮』を3回読んでみたのですが、何回読んでもわかりません。ご存知でしたら答えを教えていただけますか?」と言ってきた。
この人と私は読書傾向も違うのだが、偶然にも!その本はすぐ目に着く所に置いてあった。
整理の悪い私にしてはすごく珍しい。
以前読んだのだろうが、すっかり忘れているし、印象のかけらもない。
で、もう一度読んでみた。
記憶喪失の患者に、療法士、と称する人が、治療という名目でいろいろな文章を読ませる。
ある犯罪(それもかなり猟奇的事件)の概要、週刊誌の取材記事、供述調書など。
それにより、加害者、被害者の人となりや犯罪の背景などがだんだんわかってくるのだが
じゃあ、いったい、この患者、また療法士はだれなのか?
普通に考えると、患者が加害者本人。療法士はこの事件を取材しようとしていた作家。
となるが、いや、清水義範ならそんなだれもがすぐわかるようなオチではないだろう・・・・
さいごにはあっといわせるようなカラクリがあるに違いない・・・・
しかし、これ全部が「つくりごとでした!」なんてオチは以前にもあったし、
そんなつまらんはなしでなないよね?とか思いつつ、最後まで行った。
解説には「叙述型ミステリーとしては極めて新鮮で、ミステリー史にも前例がないほど画期的な作品=といっても決して過言ではない」とあるが・・・・・
その賞賛、なんか・・・・くるしくない?
だって、ほとんどの人にはそれが「はぁ!なるほど!」とはならないもん!
結局「わからない!」が答え、というか、清水義範の意図したところ?
最初に表示した事件で、読者は「ああ痛ましい事件だ。被害者はかわいそう」
と単純に思う。
それが、取材していくうち
被害者の人物像で、被害者にも非があったかも。とか
加害者には犯罪に向かう同情すべき家庭環境があったのだ。とか思う。
いや、それは、週刊誌が「あおっているだけで」真実はどうかな?
と迷う。
しかも、それと同時にこの患者と療法士、いったいだれ?と考える。
事実(過去のこの事件)はどうなのか?
これ(現在の患者や療法士の正体や心境)はどうか?
読者は真相やバラバラな時間配列など迷うことだらけ。
それが清水義範が目指したこと?
とすると・・・この「迷宮」という題名も成功してるかも知れないけど
たいていの人は迷ったことに満足してないかも?
読後に「やられた~~!」という楽しみよりも消化不良の部分の方が多いかも。
私もそう。ともだちも、たぶん、そう。
だから・・・・書評もだいたい3.2ぐらいになってる。
著者は「わかるひとにだけわかってもらえればいい」と思ってるだろうね。
だいたい、ユーモアというか、笑いどころは人によって違う。
私も、この人の作品ですごく面白いと思うものがある。
「蕎麦ときしめん」とか「青春小説」とか日本文学全集など。
「ザ・対決」でシェークスピアと近松門左衛門が互いの作品を
取り換えて改作する、というの。すごく面白いと思う。
でも、これも面白いと思う人しか面白くない。たぶん。
昭和的ユーモア?今の時代にも通じるかどうか・・・?
「ザ・対決」もう少し、紹介しておこう。
1、ソクラテスVS釈迦
2、ロビンソン・クルーソーVSガリヴァー
3、ラーメンVSカレーライス
4、楊貴妃VSクレオパトラ
5、大岡越前VS遠山金四郎
などなど(順不同)(ぜんぶで10番あります。)
知識もいるし、ユーモアもいるし、まさに、昔の名物先生、みたい。
清水義範も今の時代にいれば、きっと「東進」の先生たちみたいに
TVにでまくって、もてはやされたのかなあ?と思う。
まさに「日本語」を駆使した小説の技法は傑出している
わかる人にだけわかる昭和のユーモア。
私も、分からないところはおいといて、
わかるところだけずっと読み続ける。