ごあいさつ

<ごあいさつ>

当ブログをごらん頂き、誠にありがとうございます。
2010年あたりまで町工場での仕事の傍ら、ピアノとか、ガーデニングとかいろいろやってました。
のんきに過ごしていたのですが、不景気風に吹かれて、家業が傾いてしまいました。
それで、2010年夏、「ピアノ教室」を開業し、頑張っておりますが、これでは追いつかず、
スーパーでパートもしています。

職業もいろいろ、趣味もいろいろで、あちこちに話題が飛ぶ落ち着かないブログですが
どうぞよろしくお願いいたします。

2007年、10月よりこのエキサイトでお世話になっておりますが
その前半年ほどは楽天ブログに書いておりました。
そちらの方も合わせて見て頂ければ幸いに思います。
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# by nyanko715f | 2019-01-01 00:00 | Comments(7)

きょうは夏至

春分の日も書いたから、きょう夏至の日も書いておこうかな・・と。
「夏至の日」という言い方はおかしいか?
春分の日、秋分の日、っていうのになぜ、夏至の日、とか冬至の日、とかはいわないんだろう?

大阪での日の出、4時44分、日の入、19時15分。
昼の長さは14時間31分。
これから夏に向かっていくには違いないけど
日の長さは短くなる。
だから、私の中では夏至を過ぎれば冬に近づく、と残念な気持ちがある。
朝出勤するときに明るかったのも、真夏のころには明るくなくなる。

きょうはレッスン日の予定だった。
前回、平均律第2巻が全部終わって、
次は「フランス風序曲」を見てもらうことになっている。
これはずっと前からあこがれていた曲で、
この曲ができるなどと夢のようだ。
まだ楽譜が音になっただけなのだが、
すこしそれらしくなっただけでも、ピアノが弾ける嬉しさがある。
だけど、やっていくうち、どこかちがうな、という感じで
自分ではどこが悪いのかはわからないので
レッスンを受ければそれがわかると思っていた。

ところが、昨日の夜、先生からメールがきて
「明日のレッスンは体調不良のためお休みします。」という。
先生の都合で日延べされたことなどこの20年一回もなかった。
どうなさったのか、とすごく心配になる。
風邪や歯痛、など、少々の苦痛はよく言っておられたが
今まで、休んだことが一回もないというのは
それなりにしっかりと体調管理をなさっていたんだろうと、改めて思った。

長年の疲労がたまっているのかもしれない。
まだまだ先は長いのだから、今回、思い切ってよく休んで
また元気で弾いてほしい。
祈るしかない。




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# by nyanko715f | 2018-06-21 23:45 | 日常のつれづれ | Comments(0)

大仏鉄道

かつて「大仏鉄道」という路線があったらしい。
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(京都府)加茂から大仏殿の最寄り地点を結ぶ約10キロの路線で
明治31年開業。深紅の蒸気機関車が走っていたらしい。
大仏詣でにぎわったが、その後、平坦なルート(現在の関西本線)が開通すると廃れていき、
わずか9年で廃線になったらしい。
その名残をめぐる道を歩いてみた。
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大和路線、加茂駅に降り、5分ぐらいのところに「C57のSL展示」がしてある。
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へえ~~こんな大きなものが大仏鉄道を走っていたのか?
などと言うと、
「バカなこというな、これは昭和になって、すごく早く走ることができる機関車で
ここに蒸気を送り、これが回転して・・・・」と、夫が説明してくれたが
無知な私には
これが大仏鉄道のような短い路線で走っているものではない、ということがわかったぐらい・・

この展示はともかく、ここからは大仏鉄道の名残を辿る。
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順路には矢印表示がいっぱいあり、地図もプリントアウトして「万全!!」と思い
きょうは迷わないぞ!と歩きはじめたのに
一か所(二本松というバス停をすぎたあたり)、
田んぼの畦に迷い込んで要らぬ時間を使ってしまった・・・・
よほど地図を見るのが下手だろうとは思うが
上記の表示、迷いそうな場所にはもう一か所でもつけてほしいなあ・・・・

その迷い場所から抜け出して、あとは順調。
たまに車道(府道44号線)も行くが、アジサイのある村中を進む。
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  (あるお宅のアナベルがあまりにもボコンボコンと咲いていたので撮らせてもらいました)


加茂から(順調に行けば)小1時間ぐらいで「観音寺橋台」に着く。
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前後二つの橋台があるが、向う側に見えるのは現在もJRが走っている橋台。
手前側が大仏鉄道の橋台。

ここから「鹿脊山橋台」を経て、美加ノ原CCを左に見ながら歩いていくと
やがて右側には広大な敷地がある。
城山台というところのはずれに公園があり、そこで休憩をしている人に聞くと
京大の試験場だということだ。(地図に詳しいところは載っていない)

その辺りに「梶ケ谷隧道」がある。
隧道(ずいどう、トンネル)の名残はいくつかあるが
これは鉄道が通るトンネルではなく、鉄道の下を行く人や車が通る道だ。
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去年、武庫川廃線跡に行った。
その時、トンネルがいくつもあり、長いものは400メートルもあった。
懐中電灯を持ってなくて、真っ暗闇で進むことができなくて
一緒に歩く人のお世話になってしまったので、それからは
どんなときも懐中電灯を携帯するようにしたが
ここの線のトンネルでは不要だった(笑)
(でも、歩く者にとって、夕方、日の暮れたときとか、
何か不慮の事故のためにも懐中電灯というのは常に持っておいた方がいいように思う。)

ここを過ぎると道はまた44号線と合流し、
広い道路にはコンビニやスーパーもありやがて奈良県に入る。
県境に近いところに「これは何?」と遠くからでも目立つレンガ造りの建物があったが
「木津南排水池」だった。
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県境を過ぎると鴻池運動公園やユースホステル等の建物を左右に見ながら広い道路を進み、
奈良女子大の角を右に曲がる。
ここを突き当たったところに「大仏鉄道記念公園」がある。
このあたりが「大仏駅」だったらしい。
記念公園、というのですごく広い敷地を想像していたのだが
三角地にモニュメントが設置してあるちょっとしたところだった。
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ここから、かつてにぎわっていたという「ふなはし商店街」を通り、
近鉄奈良駅、またはJR奈良駅に向かう。(どちらに行っても10分ぐらい)
加茂駅から、見学、休憩を入れ、ゆっくり歩いて約5時間。
ハイキングとしては適当な距離。
人も少なく、風も気持ちよく、100年前の名残をゆったりと楽しめるコースだった。



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# by nyanko715f | 2018-06-18 11:01 | 街道めぐり | Comments(0)

「万引き家族」

受賞作品じゃなかったら見に行かなかったかも?
話題になっているので来た、という同じような気持ちの人がいたので
いつもはよく入ってもせいぜい3割、というところ、半分以上はいっていたか。

どんな風にこの映画を見たらいいのだろうか?
とおもっているうちに終わってしまった。
エンタメ系、たとえばスターウォーズみたいなものは
みてりゃいいのだけど、こういう社会映画なるものは
観客にメッセージを振りまきながら進んでいくように思うので
ついつい考えながら見てしまう。
そして、最終、自分の好き嫌いで評価を決めればいいのに
世界または日本での評判に惑わされていたり、
ほかの人の感想をネットで見たりして、
結局自分はこの映画の価値を決めることはできない。

確実に思うのは、俳優陣が、どの人もすごくうまかったこと。

そうそう・・ほかの人の感想を読んでいく中で
『俳優のうまさと映画の不味さが混在している』と書いてあって
それに一番共感したなあ。

『不味さ』というのは不出来である、とか価値がない、ではなく
やり切れなくする、といったもの。
ちょうどこの時期、幼児虐待のニュースがあって
そういうのを見てやりきれなくなるのとおなじような。

人としての思いやりを十分に持っているけど、
あるところの世間のモラルがまったく欠けている人をどう考えるか?
またはその逆の人。

そういう問題提起をしているだけでもやっぱり
この映画は意味があるのだろう。
だけど、どこの部分を肯定していいか分からなくて
迷いが残るし、救いがない。
だから、見た後の気持ちが不味いし、もう一回見よう、という気になれない。
それが社会のひずみから目を背ける、みたいな後ろめたさでもある。
何が正しいのかはよくわからなくて、なんかすっきりしない。

少なくとも「そして父になる」は
何か生きていく決意、みたいなものがみられた。
この映画でもせめて救いを見つけようとすれば
「しょうた」と名づけられた少年だけは心するものが見えたことか・・・・
とにかく、俳優陣がうますぎて、その印象が一番強い。

かつて「キャタピラー」を見たときの気持ちと共通するものがあるなあ。

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# by nyanko715f | 2018-06-11 09:02 | 映画の話 | Comments(0)
大和郡山へは去年の夏、お城が修復されたので見に行ったが、
その時見た「金魚の電話ボックス」が他県との(著作権)トラブルで撤去らしいというので
本当に撤去されたかどうか、見に行くことにした。
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           (去年撮った電話ボックスの写真)

また例によって「駅からハイキング」の地図を使う。
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前回はお城の周りしか行かなかったが今回、駅から南に向かって「賣太(めた)神社」というところに向かう。
古事記の編纂で有名な(といっても、社会の教科書ぐらいでしか知らないが)稗田阿礼をお祀りしてあるところだそうだ。

佐保川を越えると「下つ道」というところに出る。
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ここは平城京と藤原京を結ぶ道で、670年ごろにはもうその名前が出てくるらしい。
このあたり、環濠集落になっていて、お濠と取り巻く緑や家々の景色がとても快い。
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ここから元の道に戻り、JRの踏切を越えると金魚池が目立ってくる。
今でも相当な金魚池があるが、江戸が明治にかわるとき、生業として金魚を扱い、
今の何倍もの金魚業者があったという。
「金魚資料館」ではいろいろな種類の金魚を見ることができる。
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ここからはお城に向かっての道だが
お城近辺には江戸時代、ここの藩主だった「柳沢家」ゆかりの見どころがある。

お城は前に見たのでざっとみて、
ここで一番見たいと思っていた「源九郎稲荷神社」を見に行く。
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源九郎狐、というのは歌舞伎や文楽で出てくるあれである。
ついこのあいだの4月の文楽公演も「吉野山道行」がでていて、2回も見に行った。
4月は吉田玉助の襲名披露公演で、とても賑やかで
「道行」も太夫さん、三味線は舞台中央にずら~~っと並ぶ様式で
華やかでうきうきした。
もっとも、この様式を、朝日新聞の評者は本来の文楽にそぐわない、と一蹴していたが
見る方は、一面に桜が咲き乱れる華やかな舞台を一目見ただけで心躍る。
このごろ、観客も外国人がとても多いが、その人たちにもインパクトのある芸術ではないか、
と思うのだが。
蛇足ながら。狐忠信が勘十郎、静が豊松清十郎。
勘十郎の忠信はいかにも実直な家来、親を慕う子キツネ、がよくでていて、
清十郎の静は、とてもかわいらしく、かつ、凛、としている。

吉野に急ぐ道で、ひとくさり、思い出話を終え、さあ先を急ごう、というとき
忠信が静の装束を整えてやる(ササっと、着物のすそをなおしてやる)、という一瞬がある。
ここに忠信の、大事なお預かりもの、という思い。
また静にはいたわってもらっているという安心感がでていて
ほんとうに一瞬の動作なのだが、とても好きな場面である。

閑話休題。
稲荷神社に行くと、神官さんが「ようおまいり」という感じで出て来られた。
それから神官さんの長い話が始まったのだが
狐を遣う役者さんたち、猿之助や勘九郎が公演するときはここにお参りに来ること。
去年、舞台でけがをした(今の)猿之助はけがのあと、退院して翌日にお参りにきた、
という話をされた。
境内には役者さん達のお手植えの桜などもある。
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神社のを後に、駅に向かう道に「外堀緑地」というきれいに整備された区画がある。
ここにあずまやみたいな休憩所もあり、ここで神社の近くで買った「源九郎餅」を食べた。
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そういえば、稲荷神社の神官さんにきいたところ、
あの電話ボックスはきれいに撤去されてしまっているとのことだった。

郡山は観光の町ではあろうけど、とても静かで落ち着いている。
町全体にめぐらされた水と緑のおかげだろう。
駅からぐる~~っと約4~5時間。
とてもいいコースだった。

さすが金魚の町で、ポスター、地下道の壁も金魚だらけだ。
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ちなみに、今年も「金魚すくい全国大会」があり、そのポスターも神社で見せてくれたが
金魚が金魚をすくっている絵柄だった。


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# by nyanko715f | 2018-05-31 11:57 | 街道めぐり | Comments(0)
今回も「駅から始まるハイキングブック」により、
JR法隆寺から右回りに斑鳩の里を歩く。
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普通の観光だったら駅からすぐに法隆寺に向かい北に歩くところだが、
反対側の南に向いて、大和川にぶつかるまで下る。

大和川が竜田川に分岐するところからは竜田川沿いに歩く。

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こどものころ、家族で百人一首に興じていた。
その中の在原業平が詠んだ歌を、父が
「昔、竜田川という相撲取りがいて、
ちはや(という女の人)に振られ、かみよ(という女の人)も言うことを聞かず
それを苦に、井戸に飛び込んで死んだ」と講釈し、かなり大きくなるまでそれを信じていた。
「から(井戸)」「水」「(首を)くくる」じゃあ、いったいどうやって死んだのか
つじつまがあわないじゃあないか?とつっこんでみたいが、
そんなでまかせを言っていた父はもういない。

本物の竜田川は今は「県立竜田公園」となり
川沿いにもみじと桜、はなみずき、などが植えられ
今は若葉が光り輝く、気持ちのいい散歩道となっている。
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竜田川から少し登ったところに「みむろやま」がある。
登り口に、業平の歌と共に能因法師の歌碑があり、
「ここが歌に詠まれたみむろやまかぁ!」と感慨深かった。
上まで登っても10分か15分ぐらいの小高いところではあるが
紅葉の木がいっぱいで、
色づけば「たつたのかわの にしきなりけり」そのものになるのだろう。
紅葉と同じほど桜の木も多く、
もしもいにしえにいまほど桜があったとすれば、
歌人たちはその風景をどう詠んだだろう、と想像する。
(そのころの歌にある『花』はさくらをさしたというが、いまほど好まなかったか?)

竜田公園を過ぎると龍田神社のある龍田の町並みにはいる。
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ここの古い町並みは風情があっていいが、
そのあと、藤の木古墳をすぎてから見た「西里」という
突き当たれば法隆寺、という狭い町並みは風情があって、よりいい。
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たまたま通りかかったここに住んでいる人が
家の塀が、大和川を渡っていた船の底板でできている、と教えてくれた。
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法隆寺は何回も行っているので中には入らず、
法隆寺の裏山から法輪寺にむかったが
池があり、棚田があり、古墳があり、とてものどかな気分になる道で
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やがて法輪寺の三重塔がすっくと目の前に現れたときは思わず
「おお~~っ」と言ってしまった・・・・

法輪寺から、中宮寺と法隆寺の間を抜けてJR駅に戻る。
約5時間の歩行。
法隆寺の駅舎は趣がある。
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駅前の時計台の文字盤も漢数字でなかなかいいですね・・・・
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# by nyanko715f | 2018-05-22 11:44 | 街道めぐり | Comments(0)
歩くにはなにかモデルコースのようなものがいる。
そういう本も最近はたくさん出ているで参考にして歩いているが
一番困るのは所要時間が健脚中の健脚時間で書いてあること。
実際歩いてみると、私たち年寄りは倍以上もかかる。
歩く速度が特別遅いのかもしれないが、
地図が大雑把なので道に迷うこともしばしばなのも原因だ。

このあいだも「葛城古道」を行ってみたが
最初の目的地からもう既に道に迷い、違う方向に行き、
疲れてしまって、夫は道にへたり込み、結局
コミュニティバスに拾ってもらった。
目的の半分も行けなかった。
この日は特別コンディションが悪かったこともあるのだろうけど
こんど、別の本を買ってみた。
500円、と値段で決めてはいけないのだが
あまりに安いので期待してなかったが(スミマセン・・・)
関西の日帰り25コースが書いてあって、
まず、土地勘のある「奈良、山の辺の道コース(の一部)」を行くことにした。
JRまたは近鉄線の桜井駅を出発して同じまほろば線の巻向(まきむか)で終わる。
所要時間3時間10分。
(今回はだいたいこの本の通りの時間でした)

本には見開き2ページにわたり地図があり、
道路沿いやわかれ道のところに店の名前や目印が書いてある。
これは今まで見たうちでいちばん親切な地図だ。
ここは行く人も多く標識が整備されていることもあるけど、
まったく迷わずに歩けたのは珍しい。
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           (写真でわかりにくいですが、今まで使った中では一番親切な地図!)


山の辺の道はJRまほろば線と平行に続く三輪山のふもとを歩く道で
万葉集の歌碑が至る所にある。
車道と重なるところもあるが、古墳や神社をたどり、
大和の山々の緑を眺めながらカキやミカン畑の中を歩く。
今は若葉の匂いと、つつじやかきつばたなどの花も楽しめる。
道沿いには100円均一の無人販売の野菜や果物がある。
日常から隔絶された、ゆったりとした散歩を楽しめた。

この前、道に迷って、こんなことになるのなら、やっぱり、
スマホかタブレットか、「ナビ的」なものを持たなければならないか?
とだいぶ検討したのだけど
この本のコースならナビなしで行けそうだ。

次回、「山の辺の道」の天理方面への続きか、
または学研都市線、星田のあたりもいいなあ、と思っている。

この2年間、伊勢への奈良街道、初瀬街道
そして4つの高野街道と、縦横の線を踏破したので
こんどはそれらの線から出ている支線的な道をめぐる。
一回でも行っているところにはなじみがあり、
そこを反対方向から歩く、というのも面白い。
反対側から歩いてみると全然景色が違っていたりする。

山の辺の道の途中にある相撲神社。
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ここで最古の天覧試合が行われたそうですが
初瀬街道を歩いている時に相撲発祥の地、
野見宿禰(のみのすくね)を祀った十二柱神社がすぐ近くにあったことを思い出しました。






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# by nyanko715f | 2018-05-10 09:29 | 街道めぐり | Comments(0)

最近の映画とテレビ

きのう、「グレイテストショーマン」を見てきた。
ララランドよりは楽しめた。
歌もいいし、ダンスもいい、仕掛けもすごい。
だけど、「せいぜいこんなもん」というのは私の観る力が衰えてきたからか?
もともと観賞力がないからか。

年よりはみんな同じようなことを言うだろうけど
ミュージカルでは「サウンド・オブ・ミュージック」と「ウェストサイド」
そして「屋根の上のヴァイオリン弾き」を越えるものにはもう出会わないと思う。
これらの1場面ごとの音楽とストーリーの完成度。
これ以降のものはせいぜい映画ひとつに有名なナンバーがあるかないか。
ヒュー・ジャックマンは現代のジーン・ケリーにも匹敵するだろうけど
「観たこと」を覚えている程度で映画の印象は見たすぐ後でも忘れていく。
「レ・ミゼラブル」も悪くはなかったけど、後で思いだすところがない。

今の映画としてはいいよ。
「美女と野獣」も悪くなかった。
でも、もう「参りました!」という映画には出会わないかな・・・

テレビもそう。
このごろのドラマでもそこそこ楽しめるものはたくさんある。
1年のうちのいくつかはなかなかよくできてるじゃん、というのがある。
(特にNHK)
この半年、久々に朝ドラを毎日欠かさず見た。
期待して見ていたが、期待できるところには最後まで到達せず、
「つらい時こそ笑うんや」ということばがとってつけたようだった。

唯一、期待が膨らんだのは北村有起哉が出てきたとき。
やっと本格的役者が出てきた。と思ったのに1週間で姿を消した。
北村有起哉は「ちかえもん」でも竹本義太夫で精彩を放っていたが
ここでは「ぐだぐだ感」とそれと対照的な本格落語を披露していたのに
すぐに消えてすごく残念だった。
何百人もも芸人を抱える会社でありながら
いつも出てくる芸人が2,3組なのは朝ドラのつくりとして仕方ないにしても
もっと華やかなショーをドラマで繰り広げてもよかったのではないか?
いつも同じ場面(寄席の帳場)、数人の登場人物で、ふくらみがなかった。
高橋一生でもっていたようなもんだな・・・・

俳優が熱演、怪演(!)しまくりの「99.9%」も終わり、
定番の相棒も、科捜研もちょっと食傷気味に終わり、
今は見るものがなくなった。
あ、そういえば先日3回だけやった「弟の夫」というドラマは
ちょっとほのぼのできて、なかなかいいつくりだったな。
さわやか過ぎる感はあったが、ドラマは見ていい気分になれるものがいい。

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# by nyanko715f | 2018-04-03 09:04 | 映画の話 | Comments(0)

平成30年の春分の日

仕事の〆日は毎月20日なのできょうから4月度に入る。
お水取りが終わったとはいえ、このところは寒の戻りできょうも気温が低い。
だが桜のつぼみの膨らみ具合や満開を過ぎた梅を見ると
新しい季節の到来はじゅうぶん感じられる。

この冬、雪の中を山のぼりもして、それはそれで趣もあったが
これから若葉や色とりどりの景色の中を歩けると考えるだけで心躍る。

さて、きょう、たまたまみたニュースの中の話題。
新しい企業の話で、街の中のトイレを表示するアプリを開発する、
というのがあった。
それはまだ試行錯誤の段階で実現には至っていない。

さきごろからずっと街道歩き、山歩きをしていて
一番困ったのはトイレだ。
国道沿いだからコンビニ、スーパーがあるだろう、という勝手な推測で歩いていて、
それらしい店も公園もなく、すごく困った状態に何回も陥った。
電車の駅はあっても、トイレを持ってない駅とか、
まわりに1軒の店もない駅もたくさんあった。

子供と一緒で、年を取ると、トイレはコントロールできにくくなる。

まちの観光地図の中にはトイレなど施設の表示がちゃんとあるものはある。
街道歩きはそれほど珍しいことではなくなっているもの、
それでも店もなく、人も通っていない道筋はいっぱいある。
まったく山の中ならまだあきらめもつくが、
そうじゃないぜったいトイレが見つかりそうにない場所はいっぱいある。

だからTVで「トイレを表示するアプリ」の開発のニュースを興味津津でみた。
こういうのが全国版で開発されれば私も今のガラケーをスマホに替えよう!

スマホなんか、ぜったいに要らない。と今まで思っていた。
年寄りになればもっと要らない。と思っていたが、実は反対かもしれない。
年寄りになればなるほど困ることが多くなってスマホに頼ることが出てくるのではないか?
もちろん、使いこなせれば、の話だが。


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# by nyanko715f | 2018-03-21 09:04 | 日常のつれづれ | Comments(0)

年の初めに

今年は喪中につき年賀状は欠礼をした。
年賀状の来ない年始はちょっとさびしくもあるが
喪中ということを理由に年始の行事を一切さぼって楽をしている。
おまけに、元日、仕事が休みになり誠にありがたい。
もっとも明日からシフト過密で、それも初日から会議ってなに?って感じ。
だからきょうは1日家にこもってぬくぬくする。
子供らは盆も正月もなく、公園へ行く!と言っているらしいが・・・

今年の目標!などとたいそうにいうことはないのだが
とりあえず、1、寝込まないように気をつける。
ピアノのレッスンはコンスタントに行く。
バッハ平均律2巻を終わらせる。
シューベルトを2、3曲弾く。
新しい曲も2,3曲弾く。プーランクなんか、いいですね。

今年も歩く!
去年は年始から高野街道を歩いて、河内長野までの4つの道は完歩した。
お~~そういえば・・・
きのう、娘の家でご飯を食べていると、婿が
「同僚がね、『今年(去年のこと)いいことがあまりなかったのに
空海に逢えて幸運だった』、と言ってみんな僕の方を見てにやにや笑っているんですよ・・・」
と笑いながら話す。
改めて見ると、婿はほとんど坊主頭で、最近は悟ったような顔になっていて
会社の同僚が、空海に似てきたと言っているのはわからんでもない・・・・・
「同僚の悪い運勢をいいことにかえてあげられたんならたいしたもんやないの」
と言って笑った。
空海はこんなちかくにいたのか~~(笑)

今年も多いに歩かねば、と思ってはいるが、
冬場、山はきびいしいので、東海道の続き、
石山(滋賀)から草津あたりまではどうかな~~と言っている。
街道を歩きはじめるきっかけは「東海道を完歩したいこと」だから
少しでも江戸に近づきたい。(おいおい・・・)
いつか、東京にたどり着いて、東京の友達をびっくりさせたいなあ~~
そんな日がくると信じてそれまでがんばって生きる。

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# by nyanko715f | 2018-01-01 09:30 | 日常のつれづれ | Comments(0)

としのくれ

(としのくれ)
なんで「ねずみ」に似たこの字が「としのくれ」なんだろう?と思っていた。
(もっとも、よくみると、ねずみとはちがうんだが)
で、最近手に入れた「字統」を見ると
(古代中国で)冬至のあとの第3の戌(いぬ?)の日に行われる年越しの祭り
と書いてある。「臘」のつくり部分は略すと「猟」のつくりなので
なにか、獲った獲物をおそなえしたんだろう・・・・と書いてある。

それにしても、こんな1字でも古代中国のならわしとか延々と出てくる辞書1冊に
どれほどの文献が必要だったのだろうと思うと
(中古だけど)3000円という値段は誠に申し訳ないとおもうし、
人の功績というのは計り知れないと思う。

たまたま、今日の朝、TVの「リーダー」と言う番組で
「小川理子(みちこ)さん」というひとのことが取り上げられていた。
慶応の理工学部を卒業して、パナソニックの音響部門に入ったが
そこが解散となり、岐路に立たされたところ
上司であり、ジャズマンでもあった人からジャズピアノをやらないか?
という誘いがあり、プロのピアニストとしても活躍する。
2014年、パナソニックが再び音響をやることになったので
そこの責任者に抜擢される。
今はピアニストとしての活動の傍ら、
世界に通用するオーディオ製品の開発をしている。
この人を見出した上司が小川さんを指して
「天は二物を与えず、というが、この人は五物ぐらい持っている人」と評す。
いやぁ・・・世の中には(表に出なくても)すごい人がたくさんいる。

比較するのもおこがましいが、
今年、仕事のリーダーを任命された私などなにをやっているんだ!と思う。
といっても実績でなったんじゃなく、システム上、便宜的にリーダーになっただけで
チームの五時間ほどの時間管理をするだけだ。
責任も感じてなく、それより、仕事の知識も何もないままで
とにかく、今日一日が無事終わってくれたらいい、としか思っていない。
「平成29年の12月29日」など二度とこないのに
それを「その日が過ぎればそれでいい」なんてなんともったいない・・・
とは思っているし、
たまに、こうやって偉人たちの生き方を目の当たりにすると
このごろずっと「無為徒食」でいいじゃないか、と開き直っている自分に気が付く。
才能がないんだから仕方ないじゃないかとは思うが
いや、才能がないにしてもだ・・・・
ないなりに、
少しでも上へ、という意志だけでも持っていなければならないのではないか?
(まあ、この反省もすぐに忘れるだろうけど。)

前述の小川さんは、今後の目標として
50年後も世界に通用する機器を作る。
また、自分は100歳までピアノを弾く。
と言っている。
ピアノの上手下手は別として、私も80までピアノを弾く。
ぐらいの目標は持とうか、と思う。
そういえば、小川さんが
「やめたらそれでおわり」という意味のアーティストの言葉を言っていたが
結果なんて期待しないで、続ける、というだけを目標にしてみるか・・・・
と思ったとしのくれ。


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# by nyanko715f | 2017-12-30 10:58 | Comments(0)
久々にブログを更新して、「マイブログ」に戻った。
私の記事ランキングで2010年に書いた「山澤由江さんの訃報」の記事が1位になっている
笑福亭仁勇さんのことで閲覧してくれたのだなあと思った。
仁勇さんがなくなったことを先日、ニュースで見た。
すぐに奥さまの山澤由江さんのことを思い出したが
仁勇さんが亡くなった原因はちゃんと読んでない。

「にゆう・わーるど」という仁勇さんのブログには
先日12月9日に新しい記事があり、「他界された師匠の奥さま(注:仁鶴さんのおくさま、たかこひめ)のお誕生日です」と書いてある。
また、12月7日は「亡くなった家内の月命日です」とも書いてある。
来年は「年男」(60の当たり年)とも書いてあるので
たぶん、急死だったのだろうと思われる(詳しく知らなくてすみません)

来年年男・・・私の弟と同じ年である。
今の60はまだ青年の域みたいなところがある。
それを前にして、ほかの方々の冥福を祈りながら逝ってしまわれたのは
無念だったかもしれないし、
ご本人は奥さまのところに行かれてよかったのかもしれないし。
しかし残された一人娘さんはお気の毒だ。
奥さまが亡くなられた時、高校入試だったから今は22歳ぐらいだろうか・・
そのとき、「お父さんは死なんといてな」と言われたことが思い出される。

仁勇さんのブログ、「にゆう・わーるど」は今も閲覧できる。
仁勇さんも司馬さんの「街道をゆく」がお好きで
ブログにも、住んでいるところ(淀川)付近の街道の話をたくさん書いている。
これを参考に、仁勇さんの歩いた街道を近いうち、辿ってみようと思う。

心から哀悼の意をささげる。




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# by nyanko715f | 2017-12-23 09:00 | 落語とか文楽とか | Comments(0)

今年の、ピアノ、回想

今年もあと一週間になってしまった。
1年間いろんなことがあったのに、それも風が吹く程度に流してしまって
なんともったいない過ごし方をしているのだろうと思う。
底には「はやく1年が経ってくれ」という気があったからだ。
「早く」というのは早く仕事終わりの日(定年)が来ないかな、ということである。
別に定年など待たずに辞めればいいのだけど、人手が足りないところ、
ぬける勇気がなく、また「絶対やめたらあかん」という脅し(!)もあって
しかたなくずるずると朝3時半起きを続けている。

休みの日でもアラームを鳴らしているが、
そのとき、「きょうは起きなくていい」と温かい布団の中で思う幸せは
辞めてしまえばなくなってしまう。
この先、遊ぶためにはまだまだお金が要る!ということもプラスして
あと2回、ネコもイヌも借りたいような年末年始の忙しさを過ごさなければならないか・・

平成29年という年は父が亡くなったことを除けばまったく記憶に残らない年になるだろう。
しかし、子供が移動する(卒業、就職、結婚など)とか孫が生まれるとかさえ、
何年だったか覚えてないほど大きく心が動かなくなっているんだから
こんど記憶する年は自分が死んだときぐらいかもしれない。
(それを自覚するかどうかはわからないが・・)

このあと、無限に人生があるわけではない。
ピアノを弾いていられるのもあと何年だろう?とおもうが、
父と私は23、離れているので、父の年まで生きられれば
あと23年生きられる。(年数に何の保証もないが)
そして、いつも思うんだが
私のピアノの先生は私より15歳上だから
あと15年はあのようにばりばり弾くことができるかもしれない、
と、これも何の保証もないのに考える。

もう63。ではなく、まだ63。と思うようにこころがける。
衰えたことよりも、これからできることの方に多く気持ちが向いているのは
幸せなことだと思う。

上手下手お構いなしに、ピアノだけは一生、精進しよう、と去年決めた。
今年、レッスンも1ヶ月に1回の割でしか行かなかったが
ともかく、モーツァルトソナタ全曲やり直し、が終わった。
バッハ、平均律2巻はあと3曲になったので来年には終わらせる。
どれもこれも「弾いた」というだけでしかなく
「極めた」なんて言う言葉からは銀河系のかなたほど遠い。

今、シューベルトをやりかけて、当分これだ!と思っているのだが
「長い!」という理由で、先生には却下されるだろう。
どれもこれもプロが弾いて一つの楽章が10分ぐらいかかるものばかりだから
私が弾くと1楽章でも15分ぐらいかかる。
15分もずっと聞いていられるほどの我慢強さはいくら先生でもないだろう。
だけど、シューベルト、弾きたいなぁ…
19番(D、958)終楽章。こんなに心躍る曲はない。
私が挑戦した曲の中で一番難しかった曲。
そのときから10年以上たって、今、難しさが少しでも減っていればいいなあ・・


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# by nyanko715f | 2017-12-23 08:20 | ピアノ練習日誌 | Comments(0)

「ローガン・ラッキー」

ダニエル・クレイグが出ていれば、とりあえず、見に行く。
すごい端役で出ていた(もし出ていなかったら絶対に行かなかったであろう)「ミュンヘン」まで見に行った。
だから、今回も、TVのCMで見て、どんな映画かも知らずに行った。

ひとことでいうと「泥棒」のはなし。
ダニエル・クレイグは金庫破りの名人で、最初、ダサい囚人服で登場する。
ローガンの3きょうだいと、クレイグ扮するバングの3兄弟とがことを起こす。
が、そのどろぼう一味も、周りの人たちも、どこかおバカで、
すんなりとことが運ばないし、アクシデントが多いし、
数々のしかけはアナログ的で、スピード感がない。
そのテンポは、最初に出てくる”ジョン・デンバー”の曲の時代を踏襲していて、
ジョン・デンバーをよく聞いていた私には
速度違反みたいな最近の映画よりずっとしっくりくる。
細かいエスプリが見事だと思うけど、この緩さを「まだるっこい」と思う人もいるかも。
前時代的だけど、アメリカのコメディの要素を全部兼ね備えている気がする。

お目当てのダニエル・クレイグは
正直、はじめ、「こんな人がなんでこんな(B級)映画に出ているんだろう?」と思った。
007よりちょっと太っているし、あまりかっこよくなく見える。
しかし、見ているうち、ボンドみたいに隙なくかっこつけなくていいし、
実に、のびのびと、楽しんでやっているように見えた。
どこかまぬけなこの人も魅力的だ。

事件の終わらせ方もなかなかしゃれている。
派手さは全然ないし、決して大評判を取る映画ではないと思うが、
日ごろの疲れを癒すのにはいいエンタメ映画だと思う。
「ミリオンダラー・ベイビー」でひたすら(!)闘ったヒラリー・スワンクが
FBIの敏腕刑事さんになっている・・・・これもなかなか魅力的・・・・
無表情で、淡々と行動するバーテンダーの弟って、スターウォーズのハン・ソロの息子?
スターウォーズも去年公開の「ローグ・ワン」がはさまって私の中でわけわからなくなっているんだが
行きがかり上、来月の「最後のジェダイ」も見に行かなくては…

余談ですが・・・
「スターウォーズ、フォースの覚醒」にダニエル・クレイグも出ていたそうです。
きくところ、この人は最初のスターウォーズにエキストラ程度で出ていたらしいです。



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# by nyanko715f | 2017-11-20 12:03 | 映画の話 | Comments(0)
今回の選挙ほど国民をおいてけぼりにしたものはない。
勝手に解散しておいて、勝手に徒党を組んで、
自分の利益のために主義主張はどうでもよく、節操無く、当選しそうな傘下に寄り、
それで多額の金を使って、その上で、消費税を上げてそれを何に遣うか問いたい、だと!!
ただただ選挙ショー、または選挙バラエティを見せられている国民はたまったもんじゃない・・・

無駄遣いしているのは自分たち議員なんだから、
足りなければ自分たちがわずかずつでも身を切ればいいものを
真面目にこつこつ働く小市民からまきあげることしかせず、
自分たちが身を切る覚悟など一切ない。
なにか不祥事が起これば、そのときだけ頭を下げて回るが
国会議員先生になれば、偉くなったと勘違いして、他人を怒鳴りつけ
あげくのはて、「私をだれだとおもっているんだ!」とうそぶく。

自分の生き先だけ気がかりで、奔走している最中、
たとえば、きょうTVで扱っているところの
「高速道路死亡事件」など起きていて、これは運転中の事故でもないのに
「危険運転」か「過失致死」か?などと言われていて、
こういう事件を裁く法律がないのだという。
法律は国会でしか論議できない。
こういう市井の思いがけない事件をも大切に論議する国でなければならないのに、
国会議員が一番何に力を入れるかというと、自分の権力を蓄えていくことだけだ。

さて、前置きが長くなった・・・・
きょう、TVを見ていると、各党、選挙運動が始まった。
構成図が変わって、誰がどこに所属しているかもよくわからないし、
誰を信用していいのかもわからないのだが、
松原仁、という希望の党へ逃げた人であるらしいのだが
「たたかいの火ぶたが切って落とされました!」と叫んでいる。
「火ぶた」を切って落とせば、下にいる人は死ぬよ。
と日本語を誤ってつかっている言葉の説明にあった。
火ぶたは切るもの。
切って落とすのは「幕」だ。
それをいっしょくたにして火ぶたが切って落とされる、などと言ってる。

実は、このあいだ読んだ三浦しをんの

星間商事株式会社社史編纂室

にも同じフレーズが出てきたように思う。
そのとき気になったが、読み飛ばして、もう一度検証してやろうと思い探してみたが見つからなかった。
だから私の思い違いかもしれないし、もしかしたらわざとギャグで使ったのかもしれない。
この小説自体は感心しなかったがまあそれはそれでいいか・・・と思っていたが
もしかして本当に知らずにこのフレーズを使っていたとしたら
私はもうこの作家を信用しない。
だいたい、「憮然」を間違って使う作家を私はぜったい信用しない。
私たち素人ならともかく、物書きというれっきとしたそれでお金をもらっている人が
堂々とまちがったまま使う、という気がしれない。

もっとも、司馬遼太郎は「街道をゆく」のなかで
大神神社を「おおみわ」と読ませることについて
「日本語は法則についてはきわめて厳密でない言葉で、たとえば白、という漢字にアオ、という振り仮名を振ってもかまわないのである。」と言っている。
言葉の意味など、長い歴史の中でどんどん変わるもので、
本来こうだった、というものが、違った意味に使われはじめ、
それが多数派になっていくと間違ったものが正しくなってしまう。

たとえば、「新しい」はもとは「あらたしい」であったけど、
「あたらしい」が定着してしまい、「あらたしい」とでも言おうものなら
ヘンな言葉を使う人、などと言われかねない。

だから、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、
「火ぶたが切って落とされる」という現実には考えられないことばも
いずれ市民権を得るのだろうか?

ずっと以前のブログに「鳥肌が立つ」も取り上げた。
あれから数年たって、ますます「感動」の方に使われはじめた感がある。
「あわや」もそうだ・・・
「的を得る」と知識人、と言われている人も使う。

私だってきっちり正しい日本語を使っているなどとはいえない。
知らない言葉も間違って使っているのもいっぱいある。
だけど・・・・私は一般人だ。
せめて、これを使ってお金をもらっている人はもう少し
言葉に気配りをしてもいいんじゃない?

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# by nyanko715f | 2017-10-11 14:30 | 言葉の話 | Comments(0)

(実家の)父、亡くなる

実家の父は一人暮らしがままならなくなって5年ほど前から施設でお世話になっていたが
施設の中を自由に行き来し、食事も毎度、きっちりとって
当分心配要らない、としばしば弟から報告があったので安心していたが
急に心筋梗塞を起こし、あっという間に亡くなった。
86歳だった。なにも苦しむことはなかったという。

父は琴平の旅館の息子として生まれ、学校を出て銀行へ2年ほど勤めたが
のち、13代目の当主となる。
若いころから、茶道、華道、日本舞踊に打ち込み、どれも師範免状を持っている。
旅館の部屋の花はすべて自分が活けていた。

時代の流れで、古い観光地の旅館の業績が悪化しかかったころに
思い切って土地建物を売り払い、花屋に転業し、高松に移住する。
その花屋は今、弟夫婦が受け継いでいる。

父には私を筆頭に3人の子供、8人の孫、3人のひ孫がいる。
父の父(私の祖父)が家庭を顧みない人であったという反発からか、
父は自分の家庭をとても大事にした。
しかし、心情的に大事にしただけで、それぞれの行き方に口出しをしたことはない。
唯一、私が結婚するとき、紹介した相手が、父がそれまで思っていた人と条件が違うというので
それまでしたこともないようなバトルをしたが、それもすぐに父が折れた。
子供は苦手と言っていたのに孫が生まれると眼の中に入れても痛くないほど可愛がった。

旅館からの転業は父にとっての一大事ではあったが
それ以外はおおむねしあわせな父の一生の最大の誤算は、母の急死だった。
転業した花屋も軌道に乗り、子供も独立し、孫も増え、
ようやく夫婦二人の穏やかな生活が送れると思った矢先、
母は55歳で突然逝ってしまった。

それまで家事などまったくする必要もなかった父は
炊事、洗濯、掃除などの身の回りのことをすべて一から覚えることになる。
そして、母の法要を自分の手で執り行うことが最大の生きる目標となる。
一方で、その時から、趣味であった日本舞踊にもいっそう打ち込むようになった。
歌舞伎には造詣が深かったが、その趣味を唯一受け継いだ私は父とたくさんの舞台を見た。
歌舞伎をあれだけ見るのに文楽はまったく見ようとしなかったので
私は一度父を文楽の観劇に誘ったのだが、それはとても楽しめたようだ。

父の葬儀には、若いころからの日本舞踊の舞台に立った父の姿を
DVD写真にして参列した人に見てもらった。
さらっと流しただけなのでことさらに感傷的にはならない葬儀だったが
その3日間、父の子供3人とその家族が久しぶりに全員集まって
大いに飲んで食べてしゃべって、楽しく過ごせたことがいい供養になった気がする。

父はやっと母のところに行けた、と喜んでいるかもしれない。
30年も一人でよくがんばったね、と答えぬ父に声をかけた。


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# by nyanko715f | 2017-09-18 14:02 | Comments(0)

眼の中で虫が飛ぶ?

数日前、ピアノを弾いていると、目の前に虫が飛んでいるのが気になる。
うっとうしいと思うが、すぐいなくなるので気のせいか?と思った。
いや、虫じゃなくて、髪の毛がかかっているのか?
それとも眼鏡が汚れているのか?とか思いつつ、
それもこれも、「気のせい」という感じだった。
しかし、夜、寝る前に必ず本を読むんだが、
メガネをはずし、本と向き合うと、この症状はいっそう顕著になり、
目の前をチラチラとなにかが飛んでいくのは「気のせい」ではなくなった。
一か所に止まっているわけではない。目の動きとともに動く。
本を読んでいてもあまりにうっとうしいので寝ることにした。

次の日になっても「何かが飛んでいる」状態は消えない。
これで視力が低下する、やがて見えなくなる、なんてことになればイヤだなぁ
と大げさな心配をしながら、とりあえずネットで「眼の中 虫が飛ぶ」と検索してみた。

「飛蚊症」という病名はすぐに出てきた。
ここに書いてある症状はぴったりと当てはまるからまちがいない。
それも、加齢によりふつうにおこる症状のようで特別珍しいものではないらしい。

原因は
眼球を構成するゼリー状の硝子体は、老化により縮んで液状となり、網膜から剥がれて眼球の中で動く
ことで
老化現象の一つなのでほとんどは放っておいてもいいらしいが、
視野が狭くなるとか、進行してほかの病気を引き起こすとかあるので
できれば受診した方がいい、と書いてある。

この間、会社の健診で「眼」の部分にひっかかって眼科で検査した。
検査して異常は見られなかったのだが、経過をみたいのでまた来てくれ、
と言われている。

少し前、TVで「眼も定期検査を!」という番組をしていた。
眼科など、よほどのことがないと行かないが、
そろそろ同じ年代の人が「白内障」の手術などし始めているので
行った方がいいだろうなあ・・・とは思っていたが、
それでも見えるんだからまあいい。と思っていた。

数日たってもあいかわらず「眼の中で何かが飛んでいて」うっとうしい。
が、治ることはなく、慣れるだけ。と書いてある。
まったく知らなかったのでいらぬ心配までしたが、
世間によくあることとわかれば一安心だ。
しかし、まあ、いちおう、眼科行ってみるかなあ・・・・

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# by nyanko715f | 2017-09-14 13:45 | 日常のつれづれ | Comments(0)
うちは今でもソーラーを屋根の上に載せている。
ソーラーといってもいまどきの、ソーラーパネルのことではなく
太陽温水器、というか、屋根の上で湯を沸かすようなタイプのやつだ。
この家に移っていた時につけたものでもう29年になるが
そのとき、同時に何軒もがつけたが今でも使っているというのはうちだけだ。
みんな取り外してしまっている。
夏場はお風呂をほとんど沸かすことなく、ガス代が助かってきた。

それが数日前、ソーラーから水漏れしているのがわかり、
どうせ、パイプが詰まっているか、オーバーフローしているだけで、
簡単な修理だろうから業者を呼ぼう、ということになった。
で、業者に電話すると、まず、今その修理部品はないという。
いえ、以前にも同じトラブルがあって直してもらっているから
そっちに記録が残っているだろうし、見に来てください、と言った。
が、その後、技術の人から電話があり、もう見に行ったとしても修理は不可能だ、という。
トラブルの原因はわかりますか?というと、わかるが、それをもう、直せない。という。

ここんとこ、関西は連日35度を超える猛暑で、
いいことといえば、ソーラーが活躍することだけだったのに、それがもう使えない、という。
いつも家のメンテをしてくれている人にも相談したが、手はないという。
それでも、まだ、うちの中では、オーバーフローしているだけだろうから
毎日使う分だけ上に水を上げるよう、バルブを開け閉めしたらどうか?とか
あきらめ悪く、ウジウジと対策を考えていた。
ところが、上に水を上げるバルブが経年変化でバカになっていて
パイプを切って、ものを詰めて、上に水を上げなくする方法しかない。ということがわかった。

バルブを修理するか?という案もあったが、
ソーラーのまわりのほかのトラブル、たとえば水道管全部とか、
屋根に支障が出て、吹き替えするとか、
ほかのことに波及すれば「ガス代」が高くなる、とかの問題どころではない。
ここはすっぱりとソーラーをあきらめて、
今まで長い間、ガス代を節約してくれた・・と思いきるしかないな、というところにやっとたどり着いた。
(今までブログにも何回か書いたと思うが)長く使ってきたものを失うのは本当にさびしい。
(ものが)いなくなる、という寂しさではあるだろうが、
それより、私の場合は、
これでまた、ほかのところにお金がかかるじゃあないか!というケチな根性でしかない。

こんなことを思いながら数日、ぐずぐずと過ごしていた時、
(2年前亡くなった)車谷長吉の「人生相談」(朝日文庫)の中で
「お金の愚痴を言う人は救えません」という文章を見る。

新聞に連載されていた人生相談の話は以前、ブログでも取り上げた。
この人のお金への感覚は独特で、
「人生は黙って働くことが一番大事。最低限飯が食えればあとは貧乏がよい」という。
私はこの人の「銭金の話」という本も読んで、その感覚に感心するけど
自分は依然として細かいお金のことにウジウジとこだわり、
たぶん、そのことで大事なことを見落としたり、もっと損をしたりしているんだろうと思うけど
狭量なままだ。
お金、というのは快適に生活するために遣えばいいはずなのに、
細かいことをいつまでもくよくよするのはこの部分でもう損をしている。
(そもそも、損とか得とかいう時点で失格だ)

去りゆくものに心を残すな、とひごろ、自分に言い聞かせているんだけどな・・
終わった試合のこと(昨日まで2日続けてサヨナラ負けしたこと)も忘れなきゃ。
ともかく、長いこと世話になったソーラーへ、ごくろうさん。

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# by nyanko715f | 2017-08-24 11:11 | 日常のつれづれ | Comments(0)

淀川花火大会

久々に淀川花火に行った。
朝の仕事をしはじめてから行ってないので8年ぶりぐらいだろうか?
かつてはほとんど河原のどこにでも入れて、ご自由にどうぞ、という花火だったが
いまやほとんどいい場所は観覧席として区切られ、
チケットを持っていない人は入れない。

だから今年は奮発してチケットを買った。
打ち上げ場所のすぐ前、という場所もあるが、
そこはパイプ椅子で、いったん座ったら動けない。
それも2時間ぐらい前にはいかなくてはいけないから3時間も椅子、っていうのはちょっとなあ、
と思い、その後ろになるが、芝生で、下に座れる場所を選んだ。
ブースに入るとき、一人座れる程度の敷物をくれる。
自由席だが、区画の上の方から席が埋まっていき、
我々が到着した5時の時点で、区画の前の方しか開いてない。
それでも(距離は少し離れているが)打ち上げ場所のまん前であり、
水面も見える。
淀川花火は水中花火が多いので水面も見えるところに場所を取るのがいい。

打ち上げは7時40分だから3時間はゆうに待ったが
続々と入ってくる人や、淀川の暮れていく風景、
対岸のビルの夜景をながめているとそれほど長い時間ではなかった。
トイレもブースごとに設置されている。

ほとんどの場所が有料になったこと、(昔いた)テキヤがいないこと、
花火が始まったら場所を動かないように、という指示が出ていること、
などから、非常に整然と花火が見られるようになったことはよかったと思う。

花火は1時間。始まればインターバルなく(惜しげもなく)打ち上げられる。
そのプログラムは年々進化し、これでもか、というほどよどみなく繰り広げられる。

前々日、新潟県長岡での花火大会の模様をTVで見ていたのだが
淀川よりはるが広大な信濃川の2km続く「フェニックス」と呼ばれる
仕掛け花火には及ばなかったとしても
やはりTVで見るのと現場で見るのとは感動が違う。
光と音の時間差や、震動は現場でなければ体験できない。
かつては写真に収めようとしていたりしたが、そんなことはやめてみるのに集中する。

昨日は風も具合よく、煙でかき消されることがほとんどなかった。
雨も心配されたがほとんど降らなかった。
光のコンサートと思えばお金を払ってみるのは当然という気もする。
1時間、彩られた夜空を堪能できる身であるのを幸せに思った。

帰りの電車は通勤ラッシュよりすごかったが
できれば来年、また元気で見に行きたい。


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# by nyanko715f | 2017-08-07 13:34 | 日常のつれづれ | Comments(0)
暑い、あまりにも暑い~~
と言って、2008年の7月21日にも金剛山に登っている。
毎年同じようなことを考える。
ショッピングモールは涼しいが行っても疲れるだけだ。
なら、まだ山歩きの方がましだ、と出かける(7月29日のこと)

槇尾山施福寺は西国三十三箇所の四番札所で、車またはバスを利用して(バスはあまり便がない)
降りたところから、約30分、かなりきつい上りを歩き、お堂に着く。
上りはじめてすぐに一番急な傾斜があるので、10分後にはもう汗だくになる。
口コミでは、「西国三十三箇所の一番の難所」と書かれてあるが
お寺のそばまで車ではいけない、ということならそうかもしれない。
けど、けっこうの年配の人でも登っている。
私の郷里の金刀比羅さんよりはしんどくないかもしれない。
f0149240_14565776.jpg
お寺のあるところは見晴らしはいいが、風もなく、やっぱり暑い。
ここが終点では「耐暑(?)登山」にはならないので
ここからダイヤモンドトレールの一部を歩くことにする。

ダイヤモンドトレールとは(私の以前のブログから転写して)
奈良と大阪、和歌山にいたる県境の山々を辿って
「ダイヤモンドトレール」という総長45キロの自然歩道がある。
これは槙尾山、岩湧山、金剛山、葛城山、二上山、という
1000mほどの山を次々に辿っていくコースだが、
このうち、槙尾山、岩湧山、葛城山は何回か登ったことがある。
あまりきつくない登山で、山道は熊野古道を思わせるような静寂な道である。
で、滝畑への道が始まる、(と勝手に思い込んでいる)ところから行こうとすると
「通行禁止」になっている。
え?ダイヤモンドトレールが通れない、なんてことあるのかな?
と思いつつ、お寺の中の人に聞いてみると
「その道は通行止め。ダイヤモンドトレールへ行くにはお寺のすぐ下から行く道もあるが、
この間、いったきり、帰ってこない人がいて、道に迷いやすいので
午後から(そのとき午後一時半ごろ)行くのはやめてほしい」
と言われた。
何回か行っているので私たちは迷うことはないと思うけど
お寺の人がそういうので、言いつけに反していくわけにはいかない。

どうするかな?と思っていたところ、別の道から滝畑へ行く道がありますよ、
とほかの人が教えてくれた。
槇尾山の山の中を抜けて、車が通る道に合流し、滝畑のダムの入口に出る。
ダイヤモンドトレールの道なら片道二時間、というところだが
かなりショートカットしているので片道一時間でダムに出た。

ダムも風がなくて全然涼しくない。
水際なのに避暑にもならないんだ~~

帰り、同じ道を槇尾山に帰るが、
来たとき、ひたすら下りばっかり30分、だったから
今から上りばっかり、と考えただけで先が思いやられる。
しかし、それよりほかに帰る道はなし、頑張って上ることにする。
ところが、年寄りになると、下りの方がずっと足に負担がかかるのか。
上りの方が、息はしんどいけど、足の方は負担が少ない。
けがする心配も下りの方がずっと大きい。
下り30分なら上りは1時間か~~などと思っていたが
休憩も挟んで30分ちょい、で元のお寺に戻ってきた。

お寺はまだ開いていて(5時に閉まる)お堂の中の仏さんを見せてもらった
仲までは入ったことがなかったのだが、りっぱな仏さんが何体もある。

避暑にはならなかったが、家で暑い暑いと言っているよりは山歩きの方が良かった。
こんどはもっと早い時間に出て、ダイヤモンドトレールを歩いていこうと思う。


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# by nyanko715f | 2017-08-03 15:06 | Comments(0)

プロ野球、傍目八目

「カープが強くなって本当に幸せな毎日です」とコメントに書いていた人がいたが
そのとおり、幸せな毎日です。
少々いやなことがあっても、勝てば少しは気がまぎれる。
いい気分になれる。
なんで自分にはまったく関係ないところでいい気分になれるのか?
と考えてみるが、そのようなものだからそうなのである。

しかし、他球団、
きょうも阪神の試合など見ていたが(TVではこれしかやってないので仕方なく)
あれは点を取っているのでなくやっているだけ。
この前(7月19日だったか)の阪神との試合、
3-3まで見たけど、寝る時間となり寝てしまった。
次の日見てびっくり。なんと14-3になっている。
それで8点入れた8回の攻撃をYoutubeで見たのだが、
あれは勝ったというよりは阪神が負けた試合。
ゴロを転がせばはじくし、フライがあがれば落とす。
きょうもDeNA戦で解説の福本が
とっくに終わっているはずの8回がなかなか終わらない。と言ってる。
当たり前にアウトをとれるところがとれてない。
阪神、大丈夫か?と思う。巨人も似たようなものだ。

朝日放送の実況アナは8回の裏、出てきたDeNAのパットン投手に
フォーボール、だしませんかね?とか言ってる。
2人塁に出て、次ホームランになれば同点なんですがね。とかと小学生が言うようなことを言っている。
関西の実況アナは実況じゃなくて応援というか、希望的観測を言うだけなのはずっと変わらない。
阪神を甘やかすマスコミもひどい。

おまけに下位どおしの戦いは10-0だったはずの中日がいつのまにか
10-10の同点で、サヨナラならまだしも、これで引き分け、なんて
選手は骨折り損のくたびれもうけ。
どこもひどい・・・
こんな中で広島がタントツ強いのは当たり前に見える。

確かに勝つのは嬉しい。いい気分の日が続くのは嬉しい。
しかし、ちょっとひどくないか?今年のプロ野球。

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# by nyanko715f | 2017-07-26 21:49 | 広島カープ | Comments(0)

大和郡山市のマンホール

いつも見ているわけではないNHKをつけていたら
たまたま所さんの番組で、「マンホール」が出てきた。
「おっ!こんなブームになっているんだ・・・・」と間抜けなことを言っているが
「珍しいマンホールがある、写真、撮っとけよ」と夫が言ったのは1年前、三重県津市を歩いていた時。

それからしばらくして、カラーのとか、歩いていて目に付くマンホールの写真を撮って
どこの街を歩いたか、の記録にすることにした。
自分たちが勝手にやっていること、などと思っていたんだが
その時に世間ではすでに「マンホールカード」なるものが出回っていて
いまはマニア、「マンホーラー」と呼ばれる人たちが存在することを知った。
私は流行には流されない。などと言いつつ、たいてい時流に巻き込まれている。
いつもミーハーなのだ。
しかし・・・こんなにマンホールがブームになっていたとは・・・
(それを今頃言っているのはなんとまぬけか・・?)

最初に三重県津市で「珍しい!こんなものはめったにない」と夫が感激した2重ふたのは
今ではどこにでもある。
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所さんの番組で最初に映像となった「金魚」の絵柄が
「大和郡山市のだ!」とわかって得意になっていたが、そんなもの、だれでもわかる。
でも、映像でなく実際に見てみたいから数日後、大和郡山市に行った。

以前TVで大和郡山城の修復工事の話をやっていたので
その姿もみたいと思い、お城に向かうと門の前にカラーのマンホールがあった。
f0149240_10164134.jpg
(写真を撮るとき、自分の影が映らないように撮る、という鉄則があるのに、影が写ってしまっているというまぬけさ・・)

お城の入口にボランティアでお城を説明してくれる人がいて、
1時間ぐらい丁寧に、とてもわかりやすく話してくれた。
そのあと、「金魚の電話ボックス」も教えてもらったので見に行った。
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自動販売機の中でも金魚が泳いでいるところがあったし
市のはずれにあるショッピングモールの中にも金魚の水槽がある。
こじんまりとした街なんだが、とても面白かった。

行く先々、これからもマンホールの写真を撮っていこうとは思っているけど
ネットで見たところ(今になってはじめて見た!)一目にして全国どこのマンホールも見られて、
(それも自分が撮るよりもはるかにいい画像で!)ちょっとがっかりだが
それでも、これを実際に見に行こう!という目的ができただけでも良かったと思おう。

いつか絶対見たいと思う広島市内のマンホール
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                         (これはネットで借りたものです…)


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# by nyanko715f | 2017-07-19 10:24 | 日常のつれづれ | Comments(0)

七夕の夢(燕の悪夢)

夏はすごく好きな季節だ。
何が好きかというと、日が長いこと。(昼の時間が長い)
洗濯物がよく乾く、というつまらない理由。

しかし、近年は体の衰えもあって、暑さと湿気で疲れる。
頭痛や食欲不振でぐたっとして過ごす日が多い。
それほど先に時間があるわけでないのに
こんな過ごし方をしてもったいないなあ、と思う。
だけど、体が休む方に動いていく。

仕事もずっと同じ流れなのにひどくしんどく感じる。
自分に鞭打ってやっているが、
仕事なくてじっとしていればもっとしんどく感じるのだろうから
仕事はせざるを得ない。

そんな中で今週、最大のお客様のはずの巨人に連敗した。
それも完封された。
今までよかったんだからそんなときもあるよ、と楽観視していればいいのに、
体の調子が悪いのもあって気持ちが沈んだ。

きのうも仕事終わって、8時頃ネットを見るとヤクルトに7-1で負けてた。
悪い時期がめぐってきたよなあ・・とか思い、
その後、9時前のNHKニュースで8-3。
今日も負けか・・・とあきらめ、そのあと、NHKで、「奇跡のレッスン」という
スペインの名コーチが日本のテニススクールの子供たちを指導する、という番組を見ていた。
子供をどう伸ばしていくか、は私も常に試行している。
迷ったり、敗北感を感じることの方が多い。
少しでもヒントになることがあるか、とおもって見ていた。

終わったころ、夫がやってきてスポーツニュースにチャンネルを替えたので、
きょうは見ない!といったのに、まあみてみい、という。
9回、8-3のビハインドなのに、
まずバディスタがホームランを打ち、菊池が打ち、さらに1,3塁で新井が出てきた。
9割がた、ドラマもここまで、と思ったのに、それが絵にかいたような逆転ホームラン。
スタンドが真っ赤に読まっているので、マツダスタジアムと勘違いしていたが
9回表なんだから神宮だ。
7月7日、7号のホームラン。まさにフィーバーだ(そういえば、フィーバーというのも今は死語になったか?)
「優勝するチームはたまにこういうマンガみたいな勝ち方をするね」という書き込みがあったが
かなり可能性が出てきた。
でもまだ半分だから(かつて10ゲーム以上をひっくり返されたことがあったから)
油断できない。

気分の浮き沈みが野球頼み、なんてすごく情けないが、
きょうは気持ちよく新聞を買いに行く。
しかし、もし反対だったら、気分が沈み込む悪夢だっただろう。
ツバメさまもまたいい時がめぐってくるはずだから我慢してください。

暑さに負けず、花火に、街めぐりに、夏を楽しもう!


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# by nyanko715f | 2017-07-08 09:34 | 広島カープ | Comments(0)
もう20年以上文楽を見ているが、今も全然わかってない。
わからないまませっせと通っている。
別にわかる必要などないのだが、それでも分かった方がより面白みは増すのでは?
という期待のもとに文楽に関する本を読んでみようとする。
どれも「ふ~~ん」という感じで、中には読んで何にもならなかった、
と思うものもあったが
橋本治の「浄瑠璃を読もう」は(私的に)とても面白かった。

文楽のよく上演される8編を取り上げて、橋本流の言葉で語ってくれる。

文楽で一番何がわからないかというと「言葉」だ。
今は舞台上に字幕が付き、
また「床本」(太夫さんが語る言葉を全部書いたもの)というのも
プログラムを買うと付いてくるが
「字」を見ても意味がわかるわけではない。
どころか、読み方のわからない漢字がいっぱい出てきて
字幕を目で追っていると舞台での動きを見逃してしまう。

だいたい、文楽の話は複雑だ。
この人は本当はどこのだれだれなんだが、ゆえあって身分を隠している。
その前(つまり舞台で上演される幕の前)にはこういう事情(歴史的背景)があって
この人とこの人は本当は親子、とか、きょうだい、とか、主従とか、
そういう予備知識がないとわけのわからないことがある。
歌舞伎などはご贔屓の役者を見る楽しみがあるが
文楽は「物語」(それも複雑怪奇な)が主で、「地味」だから
会場には寝ている人がいっぱいいる。

著者の橋本治も最初に文楽を見たとき、10分で寝てしまったそうだ。
で、わかろうとして浄瑠璃のレコードを買い、聞き続けたそうだ。
私はいまだにわからないまま見ている。
わからないけどそれなりに面白い。
けど、もっと楽しむために知りたくて、本を読んでみる。

その前に、「浄瑠璃」とか「義太夫」とか「文楽」とかいろいろ言っているが
ぜんぶ同じものである。
どの呼び方が正しいのか知らない。
私は一番呼びやすい「文楽」をつかうが、正しくないのかもしれない。
「浄瑠璃」の意味はこの本に書いているので興味ある人は本を見て。(と無責任…)

さて、前置きが長くなったが「浄瑠璃を読もう」の話。

最初に「仮名手本忠臣蔵」。これだけで80ページはある。
題名の意味から、なぜこの物語を室町時代のものにしたのか、
登場人物の名前の付け方、性格設定。
本当はこの時にこの人物は何を考えていたか。などなど・・・・

橋本流の解釈だから読んだ人全員がこれに共感できるわけはないかもしれないが
それにしても「だいたいのところをわかってい観ていた者」にとっては
ひじょうにおもしろい注釈だった。
この事件の本当の主役は「お軽」である。といわれれば、そうかもしれない、と思う。

そもそもこれば「お芝居」である。
史実などはどうでもいい。
また、一力茶屋で大星由良助から解放されたお軽がその後どうなったか、
などどうでもいい(私は気になるが・・・)

この本では床本にかかれてあるそのままの言葉と
橋本氏の訳とを交えながら筋を追い、人物の心境を追う。
特に、「5段目」「6段目」は筋を知っている程度でみていたけど
本当はこういうことだったのか・・・
今度見るときはもっと面白く見られるかもしれない。

「忠臣蔵」のほか、「義経千本桜」「菅原伝授・・・」など
8演目を「サルにもわかるように」解説してくれる。
というけど、著者本人は「あまりわかりやすい本にはなっていません」と言っている。

人形浄瑠璃のドラマは「過去の歴史」に依拠しているのに「歴史を理解しよう」とは考えてない
過去の有名な人たちを勝手に動かす(虚々実々入り混じったドラマ)
だから複雑なんだと。

江戸時代の観客たちは(たいてい町人)今みたいな社会の授業を受けているわけでもなく
歴史的事実などは語り継がれたものを知っていた程度だったと思う。
だから史実がどうとか、誰誰はこんな人、とかいう本当のところはどうでもよかった。
見ていて楽しめればよかったのだと思う。

とすれば、現代の私たちも見ているそのドラマが面白ければいいわけで、
こういった「解説書」を読み、ふんふん、なるほど、とより分かったような気になる
などというのは無用な気もするのだが、
それでも、あえて「この本を読んだ方がより楽しめるような気がする」といっておこう。

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# by nyanko715f | 2017-04-30 17:30 | 本はともだち | Comments(0)
このところ、仕事が大変になって、ぐちゃぐちゃめんどくさくて
それでもやらなければいけないからどうにかやっているが
そんな中で、休みの日に「街道めぐり」をすることがとても楽しみになっている。
歩くことが楽しみになる、などと少し前までは思ってもみなかった。
街道めぐりはちょっとした思いつきで始めたことだ。
これほどハマるとは自分でも思っていなかったことだ。

歩いている時は、数時間たつとしんどくなって、まだ(目的地に)着かないのか?と思う。
特に雨の中はつらい。
足元びしょびしょで濡れた靴をひきずって歩くのはつらい。
だけど、のちに写真を見て経路をたどるとどこも面白かったな、と思ってしまう。

今年は高野街道を歩いているが、まとめてみると河内長野までは4つに分かれている。

1 東高野街道・・・京都の岩清水八幡宮を起点に、河内国を縦断し、
      河内長野に至る。
2 西高野街道・・・堺から南東に延び、河内長野で東高野街道に合流
      する。江戸時代に最も賑わった街道で、旅人の便宜のため一里毎
      に、道標石が堺から女人堂まで13基立てられ、現在も残っている
3 中高野街道・・・大阪、平野からほぼ一直線に南下し、松原、狭山
      を経て、西高野街道と合流する
4 下高野街道・・・四天王寺から南下して、狭山で西高野街道と合流
      する

ブログにアップしていないところもあるが
2、西高野街道は29年1月3日、1月14日 完歩
3、中高野街道、2月11日
4、下高野街道 2月12日、4月1日 完歩

で、東高野街道は3月26日、4月9日で、石切のあたりまで来ている。

これらのルートや道中の見どころなどは
街道歩きの先人、達人がうまくまとめてブログにアップしていて、
私の出る幕などないのだが、
自分の記録としてその時見つけたものを書いておこうと思っている。

歩いているとたいてい1日一人ぐらいには声をかけられる。
この間はある神社の神官さんが、
これに古い街道が載っているから、とそのあたりの地図をくれた。
案内所、みたいなところで話好きのおっさんにつかまって
30分以上話を聞かされたこともある。

今は時間的に制限があるが、いずれ自由の身になれば
もっと範囲を広くして、行ってみたいところがいっぱいある。
それまで、がんばって仕事して、なんとか健康でいたいと思う。





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# by nyanko715f | 2017-04-27 09:18 | 街道めぐり | Comments(0)
4月初めに和泉市と和歌山県かつらぎ町を結ぶ鍋谷峠にトンネルが開通した。
これにより和歌山へ抜けるのが30分は早くなったので
学文路(かむろ)から始めるきょうの高野街道歩きは「九度山」まで車で行くことにした。

九度山は大河ドラマ「真田丸」のおかげで観光客が驚異的に増えた。
(数年前、真田庵にいったときなど、まったく人がいなかったのに・・・)
で、ありがたいことに町役場は駐車場を開放してくれていて
終日、無料でここに車を止めておける。

今歩いている高野街道は九度山を通らず学文路なので、ひと駅戻る。

学文路は昔は「香室」と書いたらしい。が、この地に高徳の士が住んでいて
土地の人の学問に力を入れ、読み書きのできない人がいなくなったというので
学文路、と呼ばれるようになったらしい。
今は受験の聖地としても知られているらしいが。
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        (駅構内にある社)

学文路の駅近くの踏切を越えて坂を登る。
坂道を登ってすぐ「石童丸物語玉屋宿屋跡」がある。

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この地に伝わる「石童丸物語」で、高野山は女人禁制なので、
石童丸のお母さんがここで待っていた、というところである。

同じく、空海のお母さんも、高野山へは入れず「九度山」のお寺にいた。
ここに月に9度、空海が会いに来ていたというので「九度山」の名がある。
「慈尊院」は現在も子授け、安産、病気平癒の祈願で多くの人が訪れている。
(有吉佐和子の小説「紀ノ川」にも出てきたように思う)

坂をどんどん上り、やがて「フルーツライン」と呼ばれる大きな道路と交差する。
さらに行くと「大師の硯水」というところがある。
弘法大師が硯の水を求めるとずいぶん遠くに汲みに行ったので
その不便を考え、杖を刺したところ、そこに清水が湧いたという逸話のあるところである。
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集落の中に「第4の地蔵」があり、ここを過ぎると急激な下り坂になる。
下りは特に注意して進まなければならないが、周りはきれいな竹林で
そこに咲く連翹の黄色が鮮やかだった。
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山道を下ったところが「河根(かね)」という集落らしい。
「丹生(にう)神社」と「日輪寺」。神社とお寺が同じ敷地にある。
河根はもと宿場だったところで「元本陣中屋旅館跡」がある。

集落をすぎると丹生川にかかる「千石橋」があり、ここから「作水」という村に入る。
この千石橋からしばらく急な登り坂があり、そのあとも延々と上りが続く。
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考えてみれば、大阪や京都からのここまでの道中、ほとんど高低差がなかった。
紀の川を越え、学文路の駅から急に、海抜800メートルの高野山に向かう上りとなる。

作水坂の急な坂をいったん終えるところに「第5の地蔵」がある。
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この横にあった灯篭みたいなもの(ローソク台?)の中に(写真の緑色のもの)
「ご自由にお取りください」といって高野山のガイドブックが置いてあった。
それには高野山にいたるいくつものルートの詳細な案内がかかれていて
マップ、スポット間の所要時間、トイレの箇所など、実にありがたい情報満載だった。

さて、長い長い上りが終わるころ、「最後の仇討」という場所に着いた。
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明治6年、仇討禁止令が出されたそうだが、その少し前の明治4年、ここで仇討があったそうだ。
それも赤穂藩がらみの話だという。
赤穂藩は元禄のあの事件以来、どうなったんだったっけ?

ここを過ぎると「神谷(かみや)」という集落に入る。
ここもかつては宿場だったらしいが今はその名残はない。
集落を過ぎると南海高野線の線路の見えるところに来る。
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「しんごくらくばし」という古そうな石の橋のむこうに朱塗りの極楽橋がある。
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この橋が高野聖域と俗界の結界だそうだ。
きょうはここまで。俗界のまま終わることにしよう。

南海高野線の「極楽橋駅」に着いたのが3時すぎ。
そのころ、難波からの特急が着き、たくさんの人が降りてきてケーブルに向かって行った。
きょうは高野山泊まりなんだろう・・・・うらやまし・・・・

我々を待っている電車は「天空」という極彩色の特別列車で、
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外に向いて景色を楽しめるデラックスな座席に座るには指定券を買わなければいけない。
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指定券のない者は前2両のフツーの座席で、ギーギーにぎやかなブレーキの音と共に山を下っていく。

きょうは10キロ、約5時間のいつもより短い行程だったが上り下りがあってしんどかった。
しかし、道道にはいろんな種類の桜、ボケ、椿、スイセン、シャクナゲ、など
季節の花が咲き乱れ、しんどさを軽減してくれたように思う。
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# by nyanko715f | 2017-04-17 21:04 | 街道めぐり | Comments(0)
私は香川県琴平町の生まれである。
生家は参道の入り口で旅館を営んでいた。
私の育った昭和30年代、世の中は高度成長の時代であり、
こんぴらさんは連日多数の参拝客でにぎわっていた。
生家の旅館も景気の良かった時代で、私はこんぴらさんの賑わいのおかげで育てられたと言ってもいい。

しかし、昭和40年代後半、オイルショックと時を同じくして
琴平は観光地としても下火になり、
生家の旅館も昭和56年、230年続いた旅館をたたんだ。

そののち、江戸時代からの芝居小屋「金丸座」が復活し、
こんぴら歌舞伎なるものでいささかの賑わいは取り戻している。

私にとって「こんぴらさん」は常にそこにあったもの。
あまりにも近くにありすぎて、近年TVに取り上げられたり、
また今回は「ブラタモリ」でブラウン管を通してみるのは不思議な気がする。

しかし、そこで住んでいたにもかかわらず知らなかったことが多く
「ブラタモリ」でこんぴらさんの成り立ちをしっかり検証してもらえて
とてもありがたかった。

こんぴらさんは「象頭山(ぞうずざん)」という山の中腹にある。
これは讃岐平野のまんなかぐらいにあるが、海からもよく見えたそうである。
象頭山は象の頭と背中みたいに、ちょっと盛り上がってあとは平ら、という形をしている。
その山の固い「安山岩」と「花崗岩」の境目に「本宮」が立っているが
それは象の目の位置になるそうである。

こんぴらさんは「海の神様」「海上交通安全」の神様であり
海に関係する仕事をしている人たちは貢ぎ物をした。
現地までお参りに来られない船の人たちは
樽にお酒などを入れ、名前を書いたのぼりを立てて海に流しておく。
すると海岸に流れ着いた樽を地元の漁師さんなどが拾ってくれて
代わりにこんぴらさんに奉納してくれる。
これを「流し樽」という、と番組で言っていると
はじめて聞いたらしい夫など「へえ~~~」とやたらと感心していたが
琴平には「流し樽」という名物のお菓子などあったので
地元の人には「普通名詞」みたいな言葉だ。

そうやって、こんぴらさんには樽や船の部品などありとあらゆるものが奉納される。
今では奉納品でひとつの建物がいるのだという。
また、寄付金を示す「玉垣」と呼ばれる石も
立てる場所を確保するために参道をくねくねさせたぐらいだという。

かつて、江戸以前のこんぴらさんの賑わいは、私の子供のころの比ではなく、
伊勢参りや富士山信仰と並ぶほどの人気だったそうだ。

宮のふもとには芝居小屋あり、富くじあり、
タモリに言わせれば「東洋のラスベガス」並みの街だった。
地元がそれほどに有名な場所だったとは恐れ入った。

しかし、今、人口は昭和の時代から半減し、正月以外、町はひっそりしている。
ただ、私にとってはたった18年しかいなかったのに
「地元」はいまでも「琴平」だ。


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# by nyanko715f | 2017-04-11 12:33 | Comments(0)
高野街道は河内長野でそれぞれのところから来た4つの道が合流する。
堺からの西高野街道は1月に完結した。
四天王寺からの「下高野街道」
大阪、平野からの「中高野街道」もすでに歩きはじめているが
それはまたの機会にアップするとして河内長野から進めていく。

河内長野市は街道復興に並々ならぬ力を注いでいるとみられ、
街道沿いの家々には「高野街道」の灯(ぼんぼり)
道路に表示があったり色が変わっていたりして進路を示してくれる。
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駅近くの街道沿いは酒蔵、酒店(さかみせ)など、展示してあるところもあり、
旧家が並ぶ。
 やがて、「烏帽子形神社」に着くが石段のはるかかなたに神社があるので寄らなかった。
しかし、「烏帽子形」ってなんだろう?と思っていると説明している看板があった。
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烏帽子形城は楠正成の築いた城で、河内長野市は楠正成を大河ドラマに取り上げてもらうよう運動しているらしい。
高野街道の先にある九度山の「真田庵」などもそれまでは来る人もまばらだったが
「真田丸」のおかげでいまや人が押し掛けている。
もし楠正成で河内長野が全国区になるようなことがあれば、私も(なぜか)ちょっと嬉しい。

神社を過ぎると「三日市宿」にはいる。
ここは街道の名残をいちばん残しているところかもしれない。
ここから和歌山との境の紀見峠に向かうが手前の宿場としてにぎわい、
旅籠、問屋、遊郭などが軒を連ねたらしい。
上田地区というところに「高札」がある。峠を越える人足の駄賃や
親兄弟に孝行を尽くせだの、賭博はいけないだのとすごく細かい規定が書いてある。
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これは江戸幕府が立てたもので、なんで江戸幕府?っていうと
ここは「天領」つまり幕府の直轄地だったらしい。
直轄地はどこかの藩に管理を任せる。
それで、河内長野駅の近くに「膳所藩代官所跡」などというものがあったのだ。
(と、ボランティアのおっちゃんが説明してくれた)

さて、「高札」の横に神社がある。小さい神社なのだが「上田金刀比羅宮」とかいてある。
私は香川県琴平の出身なので、「金刀比羅宮」の文字にはすぐ反応する。
説明書きにも書いてあるがここに「こんぴらまいり」の「講」があったらしい。
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このあいだ、NHK「ブラタモリ」で「こんぴらさん」がとりあげられた。
ずいぶん有名になったものだ、と有り難がっていたのだが
かつて(江戸時代以前)は日本三大参りぐらい大きな神社であり、
いたるところに分社がある、と今頃になって知り、驚いた。
これからも歩いて行けばまたどこかで分社に出会うかもしれない。

さらに「三日市交番」「天誅組史跡」(幕末、天誅組が油屋という宿に集まった名残り)
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「八木家住宅」などを過ぎると南海高野線「三日市駅」に着く。
その先に「高野山女人堂へ八里」の道標がある。
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ここを過ぎたあたりから街道の風情がなくなり
「石仏」という集落を過ぎると国道371号線とともに進むことになる。
371号線は片道1車線、和歌山を結ぶ線だが、交通量は多く、
日曜の夕方は大阪に向かう車は渋滞気味だ。
私たちは山に向かって進むが、民家もなく、歩道もすごく狭くて
車がビュンビュン走るだけ。
こういう道はたった2キロ程度なのだが歩いていてもすごく長く感じる。

やがて「天見郵便局」(思ったよりずっと小さい建物)の角で371号線と分かれ
1,9メートルもあるお地蔵さんのあるお堂を過ぎると
南海高野線「千早口」の駅になる。
ここで5時すぎ。もうひと駅行こうと思えば行けるが
そろそろ暗くなってくる道をまた国道に戻り、
車がビュンビュン走るところを行くには危険があるので
今日はここまでにした。

南海高野線「金剛」の駅に車を置いてそこから歩いてきたのだが
見物しいしい、ゆっくり来たのでここまで5時間少し。
電車に乗ると、急行であはあったが金剛まで10分ちょっとでついてしまった。
電車、はやすぎるぅぅう
(そういえば、伊勢まで10回もかかって(5時間×10)歩いて行ったところ、
特急で1時間少しで帰ってきたんだもんな~~)


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# by nyanko715f | 2017-03-13 09:02 | 街道めぐり | Comments(0)

新春文楽公演

1月12日 、第1部
 寿式三番叟、奥州安達原、本朝二十四孝

1月21日 、第2部
 染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ) 観劇

三番叟以外はおめでたい話ではないのだけれど、
大みそかの話や寒い時期の話なので1月の公演にはふさわしい演目。
三番叟は「国立劇場(東京の)開場50周年を祝いて」とあり、
幕が開くと、正面に義太夫連中がずら~~っと並び、
この並び方を見たことない私は「うぉおお~~っ!」と感激したが
のち、劇場の展示室で三番叟の昭和59年から現在まで、10編ぐらいのダイジェスト版を見て
劇場開場のときや、記念すべき年には今回の2倍以上の人数が正面に並び
その光景はさぞ壮観だっただろうと思う。
ダイジェスト版には往年の名人の懐かしい姿が見られ、
また同じ演目でも舞台も違えば演出、振り付け、衣装がちがうのも興味深く見た。


寿式三番叟は、豊年万作を祝う神事、というようなものを表現した
クラシックコンサートで言えば序曲に当たるようなもの。
次の「奥州安達原」は源氏が勢力を増してくる平安末期あたりに
姉妹のそれぞれの夫が源氏と平氏の敵味方であり、娘たちを案じる親の苦悩を描いている。

「本朝二十四孝」は武田、上杉と反目している武将の息子と娘が恋仲である
という、現代版ロミオとジュリエット的お話で、
狐の魔力を借りた上杉の娘、八重垣姫が活躍する。
キツネ遣いの名人(?!)、桐竹勘十郎のキツネはますますパワーアップしている。
何匹ものキツネが入り乱れる奥庭の場面は昼の公演の最後を飾るには迫力満点。

さて、日も改まって夜の部は「お染久松」のお話。

今年のお正月、どこかあまり人の多くない情緒あるところへお参りに行こう、
と選んだのが野崎観音。1月に「お染久松」の話が劇場にかかるからでもあったが。
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のざき観音「慈眼寺」は大阪府大東市(学研都市線、野崎駅)にある。
こじんまりとしているが、よく手入れされていて美しい寺。
このお寺ではコンサートとか、お染久松の文楽公演などのイベントも行われているらしい。
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元日のこの日、駅付近にはあまり人は見かけなかったのに、石段を登った山門から
写真にある本堂の石段までずら~~っと人が列をなしていて、すごい人出だった。
お参りを終えたときにはちょうど、日没の時間で、
大阪湾に沈む美しい大きな夕陽を見ることができた。

さて、文楽のお話。
お染は大阪の中心地の大店の娘だが久松は野崎村の出身。
ただし、「新版歌祭文」の中では久松は泉州石津の若様だったが、
故あって野崎村に住む久作という百姓に預けられたことになっている。
というのを数年前、この文楽劇場で観た。

実は、お染久松、といえば「新版歌祭文」しか知らなかった私。
今回もお染久松の物語と聞いて、へ~~今回、野崎村はつかないのか、
などとたわけたことを思っていた。
で、みていくうち、え?こんな話だったっけ?と思うも、
「新版歌祭文」のつもりで見ている、というマヌケさ。

お染は油屋の娘、久松はその店の丁稚、あと、山家屋(やまがや)の旦那、
久松の父(実は養父)が野崎村の久作、お染の母はおかつ、という登場人物は同じ。
久松は年季も明けていない丁稚でありながらお染と深い仲となり、
それを案じた久作が呼び戻しにお店へ来る。
意見する中に「隣の家のおくめを嫁にせよ」というセリフが出てきて
あら~~この話は「新版歌祭文」ではなかったのか?と初めて気が付く。

そう、この「染模様妹背門松」という話は同じお染久松でも
「新版歌祭文」の近松半次ではなく、
それよりも10年ほど前に、菅専助がかいたもの(らしい)
菅専助はのちに「摂州合邦辻」や「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」で
人気を博した作家。(竹本光大夫、という名で出演もしてたらしい)
善六という悪役なのに出てくるたびに笑いのとれる「チャリ」という重要人物や
ほかでは悪役めいた「山家屋」の旦那はお染の婚約者なんだけど
すごく寛容で慈悲深い、知恵者になっていて、
この話の登場人物のほうがずっと魅力があり、見せ場がある。

お染と久松はせいぜい15と16ぐらいか?
若気の至りの恋で、今はいちずで「いっしょになれないなら死ぬ」
と言っているけど、まあ、そのうち熱も冷めようものの・・・・
と思えるんだけど、この話の中ではだんだん追い詰められていくのがよくわかる。
それぞれの親の言い分も、世間の義理もよくわかる。
同じ話でも「新版歌祭文」よりこっちのほうがずっと良く出来ている、と思うけど、
芝居としては「新版歌祭文」のほうがよく上演される。ふしぎだ~~

どっちにしてもお染久松は最後には心中したらしく
野崎村には「お染久松の塚」というのがあった。
どうにかして死ぬ以外の方法はなかったんでしょうかね~~

それはそうと、文楽は堅っ苦しいもの、と思われているかもしれないが
今回も太夫さんのセリフの中に
「片やはんしん、こちらはひろしま」とか、「君の名は?」とか
さら~~っと仕込んであって、(それは床本にはなく、太夫さんのアドリブ)大ウケだった。
文楽は実に楽しいものですよ…
(それにしては隣のおじさん、よく寝ていて、いびきがうるさかった・・むむっ)

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# by nyanko715f | 2017-01-22 15:40 | 落語とか文楽とか | Comments(0)

もう一度、西高野街道

1月14日。この冬一番の寒波だという日に
前回まちがってしまった西高野街道の後半をやり直す。
雪が舞うような日だったが、歩いている間は日が差し、それほど寒くはなかった。
しかし、当たり前だが、こんな日に街道歩きをしている人にはお目にかからない・・・・

もう一度、高野街道を復習すると
河内長野の駅前にあった石碑には3本しか街道が書いてなかったが
本当はもう一つ、四天王寺から続く「下高野街道」というのがある。
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今は「西高野街道」を歩いているが、これは他所からくる人が
「住吉大社」にもお参りしてそののち、高野山に向かった道といわれている。
高野街道は平安時代末期には既にあり、江戸時代、整備されたという。
随所にある「西高野街道」の石碑は新しいものだが、
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江戸時代、「里程石」というのが作られ、堺市榎元町に「十三里」
河内長野で「九里石」「十里石」が見られる。

きょう、出発するところの「おわり坂」は西高野街道と下高野街道の合流点になる。
この「おわり坂」という地名は、山をひとつ越えて、見晴らしのいいところにあるので
どこかの地域の終着点、みたいなものかな?と思っていたら
愛知県知多半島出身の土木技術者集団にちなむ「尾張」のほうだった。

ここに小さい川が流れているが、これは三津屋川、といい、狭山池から流れ出ている。
狭山池はこの付近では大きいため池で、行基、重源によって改修されている由緒ある池だ。
(前回は道を間違え、このおわり坂も通らなかった)

おわり坂からすぐに三津屋川を離れ、310号線と並行する狭い道を進む。
たまにすごく大きなお屋敷みたいな家があっていかにも街道という風情のある通りだ。
「酒かけ地蔵」「十里石」「常夜灯」「道標」など随所に見られる。
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                 (酒かけ地蔵)
「松林寺」という真言宗の立派なお寺を過ぎると「中高野街道」との合流点に出る。
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         (左手の道が西高野街道、右手の道が中高野街道)

ここを過ぎて、広い道を横切れば南海高野線、千代田の駅近くの「西友」になる。
(ここで、小休止。ここの生鮮市場、野菜がすごく安い!
立派な大根を100円で売ってる。しかも、「世界パン」も入ってる!)

「西友」を過ぎ、「清明塚」を見て「外環」のガードをくぐる。
ここに「旧阿弥陀寺、石造物群」がある、と書いてあったが見つけられなかった。
廃寺になったので、そのお寺の石造物を集めたとこらしいが。

310号と交差して、「寺本病院」の裏を抜ける道に入る。
ここに「東高野街道」との合流点がある、というが、これも分からなかった。
いつか、東高野街道を歩くので、どこで合流するか、その時の楽しみにしよう。
「割坂」というけっこう急な坂を下りると河内長野の駅前商店街に出る。

きょうはまだまだ明るいので、駅前のモニュメントや旧家の遺跡のあるところも見た。
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いずれ、高野山に向かってこの駅から出発するが、
駅付近には古くから続く酒屋さんなどがあり、街道の雰囲気を残している。
いずれ行くと思うけど、紀見峠~高野山はもう少し暖かくなってからにしよう・・・・
今は雪の中だ…





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# by nyanko715f | 2017-01-17 13:19 | 街道めぐり | Comments(0)

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