暑くても弾かなきゃならないが

こう暑いと弾く気力がない。
夏は好きな季節なのに近年はこの暑さにすごく疲れる。

しかし、レッスンは行かなきゃならないので行った。
75歳の先生はこの季節でも端然としてピアノを弾いている。
が、先生、暑いのによく弾かれますね。と言うと、
いや、親知らずを抜いてな・・・・口あけられへんし、ごはん食べられんのや・・
と言っているが、レッスンになると60歳の(今は)歯が痛くない私より
ずっとお元気で、3時間近く、しゃべりながら弾きまくった。

今回は
バッハ、平均律2巻14番
モーツァルト、K、330の2、3楽章
ウィーンの謝肉祭の道化、終曲。

平均律14番のフーガは3つのテーマが交錯する面白い曲だ。
この曲は2巻の中で一番好きかも知れない。
プレリュードはかなり直されたが、フーガを弾いて、先生が
「フーガがこれだけ弾けるのに・・・・・・」あとはむにゃむにゃ。だったが
なんでプレリュードがそんなに下手なん?
(ついでに)ショパンのワルツが弾けへんの?といいたかったのだろう。

そして、にゃんこさんにしたらこのフーガの難易度はどれぐらい?
と訊かれた。
簡単に弾けるなどということは決してないが、
それでも、こういう曲はやれば「解ける」。
平均律はセットになっているのでいっしょに弾かなければならないが
フーガに比べてプレリュードが悪い、といわれるのは毎度のことである。
フーガは図式化したらそのとおりに進めていけばいいのだが
プレリュードはいろいろなパターンがあって、
特に「エスプレシーボ」になっているのものを
バロックでどれほど感情豊かにすればいいかがわかってない。

古典派のエスプレシーボも「愛想ない・・・」と酷評される。
ロマン派以降のものはほとんどが失格。

考えてみるに、自分の中に「情緒豊か」の要素が何もなくて、
入れても入れても定着しないのだろう。
もちろん、勉強中の身で「これは私の中にはない」といって
拒絶するのはおこがましい。
あるとかないとかではなく、やっていかなければいけない。とは思うが
せいぜい趣味の分野で(私のは趣味といっていいかどうか・・・)
年齢的にもやる曲数も限られているなら、
合うもの合わないものを選んでもいいか?と思う。

バッハやモーツァルトはほかのものよりは曲数を弾いてあるので
新しいものでもどのようにすればこれを弾けるようになるのか、が
だいたいわかる。
いつまでたっても体に入ってこない、覚えない曲は
「抗体」ができている、とでもいうか・・・・

それはどんな小さい子供にもあるようで
同じ程度の曲を二つ持たせると一方は出来るのに、
これが出来るならこっちも出来るだろう、と思うと全然出来ない、
または反対で、これも弾けないのならこっちもだめか?
と思うと、けっこういける、ということがよくある。

そして、小さいときから好き嫌いをはっきり言って、きめてしまう。
若いときは(何事においても)それではいけないよ、と強く思うが、
60すぎればもうそろそろいいのでは?と自分を甘やかす。

だからすごくわがままに曲を決める。
プレリュードの下手なのはもっと精進するとして
バッハの2巻は進めるところまでいきたいし、
モーツァルトは6年計画で全曲やろうと思っている。
18曲で、今年は5曲ぐらいいけるかな・・・
大きな曲は1年に3つぐらいしかできないだろう。

シューマンは、先生がもう聞きたくないとおもったからか、
終わった。これ以上やっても無理、とも言える。
で、ベートーベンをすることになり、
これも先生は今、ソナタ全曲に挑戦しているのだが
(70をいくつも過ぎてから挑戦するのだからすごい!としか言いようがない)
私は、ベートーベンはできるものだけでいい。
12、15、18の3つぐらい弾ければいい。(それも簡単ではない)

シューマンでも体力のなさを感じるのだから、
ベートーベンになるともっと感じると思う。
でも、上記3曲は力で押していく曲でないから。

とにかく、弾かなきゃならないな・・・
なんで弾かなきゃならないのかはわからないけど。
by nyanko715f | 2014-08-08 09:43 | ピアノレッスン記 | Comments(0)

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