ソーラーが最期の時をむかえた・・・・

うちは今でもソーラーを屋根の上に載せている。
ソーラーといってもいまどきの、ソーラーパネルのことではなく
太陽温水器、というか、屋根の上で湯を沸かすようなタイプのやつだ。
この家に移っていた時につけたものでもう29年になるが
そのとき、同時に何軒もがつけたが今でも使っているというのはうちだけだ。
みんな取り外してしまっている。
夏場はお風呂をほとんど沸かすことなく、ガス代が助かってきた。

それが数日前、ソーラーから水漏れしているのがわかり、
どうせ、パイプが詰まっているか、オーバーフローしているだけで、
簡単な修理だろうから業者を呼ぼう、ということになった。
で、業者に電話すると、まず、今その修理部品はないという。
いえ、以前にも同じトラブルがあって直してもらっているから
そっちに記録が残っているだろうし、見に来てください、と言った。
が、その後、技術の人から電話があり、もう見に行ったとしても修理は不可能だ、という。
トラブルの原因はわかりますか?というと、わかるが、それをもう、直せない。という。

ここんとこ、関西は連日35度を超える猛暑で、
いいことといえば、ソーラーが活躍することだけだったのに、それがもう使えない、という。
いつも家のメンテをしてくれている人にも相談したが、手はないという。
それでも、まだ、うちの中では、オーバーフローしているだけだろうから
毎日使う分だけ上に水を上げるよう、バルブを開け閉めしたらどうか?とか
あきらめ悪く、ウジウジと対策を考えていた。
ところが、上に水を上げるバルブが経年変化でバカになっていて
パイプを切って、ものを詰めて、上に水を上げなくする方法しかない。ということがわかった。

バルブを修理するか?という案もあったが、
ソーラーのまわりのほかのトラブル、たとえば水道管全部とか、
屋根に支障が出て、吹き替えするとか、
ほかのことに波及すれば「ガス代」が高くなる、とかの問題どころではない。
ここはすっぱりとソーラーをあきらめて、
今まで長い間、ガス代を節約してくれた・・と思いきるしかないな、というところにやっとたどり着いた。
(今までブログにも何回か書いたと思うが)長く使ってきたものを失うのは本当にさびしい。
(ものが)いなくなる、という寂しさではあるだろうが、
それより、私の場合は、
これでまた、ほかのところにお金がかかるじゃあないか!というケチな根性でしかない。

こんなことを思いながら数日、ぐずぐずと過ごしていた時、
(2年前亡くなった)車谷長吉の「人生相談」(朝日文庫)の中で
「お金の愚痴を言う人は救えません」という文章を見る。

新聞に連載されていた人生相談の話は以前、ブログでも取り上げた。
この人のお金への感覚は独特で、
「人生は黙って働くことが一番大事。最低限飯が食えればあとは貧乏がよい」という。
私はこの人の「銭金の話」という本も読んで、その感覚に感心するけど
自分は依然として細かいお金のことにウジウジとこだわり、
たぶん、そのことで大事なことを見落としたり、もっと損をしたりしているんだろうと思うけど
狭量なままだ。
お金、というのは快適に生活するために遣えばいいはずなのに、
細かいことをいつまでもくよくよするのはこの部分でもう損をしている。
(そもそも、損とか得とかいう時点で失格だ)

去りゆくものに心を残すな、とひごろ、自分に言い聞かせているんだけどな・・
終わった試合のこと(昨日まで2日続けてサヨナラ負けしたこと)も忘れなきゃ。
ともかく、長いこと世話になったソーラーへ、ごくろうさん。

by nyanko715f | 2017-08-24 11:11 | 日常のつれづれ | Comments(0)

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